シャワーを浴びた後、自室に戻った沙月は何度か躊躇ったものの、結局は綾音に渡された名刺の番号に電話をかけたのだった。


 プルルルル……と何度か呼び出し音が鳴った後、留守番電話のアナウンスが聞こえる。沙月は何もメッセージを残さず、電話を切るとスマフォを布団の上に放り投げた。そこで初めて、自分は緊張していたことに気がついた。


 ほっと溜息をひとつ。しかし、すぐさま電話が鳴った。

 心臓が飛び跳ねるとはこのことで、沙月は布団の上のスマフォに飛び掛かった。


「も、もしもし!?」

「あ、先ほどお電話をいただいた者なのですが……」


 電話口のせいかもしれないが、孝太の声は昼間の時よりも弱々しく聞こえた。おかげで、少し緊張が解けた。


「えっと私、今日取材に来てもらったパンチャの……東綾音の姪の沙月です」

「沙月ちゃん? どうしたの?」

「今、大丈夫ですか?」

「今? ちょっと待ってね」


 電話越しに、ピーピーと音が聞こえた。もしからたら孝太は車を運転していたのかもしれないと、沙月は悪く思ってしまった。


「大丈夫だよ。何かあったの?」

「えっと、その……私、母のことを書きたくて、その……何をどう書けば良いのかわからなくて」


 思わず早口になってしまった。ある程度は頭の中でしたのに。


「なるほどね。昼間の続きってことか」


 うーむ、と孝太は唸った。その声は、沙月の知っている彼の声に戻っていた。


「まず、聞きたいんだけど」

「……はい」

「沙月ちゃんは、お母さんの何が書きたいの?」

「えっと、それは」


 言葉が詰まる。私は母の何が書きたいのか。

 しばらく沈黙が続いた。あれこれ考えようとしても「急いでるから早くしてくれないか」と言われるのではないかとビクビクして、まとまらない。


「分かりません」


 結局、沙月はそうとしか答えられなかった。しかし、孝太はしっかりと彼女の答えを聞いてくれた。


「よし。じゃあ、まずは沙月ちゃんが知っているお母さんのことを教えてくれない?」

「私がしっていること……ですか?」

「うん。もっと言うと、沙月ちゃんがどうしてお母さんのことを書きたいと思い立ったのか、ゆっくりで良いから理由も教えてよ」

「……わかりました」


 沙月は大きく深呼吸した。それから「私の母は――」と、孝太に話し始めた。


 沙月の母――涼森れいなは、本名はあずま玲奈れいなと言う。生まれは1969年の5月6日。血液型はAB型。生まれも育ちも沙月たちが暮らしているところと一緒だが、高校を中退して上京し、女優となったのだ。


「そして、私が生まれました」

「それはいつ?」

「私が生まれたのは2001年の8月23日です」

「へえ、てっきり冬に生まれたのかと思ってたよ」


 肌が真っ白だからね、と孝太は笑った。

 

「それから、お母さんは?」

「はい。それからは正直、母はずっとテレビの向こう側のひとでした」

「昼間に言ってたよね? 叔母さんである綾音さんが母親代わりだったって」


 はい、とだけ答える。

 沙月は昔から、本当の母を知らない。テレビの向こうの、ずっと遠くにいたから。


「幼稚園の送り迎えも叔母さんが?」

「そのへんは覚えていないんです。でも、きっとそうだと思います」

「お母さんと実際に会ったこともないの?」

「いえ、実は一度だけ」


 あれは沙月が中学生の時だった。

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