「ああ、あのバイクは息子の物なんです」


 どうやら孝太も気になっていたらしく、ひととおりの挨拶を終えた後、彼は世間話として老人に聞いてみたのだ。


 長い廊下を進んだ先、案内された客室のソファはふかふかで、南向きの窓からはレース越しに暖かな光が射している。まるでドラマにでてくる社長室のようだと、沙月は思った。綺麗に、埃ひとつ舞っていない。クーラーは着いてなかったけれど、浜風が心地よかった。ついてきたゴーレムも、緊張しているのかおとなしい。


「息子さんとは一緒に暮らしていないのですか?」

「大学を出てすぐに東京へ行ってしまってね。なにも大企業に就職した訳じゃない。息子は昔から絵を描くことが好きで、漫画家になると自分の夢を追っかけて行ったのだよ」


 卒業祝いに買ってやったらしいのだが、息子さんはろくな挨拶もせず、その日に東京行きの夜行バスに乗り込んだのだと。


「息子とは喧嘩ばかりで、馬が合わなかったんですよ」


 老人は笑顔で言ったが、目の奥には寂しさがちゃんと残っていた。


「君がれいなさんの?」

 

 話を折るように、老人は沙月に向かってそう聞いた。


「はい。あずま沙月さつきと申します」


 社長室のような雰囲気のせいで、沙月も変にかしこまってしまった。老人は「うんうん」と頷きながら、「佐渡さわたりです」と名乗った。


「お母さんに似ているね。どこがじゃないけれど雰囲気がそっくりだ」

「そうですか?」

「嫌なのかい?」


 表情かおに出てしまったのか、佐渡は愛想の良い笑顔を止めて、こちらを窺った。沙月は途中で何度か詰まりながらも、自分が母に対して抱いていることを、そして自分が今何をしているのかも、順序だてて佐渡に伝えた。

 母が私を捨てたこと。

 母が死に、世間がそんな彼女を美化していることがイヤだということ。

 そして、自分が母の本を書きたくて、今日ここにやってきたこと。


 出来るだけ事務的に、淡々に言ったつもりだったが、佐渡は沙月の話終えた後にすこしだけ腕組をしてから、「珈琲を淹れてきます」と立ち上がった。


「ブラックで良いかな?」

も手伝います」


 倣って孝太も立ち上がった。しかし、佐渡は「いいから」と笑顔で客室をあとにした。

 足音が遠のいていく。やがて聞こえなくなってから、孝太はソファに腰を下ろしたて、ハンカチで額の汗を拭った。


「大丈夫ですか?」

「え? う、うん」


 嘘だ。絶対に緊張している。


「どうする? ひとりで遊んでる?」


 今度は、反対側に座るゴーレムに聞いてみたけれど、少年も首を横に振って、壁に掛けてある一枚絵をずっと見つめていた。


 孝太もゴーレムもらしくない。

 沙月も一枚絵に目をやった。知らないキャラクターがポーズをとった立ち絵だ。カラフルすぎる色使いが、この部屋とはミスマッチのように思えた。


 しばらくして、佐渡はお盆に3つのマグカップを載せてやってきた。湯気が立つホットコーヒーだ。

 

「君はお母さんのことを、どれくらい知っているの?」

「何も知りません。まだ赤ちゃんの時に私は捨てられました。私にとっても、母はテレビ越しにしか見えない女優の涼森れいなでした」


 そうか、と佐渡はコーヒーをひと口すずると、なぜかニコリと笑って孝太の方に目を向けた。


「しっかりしただね」

「え? あ、はい」

「白草くんは、彼女とどこで出会ったの?」

「たまたま雑誌の取材先にいたんです。彼女の家は、雰囲気の良い喫茶店でして」


 隣に座る孝太は、まるで面接官に睨まれているように、汗を拭いながら答えた。


「へえ。ぜひ今度お邪魔してみるよ」


 佐渡の視線が沙月に戻る。


「それで君が知らない涼森れいなのことが聞きたくて、この家にやってきた訳だね」


 沙月は佐渡を見つめたまま、コクンと小さく頷いた。彼はまたニコリと笑った。「やっぱり君とれいなさんは似ているよ」と。


「少し長くなりますよ。なんたってもう年寄りだ。妻に先立たれ、ひとり息子も家を出た。だだっ広い我が家でいつも一人だったから、ただの小話にも熱が入ってしまうからね」


 佐渡はソファの背もたれに深くもたれ掛かると、「あれはいつだったかな?」と何もない天井を見上げた。


「白草くんから聞いてると思うけれど、昔は文化テレビのディレクターをやっていてね。確か、はじめてれいなさんと会ったのは、ドラマや映画の撮影スタジオではなくて、バラエティ番組の収録現場だったはずだ」


 そうして、佐渡はポツリポツリと話し始めた。

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