ゴーレムは――と綾音は言いかけてから、3本目の煙草を取り出した。


 最後の1本なのか、綾音はセブンスターの箱を手でくしゃりと丸めると、キッチンカウンターのゴミ箱にポイと投げ捨てた。


「あの子は消えたよ。沙月が封印された記憶を見ている間に」


 消えた――そのひと言が、沙月の胸にチクリと刺さった。


「もう会えないってこと?」

「そうね。もう会えないかもね」


 そっか、もうゴーレムとは会えないのか。


 ゴーレムには特別な感情も無く、むしろ疎んじてさえいたのに、なぜこうも哀しく思えてくるのだろうか。なぜこうも胸が痛くて苦しいのだろうか。

 この夏の短い間に、沙月は怒濤の体験をした。まさに、女子高生の夏休み冒険活劇だ。その発端でもあり、象徴がゴーレムだった。旅仲間でもあったのに、冒険が終わると居なくなるなんて寂しいじゃないか、と沙月は思った。


 真夜中の喫茶パンチャの静けさは、傷心した沙月を優しく慰めてくれているようだった。が、それが余計に沙月の心を掻きむしる。れいなこそか、傷を癒し、慰めてくれるべき存在なのでは? 


 ようするに、れいなは逃げたのだ。

 自分が死に、娘が傷つかないようにと謳いながらも、その実は自分のせいで《えぐ》られるであろう娘の傷口を恐れたのだ、と。

 その考えが、沙月にとってはきれいに収まった。


「それで、これからどうするの?」

「え?」


 最後のセブンスターを消し終えた綾音が、例の如くメガネのブリッジをトントンと指で打つ。


「本当に、お姉ちゃんの本を書くの?」


 女優・涼森れいなの本。

 世間が評価する彼女は、娘である自分を捨てた。真実を知り、正直に言うと、母への憎悪は不思議と消えていた。特別な好感が生まれた訳でもないが、佐渡や北野、そしてゴーレムこと萩原海の母・みどりの話を聞いているなかで、母への感情は平べったくなっていたのだ。


 沙月は、すでに答えが出ているにも関わらず、たっぷりと時間を置いて「うん」と頷いた。

 綾音も「そう」とだけ答えて、それ以上は何も言及しなかった。


 いつの日か――沙月は自分がれいなの本を書きたいと打ち明けた時のことを思い出した。

 その時と比べると、沙月の心は不気味なほど落ち着き、澄んでいた。母であるれいなの好嫌は変わらずとも、霞は晴れた。

 自分には綾音がいる、親友もいる。沙月は、慣れ親しんだ喫茶パンチャのカウンターで、ホットコーヒーを飲みながらそんなことを考えていた。

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