3
「男の子?」
「うん、頭に角が生えた子ども」
沙月が頭に指を立てて説明すると、上枝さんは「ぷっ!」と吹き出してしまった。
「何それ? 東さん、それ本気で言ってる?」
「本気だったら、どうする?」
カフェラテを取ろうとした上枝さんの手が止まる。
「え……?」
沙月は視界の隅っこで、花壇で遊ぶゴーレムを見つけた。
「なんてね。冗談だよ」
「だ、だよねー! びっくりしちゃった」
同じクラスの上枝さん。吹奏楽部に所属していて、下の名前は確か「なおこ」。漢字は忘れてしまっていた。高校からの知り合いだ。
最初は、メガネを掛けてお化粧もファンデーションと眉毛くらいの大人しい印象だった。しかし、先月くらいからメガネも外し、化粧もマスカラやシャドウ、リップと、どんどん増えていった。よくある高校デビューだ。髪の毛もストパーを当てたのかもしれない。不自然なほどサラサラなのに、近くで見ると毛先が傷んでいる。
可奈ともよく話していたのを見かけた。そんな上枝さんに、昨日肩を叩かれた。
可奈から返事が来た。
私はずっと連絡していたのに、どうして上枝さんにはすぐに返すのか。正直、焦れったい気持ちもあったけれど、そういうものを全部まとめて答え合わせするために、夏休みになった今日も、上枝さんを呼び出して、可奈の「捜索活動」をする約束だったのだ。
「実は私、学校に来る前に可奈の家に寄ってきたんだ」
でも留守だった。インターホンを鳴らしても、寂しく木霊しただけ。
「片岡さんって、いつから学校来てないんだっけ?」
「うーん……先週は来てたはずだから、ここ3日前くらいからかな?」
カフェラテを置いた上枝さんは、ひとつ伸びをした。そして、どこか言いにくそうな表情で、顔を少し近づけてくる。
「ねぇ、東さんって片岡さんといつからト友達?」
「友達? えっと、幼稚園からだけど」
友達――トモダチ。
その言葉が妙にひっかかる。トモダチってなんだろう?
「片岡さんって、お父さんがいないんだよね?」
さらに声を潜めて、上枝はそう言った。沙月はなんだか陰口を聞かされているような気がして、敢えて耳は近づけなかった。
「そうだよ」
「昨日も言ったけど、クラスメイトたちの噂知ってる? 片岡さんって、夜な夜なおじさんと一緒に歩いてるんだって」
心臓がドキリとした。
親友の悪口を言われたからではなく、悪口を言われた現場を、こうもはっきりと直面したからだ。
平静を装うために、沙月はストローに口を着けた。カップを持つ手が震えている。
「それがどうしたの?」
「どうって……心配じゃない? だって片岡さんが悪い人と悪いこと《している》じゃないかって」
している。上枝さんはそう言った。やっぱり彼女は可奈をなんにも知らない。もし私なら、悪いことを「されている」と思うから。
「でも、ただの噂でしょ? それが本当に可奈だっていう証拠もないじゃない」
強がっているが、本心は願望だった。いつの日か孝太と話した「援助交際」の話が脳裏に蘇る。
――ネットなんて相手の顔も見えない暗闇だ。面と向かっておしゃべりするときの建前や仮面もない、本音が出やすいところなんだ
「そうだけどさ……」
上枝さんが弱々しく言った。
クラスメイトたちや目の前の上枝さんもそうだ。面と向かっては言えない本音を、噂という建前の仮面で隠して、陰口を叩く。
沙月はカフェラテを半分まで一気に飲み干すと、コップを置いた。拍子にカツン、と大きな音が鳴った。
「他には、どんな噂があるの?」
「え? うーんとね……」
さすがの上枝さんも、沙月の態度に少しだけ遠慮がちになっているようだった。言葉を選んでいるのだと、沙月には見えた。
「すごく派手なメイクしてた、とか」
「派手なメイク?」
「うん……マスカラどん! 口紅どん! って。それこそ、ヤンチャな中学生がするみたいだって」
頭の中で想像してみた。なんだか面白くなって、今度は沙月が笑いそうになってしまった。
「それ、本当に可奈かな?」
「私も噂に聞いただけだから、分からないんだけどね」
すぅーっと、カフェテリエのテラス席に、日が射す。上枝さんは慌てたようにバッグから薄手のカーディガンを取り出して自分の肩に掛けると、「日焼けが怖いからね」と舌を出して見せた。
花壇に愛想を尽かしたゴーレムは、近くにあるプールから聞こえてくる水泳部たちの水音に、顔と耳を傾けているようだった。
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