「秘密は知ってる。でも教えられない」


 きっと、まだ声変わりもしていないだろう少年の高く澄んだ声が、沙月の心をチクリとつつく。


「教えられないって、どういうこと?」


 綾音のお手製ブレンドを毎日飲んでいる彼女にとっては、お世辞にも美味しいとは言い難いドリンクバーのコーヒー。何杯目かのそれを飲んで、いよいよ思い出した。


 おかげで、不馴れな現状にもようやく落ち着いてきた。そうだ。すべては母の秘密を知るため。だからこそ、この暑いなか長い坂を登って、勇気を出してゴーレムの待つ牛神神社へも行ったのだ。


「鍵がないからね」

「鍵……?」


 なのに、目の前の少年は、「教えられない」と言ってのけた。鍵が無いから、と――。


「どうして? 教えてくれるんじゃなかったの? お母さんのこと。涼森れいなのこと!」


 思わず声が大きくなる。周りのお客さんたちや、さっきの女学生アルバイターたちの視線が飛んで来る。


「ぼくはゴーレム。秘密を守る番人です」


 少年はまたしても、静かにそう言って、コーラのストローに口をつける。


「落ち着いて」隣に座る孝太が制した。「俺に任せてくれないか?」


 ゴホン、の孝太か咳払いをひとつ。


「ゴーレム君。まず確認なんだけど」


 いつの間にか、彼は冷静さを取り戻していた。あの日か聞いた、彼女自身にも向けたライター孝太としての声音だ。


「君は、彼女の母で、そして大女優だった涼森れいなのことを知っているんだよね?」

「うん」少年が素直に頷く。

「でも教えられない。それは鍵……がないからだよね?」


 再び、少年がゆっくりと首を縦に振った。


「じゃあ、どうして君は涼森れいなのことを知っているの? 誰から聞いたの?」


 ここで初めて、少年のリアクションが止まった。躊躇しているのだろうか。沙月は2人のやりとりを聞くことしかできなかったけれど、必死になって心のメモ帳に書き込んでいた。


「それも教えられない?」

「うん」

「誰にたいしても秘密なの? 秘密を話してもいい人はいる? もしくは、君のように秘密を知っている人が、他にもいるの?」

「いるよ」

「誰?」


 沙月も同時に、「それは誰?」と声を出さずに心にメモをした。


「僕に秘密を守れと、命じたひと」


 孝太と視線が合う。その表情かおには、「拉致があかないね」と「ようやくヒントを見つけたね」の2つが混在しているように見えた。


「それを教えてくれたら嬉しいんだけどね。少しくらいヒントとかないの? 鍵って言ったよね? それってよくある普通の鍵なの? それともなにかキーワード的な?」


 まるで取り調べだ。やっと見つけた糸口を引っ張ろうと、質問攻めをする孝太。


 そのとき、沙月の携帯がなった。


 綾音からだ。慌てて通話ボタンを押すと「どこにいるの? はやく帰ってきなさい」と少しだけお怒りだった。


 時刻はすでに午後6時を過ぎていた。再び、孝太と目で会話をする。「これから、どうしようか?」


 時間帯かしら? 店内には人が増えてきたような気がする。女学生アルバイターも、忙しそうに行ったり来たりを繰り返していた。


「帰りましょう」

「でも、この子はどうするの?」


 誰にも見えない少年。実は、彼女の中では答えは決まっていた。


 その前に――


「ねぇ? どうして私と孝太さんにしか、君が見えないの?」


 少年を見ると、彼も見返してきた。


「秘密を知りたいって、僕を呼んだからだよ」


 それから、ゆっくりとコーラをひとくち飲んでから、こう付け加えた。


「それに、お姉ちゃんには、鍵をもつ資格があるから」


 ゴーレム少年のコップが空になった。氷が溶けて、カランと音が鳴る。


「私が連れて帰ります」

「え?」

「喫茶パンチャに」


 自分たちにしか見えない。ならいっそ、便乗してやろうじゃないか。非現実的といくら拒むより、そういうものとしてすんなり受け入れたほうが楽だ。

 信号は青になったら渡る。小石を真上に投げると落ちてくる。この少年は他の誰にもみえない。


 店を出ると、西の山際はオレンジ色の雲が揺蕩っていた。別れ際まで、孝太は止めた。でも沙月は意地を通した。


「だって、この少年は母のことを知っているもの」


 でしょ? と聞くと、少年はコクンと頷いた。


「それに、聞きたいことだってまだまだたくさんある。この子が本当にお母さんの秘密を知っているのなら、これは私の問題だから」


 孝太はいよいよ折れてくれた。

 綾音さんにはなんて言うの? と聞かれたけれど、どうせ見えないからと返すと、彼は優しく笑った。


「お母さんとゴーレムと、この夏はたいへんだね」


 そうやって、街灯が薄く照らす商店街を、彼ら3人は歩いていった。

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