4本目のUSBが空になる頃には、すでに編集室には自分たちしか居なかった。


 白草しらくさ孝太は、沙月とシェアしていたイヤホンを外すと、ひとつ伸びをした。正直疲れた。陽もだいぶと傾いてきた。北野が用意したデータは、すべてが『絆創膏』のメイキングビデオだった。専門ではなく、たまたまそこに居た誰かがカメラを廻していたのだろう。長時間の素人撮りのせいもあって、余計に窮屈だった。

 手元にあるメモを見返す。乱れた文字は、USB1本目まで。最初から最後まで、本編を予習していた彼にとっては、目新しいヒントは何も見つけることができず、早々にメモは諦めたのだ。

 無駄足かな――そう考えながら、隣の沙月をひと目見る。彼女は真っ暗になった画面をイヤホンも取らずただじっと見つめてる。


「何か見つけた?」

「え?」沙月は驚いた顔を向けた。

「『絆創膏』のメイキングだよ。見てたでしょ? 何か分かった?」


 言っておきながら、愚問だと思った。気づくもなにも、彼女は母の元を知らない。避けてきたのだから。

 孝太はゴーレムを探してみた。少年は相変わらずといった表情で、用意した椅子に座って、ウトウトと頭を打っている。


 メイキング映像は本命だと、孝太は思っていた。きっと何か、重大なことが隠されているはずだ、と。しかし、それには前知識が少なすぎたのだ。沙月と同じで孝太自身も涼森れいなに馴染みがない。佐渡に見せたら、何か思い出すかもしれないし、もっと多くの人にあたって、それから後々確認してみたら、見えかたが変わったかもしれない。データを貰おうか。しかし、きっと北野は頷かないだろう。


 その時だった。帰ろう、と沙月に声を掛けようと立ち上がりそうになった正にその時――沙月が「そうだ」と声をあげた。


「さっきのゾウの絆創膏、家でも見たことあります!」



 自宅に帰るとすぐに、沙月は文字通り部屋の中をひっくり返すようにして探した。叔母である綾音は彼女の日帰りに驚いていたけれど、今はそれどころではない。


「そういえば、涼森れいなさんが美術さんにお願いしていたのを思い出したわ」


 編集室で『絆創膏』のメイキングを見終えた後、北野さんはそう教えてくれた。あのゾウの絆創膏も、カラフル・アカデミーで用意した小道具だったから、と。

 涼森れいなは、それを一個人として受け取った。小道具に限らず、衣装なども、気に入った演者さんが私物として購入することは珍しくはない。


「でも、あれって子ども用サイズの絆創膏なのよね。大人が使うには小さすぎるし、イラストもあるから、なんというか――」


 憚れる――そうだ、大の大人がイラストの入った子ども用の絆創膏を使う訳がない。帰りの新幹線の中で、孝太が北野さんの言葉をそう解釈してくれた。


「もしかしたら、その絆創膏は君のために貰ったのかもね」と孝太はそう言った。


 それが決め手になったのだ。ドラマでも使われたあの絆創膏は、確かに家でも見たことがある。市販の、どこにでも売っているものらしいから、もしかしたら母には関係ない物かも知れないが、直感とでも言うべきか、孝太の言葉もあって、沙月の中でぴったり綺麗に収まったのだ。

 

 自室を隅から隅まで探した後は、階段を降りて、今度は居間に向かった。


「ちょっと! 可奈ちゃんと旅行じゃ無かったの?」


 綾音に強く肩をひっぱられて、沙月は手を止めた。


「泣いてるの?」


 沙月の丸い頬を、ひと筋の涙が這い落ちた。理由も正体も分からない。ただ、彼女の奥から込み上げてくるものに押し出され、溢れる。畳の上に小さな染みができた。


「どうしたのよ? 何があったの?」


 綾音は、困惑しているのだろう。そして、得たいの知れない涙を拭い、沙月は正直に母の過去を探していることを綾音に話した。

 今日も孝太と共に岐阜まで行ったこと。ドラマに出てきたゾウの絆創膏が、どこかで見たことがあること。

 涙は止んだ。沙月が話し終えてから、綾音はゆっくりと口を開いた。


「そんなにお母さんのことが知りたいの?」


 沙月はドキリとした。私はどうしてこんなにも躍起になっているのか。元はと言えば、母の本を書くためだ。しかし、沙月は母を知りない。知っているのは、まだ幼い自分を捨てた、冷酷な女ということだけ。


「分からない……けれど、私もひとりの娘として、母のことが知りたい。だって、話を聞けば聞くほど、皆は涼森れいなを誉めるんだもの。そして今日、初めてに近いくらい、涼森れいなのビデオを見た。ドラマや映画じゃなく、メイキングに写った素の母を。思わず惹き付けられた。皆が称賛するのも、少しだけ分かった気がする。だから私も、ひとりの娘として、涼森れいなというがどんな母だったのか、なぜ私を捨てて芸能界に戻ったのか、真実が知りたいの」


 たとえ、我が子より芸能界を選んだという、それだけの理由でも、真実として、沙月は受け入れる覚悟が出来ていた。


 綾音は深くため息をつく。そして、「分かった」とだけ言葉を残して、居間にある鏡台の引き出しから、それを取り出した。


 ドラマで見た――ゾウの絆創膏。


「これを探しているんでしょ?」


 それはすっかり色褪せていた。可愛らしいパッケージのイラストも、過去に置き去りにされたかのよう。沙月はそれを丁寧に――強く掴むと崩れそうな気がしたから――受けとる。


「あなたが言った通り、お姉ちゃんが撮影から持って帰ってきたものよ」


 封は空いていた。中には残り数枚の絆創膏が入っている。


「どうして? どうして叔母さんがこれを?」


 綾瀬はニコリと笑った。そして、

「あとは


 彼女が指さす先には、いつのまにかゴーレムがいた。頭に一本の角が生えた少年――彼は沙月が持つ絆創膏を手にとると「」とどこか機械的にそう呟いた。


「どういうこと? 叔母さんにもゴーレムが見えていたの!?」


 綾音は何も答えることなく、ただ笑顔のまま、静かにこう言った。


「いってらっしゃい」


 突然――沙月の視界が揺れた。目の前にいる綾音とゴーレムがグニャリと歪む。手に、小さな何かが触れた。おそらく、ゴーレムが手を握ってきたのだろう。ぐいと、引っ張られる感覚があった。

 やがて、視界が真っ白になったかと思うと、蝉の鳴き声と風鈴の音色が、徐々に大きく聞こえてきた。視界が戻る。先程まで自分たちがいた居間が。だが様子がおかしい。沙月は思わず「あ!」と声をあげた。なにしろ目の前には、綾音でもゴーレムでもなく、ずっと追いかけていた、女優・涼森れいなが、居間の鏡台の前に座っていたのだから。



(「第七章」へつづく――)

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