第三章

 ポツリ、ポツリと、点滴が落ちる。

 ピコン、ピコンと、電子音が鳴る。


 ねぇ、いつまで寝てるのよ?

 はやく起きてよ。私、いっぱい悪いことしちゃったんだ。


「だから……ね?」


 ガラガラと、廊下から台車の音が聞こえてきたかと思うと、部屋の前でちょうど止まった。


「入りますよ……って、あれ? 来ていたの?」


 振り替えるとナースがいた。昔はよく遊んでもらった、同じ団地に住むチエ姉ちゃんだ。


「どうしたの? 学校はもう――」


 チエ姉ちゃんの言葉を遮って、一目散に病室を飛び出す。廊下は走っちゃだめ! と怒られたから、仕方なく早歩きにしてみる。


 病院には顔見知りが多い。ジロジロと嫌な目線が飛んで来る。

――あの子、変わったわね。

――よほどショックだったのよ。


 こんなんじゃ学校と同じだ。みんな影でコソコソ言って。

――私見たよ。オトコの人と歩いてた。


 病院を出てすぐ、スマホの機内モードを解除したところで、ちょうど着信がかかってきた。彼女は出ようか迷ったけれど、直前でやめてしまった。


 ごめんね。私はもう――


 外は茹だるような暑さだった。広がる田んぼが陽炎で揺れる。裏山のひぐらしが、寂しく鳴いた。



 沙月と孝太は、近くのファミレスに来ていた。


 通されたのは四人がけのボックス席。しかし、二人は横に並んで座る。


 だって、目の前には……。


「ご注文はお決まりですか?」

「あ、えっと、ドリンクバーを3つ……いや! 2つで!」


 に座る孝太が、慌てて(かつ愛想良く)オーダーを伝える。学生さんだろうか。金が少しだけ混じった長髪を後ろで束ねた店員さんが、「かしこまりました」と訝しげに注文電卓を叩く。

 せっかく広い席に通したのだから、わざわざ並んで座らなくても、と彼女の目は言っていた。


 笑顔のまま、孝太は店員さんの背中を追った。色を追っているのではない。ニコニコと隠し事をしているのだ。そうして彼女がバックヤードへ入ってしまうと、バッと真顔に戻った孝太と目が合った。


「やっぱり見えない……のかな?」

「た……たぶん」


 ふたりは恐る恐る、ゆっくりと対面のシートに顔を向ける。


「本当に誰にも見えないの?」


 沙月の問いに、


 今、沙月たちには、2人にしか見えない少年と向かい合っているのだ。


「ぼくはコーラが良い」


 少年が指差した先にはドリンクバーがあった。ちょうど、コーヒーを淹れていた他のお客さんと目が合う。彼もまた、「どうしてボックス席に並んで座っているのだろう?」と驚いた顔をしてみせた。


 さっきの女学生アルバイターだって、いまごろはバックヤードで同僚たちに愚痴っているのかもしれない。


「お、俺はコーヒー」

「え?」

「沙月ちゃんは、何飲む?」


 孝太が立ち上がる。抜け駆けめ。


「わ、私もコーヒーで」


 わかったと言って、孝太は少しだけ早足でドリンクバーへと向かった。2人きり(他の人から見ればひとりなのだけれど)になって、沙月は目の前の少年をまじまじと見つめた。


 小さな、たぶん小学生くらいの男の子。坊主頭に近い短髪に、真っ白な半袖Tシャツと、カーキ色の半ズボン。靴もちゃんと履いているのに、本当に、本当に他の人には見えていないのかも。


 思いっきり、自分の頬をつねってみた。イテテ……。夢じゃない。


 どうしてこんなことがあるのか?

 切れ長の涼しげな瞳に、うっすらリンゴっぺの肌。沙月と同じく、夏なのに肌が白いところ以外、普通の男の子と変わりはない。それだけならただの手の込んだイタズラだろうと思うけれど、さっきの人たちの反応と、他にもどうしても納得せざるを得ない理由もちゃんとあった。


 綺麗な丸い頭のてっぺんに生える、。いつの日か部屋で見かけた、例の少年お化けだ。

 そして何を隠そう、彼こそが、母の秘密を知るゴーレムだの言うのだ。



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