第三章
1
ポツリ、ポツリと、点滴が落ちる。
ピコン、ピコンと、電子音が鳴る。
ねぇ、いつまで寝てるのよ?
はやく起きてよ。私、いっぱい悪いことしちゃったんだ。
「だから……ね?」
ガラガラと、廊下から台車の音が聞こえてきたかと思うと、部屋の前でちょうど止まった。
「入りますよ……って、あれ? 今日も来ていたの?」
振り替えるとナースがいた。昔はよく遊んでもらった、同じ団地に住むチエ姉ちゃんだ。
「どうしたの? 学校はもう――」
チエ姉ちゃんの言葉を遮って、一目散に病室を飛び出す。廊下は走っちゃだめ! と怒られたから、仕方なく早歩きにしてみる。
病院には顔見知りが多い。ジロジロと嫌な目線が飛んで来る。
――あの子、変わったわね。
――よほどショックだったのよ。
こんなんじゃ学校と同じだ。みんな影でコソコソ言って。
――私見たよ。オトコの人と歩いてた。
病院を出てすぐ、スマホの機内モードを解除したところで、ちょうど着信がかかってきた。彼女は出ようか迷ったけれど、直前でやめてしまった。
ごめんね。私はもう――
外は茹だるような暑さだった。広がる田んぼが陽炎で揺れる。裏山のひぐらしが、寂しく鳴いた。
◯
沙月と孝太は、近くのファミレスに来ていた。
通されたのは四人がけのボックス席。しかし、二人は横に並んで座る。
だって、目の前には……。
「ご注文はお決まりですか?」
「あ、えっと、ドリンクバーを3つ……いや! 2つで!」
手前に座る孝太が、慌てて(かつ愛想良く)オーダーを伝える。学生さんだろうか。金が少しだけ混じった長髪を後ろで束ねた店員さんが、「かしこまりました」と訝しげに注文電卓を叩く。
せっかく広い席に通したのだから、わざわざ並んで座らなくても、と彼女の目は言っていた。
笑顔のまま、孝太は店員さんの背中を追った。色を追っているのではない。ニコニコと隠し事をしているのだ。そうして彼女がバックヤードへ入ってしまうと、バッと真顔に戻った孝太と目が合った。
「やっぱり見えない……のかな?」
「た……たぶん」
ふたりは恐る恐る、ゆっくりと対面のシートに顔を向ける。
「本当に誰にも見えないの?」
沙月の問いに、目の前の少年はコクリと頷いた。
今、沙月たちには、2人にしか見えない少年と向かい合っているのだ。
「ぼくはコーラが良い」
少年が指差した先にはドリンクバーがあった。ちょうど、コーヒーを淹れていた他のお客さんと目が合う。彼もまた、「どうしてボックス席に並んで座っているのだろう?」と驚いた顔をしてみせた。
さっきの女学生アルバイターだって、いまごろはバックヤードで同僚たちに愚痴っているのかもしれない。
「お、俺はコーヒー」
「え?」
「沙月ちゃんは、何飲む?」
孝太が立ち上がる。抜け駆けめ。
「わ、私もコーヒーで」
わかったと言って、孝太は少しだけ早足でドリンクバーへと向かった。2人きり(他の人から見ればひとりなのだけれど)になって、沙月は目の前の少年をまじまじと見つめた。
小さな、たぶん小学生くらいの男の子。坊主頭に近い短髪に、真っ白な半袖Tシャツと、カーキ色の半ズボン。靴もちゃんと履いているのに、本当に、本当に他の人には見えていないのかも。
思いっきり、自分の頬をつねってみた。イテテ……。夢じゃない。
どうしてこんなことがあるのか?
切れ長の涼しげな瞳に、うっすらリンゴっぺの肌。沙月と同じく、夏なのに肌が白いところ以外、普通の男の子と変わりはない。それだけならただの手の込んだイタズラだろうと思うけれど、さっきの人たちの反応と、他にもどうしても納得せざるを得ない理由もちゃんとあった。
綺麗な丸い頭のてっぺんに生える、一本の角。いつの日か部屋で見かけた、例の少年お化けだ。
そして何を隠そう、彼こそが、母の秘密を知るゴーレムだの言うのだ。
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