少年に自室のベッドを譲って、自分は先日のように1階の居間で、綾音と一緒に寝ることにした。


 眠たいと言ったゴーレムだけれど、沙月は深く追いかける気になれなかったのだ。あくまでも探しているのは母のこと。ゴーレムはその道のりのひとつ。はっきりさせなくちゃ。


 そんなことを考えながら寝返りをうつと、隣の布団では、うつ伏せになった綾音が読書灯だけを着けて雑誌を読んでいた。


――綾音さんが仕掛人かもしれないよ?


 蒸し暑い夏の夜に包まれて、不安はどんどん大きくなる。


「ねぇ? 叔母さん」

「なに?」


 パサリと雑誌を捲る音が、綺麗に聞こえた。


「お母さんって、1度も帰って来なかったの?」

「そうよ」

「お盆とか、年末年始とかも?」

「まったくね」

「じゃあ、ずっと東京に?」

「うん。きっと、東京のテレビ局の人たちの方が、お姉ちゃんのことを良く知ってるのかもね」

「テレビ局のひと?」


 そっか! そうだったのか!

 沙月は、どうして今までに気がつかなかったのかと、驚いてしまった。


 母の身内から攻めるのではなく、ブログを書いてファンの方たちへアプローチするのでもない。往年の母の居場所は、東の都の、ブラウン管の向こう側ではないか。

 自分だって、テレビの向こう側の母――女優の涼森れいなのことしか知らないのに。

 まるで、天から垂れた一本の蜘蛛の糸だ。


 鼓動が激しくなった。心臓が打つ音が、自分でも分かるくらい。心の中で、その蜘蛛の糸がどんどん立派になっていく。きっと、いちばんの母への近道だろう。


「待って……」


 綾音が突然言った。いつの間にか雑誌も畳んでいる。


「な……なに?」


 綾音と目が合う。沙月は、心の声が漏れていたのではないかと、少しだけ心配になった。叔母の目は、読書灯の光を反射して、妙に光っていたから。


「お姉ちゃん、1度だけ帰ってきた気がする」

「え? いつ!?」


 ずっと東京にいたと言ったばかりなのに、今度は「帰ってきたことがある」のだと。綾音が眼鏡も掛けていないのに、いつもの癖で眉間をトントンと指で打った。


「それがね……思い出せないの」

「思い出せない?」

「うん。なんだかノイズがかかってるみたいに。はっきりと帰って来た記憶がある訳じゃなくて、漠然とそんな気がして」


 そして――


「思い出せない……もう寝る」


 そう言って、綾音は枕元の読書灯を消すと、寝返りをうって背中を向けてしまった。


「ちょっと!」


 肩に手を当てて軽く揺すってみても、彼女はすでに夢の中。静かに寝息をたてていた。


「もうっ……」


 母が帰って来たことがある?

 いつ? どうして?


 ゴーレムといい、綾音といい、母のことになるとどうしてすぐに寝てしまうのか。


 ため息をひとつ。

 少しの苛立ちもあったけれど、心配することなかれ、沙月の頭上には、例の蜘蛛の糸があるのだ。


 私には催眠術の技でも持っているのかしら? と、心の中でひとりで笑ってみた。


 テレビ局の人、か……。

 新たに見えた道しるべ。その蜘蛛の糸は、はたして彼女をどこへ連れていくのだろうか。

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