3
「沙月ちゃんはアルバイト?」
「あ、いえ……ただのお手伝いです」
「彼女はここで、一緒に住んでいるのよ」
サイフォンに火をかけながら、綾音が言った。
「そうなんですか。あらら、聞いちゃ不味かったかな?」
「いえいえ、私にしてみたら、昔から叔母さんが母親なんです」
そう言って、沙月は自分でも驚いた。どうして自分は初めって会ったこの人に、こんなことを言っているのだろうか。
自分にとって、いちばん触れてほしくないことなのに。
「ごめんね、変なこと聞いて」
孝太はそう言うと、テーブルの上に灰皿とこの店特製のマッチを見つけて、それを取り上げた。
「東さん、ここって煙草も吸えるんスか?」
「ええ、良かったら吸ってくださいね。私もヘビーの煙草飲みなのよ」
「ありがとうございます。あ、でも沙月ちゃんがいたら悪いか」
綺麗な子だから、と孝太はサラッと言った。
「私は構いませんよ。普段から慣れてるし」
隣でコーヒーを淹れる綾音を見ると、彼女はバツが悪そうに舌を出してみせた。
「それじゃ、遠慮なく」と孝太はポッケからくしゃくしゃになった煙草を取り出すと、お店のマッチで火を着けた。
沙月は、気がつけば孝太の行動を――もっと言うと彼の人間性について、ある種の好奇心が沸いていた。
この人の前ではしっかり気を引き締めなければ、と。反対に何でも話してしまいたくなる、妙な雰囲気にも気になっていた。
この人には、母のことがどう見えるのか――
「白草さん、変なこと聞いていいですか?」
「何かな?」
「ライターて何を書くの?」
煙草を咥えたまま、孝太の動きが一瞬だけ止まった。
「本当に変なこと聞くわね」
振り向くと、綾音も手を止めてこちらを見ていた。眼鏡が少しズレている。
「うーん……」
孝太は煙草の火を丁寧に潰してから、ひとつ伸びをしてみせた。
「俺が文章を書くときに心掛けてるのはねぇ……」
沙月はドキリとした。孝太が、ライターではなく俺がと前置きしたからだ。彼女が知りたいのはライターである彼自身の考えで、言ってもいないのにその質問の意図を見透かしたように、自然と自分のことを言おうとしているのだ。
「素直に書くこと、かな?」
「素直に?」
「そうだね。うん、そうだよ。俺はそのお店のことを素直に、自分が思ったこと、感じたことをそのまま書こうと思ってるよ」
きっと嘘や方便ではない。そんなことくらい、沙月にも分かった。
「なら、悪いことも、素直に書くんですか?」
「悪いことがあればそうなるね」
ちょうど、綾音がアイスコーヒーを持ってきた。
どうぞ、の代わりに「私のお店は良く書いてくださいね」と言いながら。
素直に――孝太の言葉がリフレインする。パンチャの店内には、濃い影が蔓延り始めた。そして、気がつけば沙月は、もう抑えきれず、無意識のうちにこう言っていた。
「白草さんは、私の本当の母が、先日亡くなった女優の涼森れいなだってことを知っていましたか?」
「え!? そうなの?」
孝太は沙月ではなく、綾音に目を向けた。綾音は、ゆっくりと頷いた。
オートバイが通り過ぎていく音が聞こえてきた。テーブルに出されたアイスコーヒーの氷が溶けて、カランと小さく鳴った。
◯
「本日はありがとうございました。今度はカメラマンと来ますから」
あの後、孝太は綾音とアイスコーヒー一杯分の雑談をして席を立った。
「結構イケメンね」
孝太を見送り、コーヒーグラスを洗う沙月の隣で、綾音は面白そうに言った。
外はずいぶんと暗くなっていて、お化けやら妖怪やら鬼やらが隠れるにはぴったりな陰りが、店内にも落ちていた。
「叔母さん」
「なに?」
「私、お母さんの本を書きたい」
綾音は驚かなかった。
ただ、顔から笑みが消えて、「そう」と答えただけであった。メガネに親指を当てることもしなかった。
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