「男の子?」

「うん、頭に角が生えた子ども」


 沙月が頭に指を立てて説明すると、上枝さんは「ぷっ!」と吹き出してしまった。


「何それ? 東さん、それ本気で言ってる?」

「本気だったら、どうする?」


 カフェラテを取ろうとした上枝さんの手が止まる。


「え……?」


 沙月は視界の隅っこで、花壇で遊ぶゴーレムを見つけた。


「なんてね。冗談だよ」

「だ、だよねー! びっくりしちゃった」


 同じクラスの上枝さん。吹奏楽部に所属していて、下の名前は確か「なおこ」。漢字は忘れてしまっていた。高校からのだ。

 最初は、メガネを掛けてお化粧もファンデーションと眉毛くらいの大人しい印象だった。しかし、先月くらいからメガネも外し、化粧もマスカラやシャドウ、リップと、どんどん増えていった。よくある高校デビューだ。髪の毛もストパーを当てたのかもしれない。不自然なほどサラサラなのに、近くで見ると毛先が傷んでいる。


 可奈ともよく話していたのを見かけた。そんな上枝さんに、昨日肩を叩かれた。


 可奈から返事が来た。

 私はずっと連絡していたのに、どうして上枝さんにはすぐに返すのか。正直、焦れったい気持ちもあったけれど、そういうものを全部まとめてするために、夏休みになった今日も、上枝さんを呼び出して、可奈の「捜索活動」をする約束だったのだ。


「実は私、学校に来る前に可奈の家に寄ってきたんだ」


 でも留守だった。インターホンを鳴らしても、寂しく木霊しただけ。


「片岡さんって、いつから学校来てないんだっけ?」

「うーん……先週は来てたはずだから、ここ3日前くらいからかな?」


 カフェラテを置いた上枝さんは、ひとつ伸びをした。そして、どこか言いにくそうな表情で、顔を少し近づけてくる。


「ねぇ、東さんって片岡さんといつからト友達?」

「友達? えっと、幼稚園からだけど」


 友達――トモダチ。

 その言葉が妙にひっかかる。トモダチってなんだろう?


「片岡さんって、お父さんがいないんだよね?」


 さらに声を潜めて、上枝はそう言った。沙月はなんだか陰口を聞かされているような気がして、敢えて耳は近づけなかった。


「そうだよ」

「昨日も言ったけど、クラスメイトたちの噂知ってる? 片岡さんって、夜な夜なおじさんと一緒に歩いてるんだって」


 心臓がドキリとした。

 親友の悪口を言われたからではなく、悪口を言われた現場を、こうもはっきりと直面したからだ。


 平静を装うために、沙月はストローに口を着けた。カップを持つ手が震えている。


「それがどうしたの?」

「どうって……心配じゃない? だって片岡さんが悪い人と悪いこと《している》じゃないかって」


 している。上枝さんはそう言った。やっぱり彼女は可奈をなんにも知らない。もし私なら、悪いことを「されている」と思うから。


「でも、ただの噂でしょ? それが本当に可奈だっていう証拠もないじゃない」


 強がっているが、本心は願望だった。いつの日か孝太と話した「援助交際」の話が脳裏に蘇る。


――ネットなんて相手の顔も見えない暗闇だ。面と向かっておしゃべりするときの建前や仮面もない、本音が出やすいところなんだ


「そうだけどさ……」


 上枝さんが弱々しく言った。

 クラスメイトたちや目の前の上枝さんもそうだ。面と向かっては言えない本音を、噂という建前の仮面で隠して、陰口を叩く。


 沙月はカフェラテを半分まで一気に飲み干すと、コップを置いた。拍子にカツン、と大きな音が鳴った。


「他には、どんな噂があるの?」

「え? うーんとね……」


 さすがの上枝さんも、沙月の態度に少しだけ遠慮がちになっているようだった。言葉を選んでいるのだと、沙月には見えた。


「すごく派手なメイクしてた、とか」

「派手なメイク?」

「うん……マスカラどん! 口紅どん! って。それこそ、ヤンチャな中学生がするみたいだって」


 頭の中で想像してみた。なんだか面白くなって、今度は沙月が笑いそうになってしまった。


「それ、本当に可奈かな?」

「私も噂に聞いただけだから、分からないんだけどね」


 すぅーっと、カフェテリエのテラス席に、日が射す。上枝さんは慌てたようにバッグから薄手のカーディガンを取り出して自分の肩に掛けると、「日焼けが怖いからね」と舌を出して見せた。


 花壇に愛想を尽かしたゴーレムは、近くにあるプールから聞こえてくる水泳部たちの水音に、顔と耳を傾けているようだった。

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