3
「秘密は知ってる。でも教えられない」
きっと、まだ声変わりもしていないだろう少年の高く澄んだ声が、沙月の心をチクリとつつく。
「教えられないって、どういうこと?」
綾音のお手製ブレンドを毎日飲んでいる彼女にとっては、お世辞にも美味しいとは言い難いドリンクバーのコーヒー。何杯目かのそれを飲んで、いよいよ思い出した。
おかげで、不馴れな現状にもようやく落ち着いてきた。そうだ。すべては母の秘密を知るため。だからこそ、この暑いなか長い坂を登って、勇気を出してゴーレムの待つ牛神神社へも行ったのだ。
「鍵がないからね」
「鍵……?」
なのに、目の前の少年は、「教えられない」と言ってのけた。鍵が無いから、と――。
「どうして? 教えてくれるんじゃなかったの? お母さんのこと。涼森れいなのこと!」
思わず声が大きくなる。周りのお客さんたちや、さっきの女学生アルバイターたちの視線が飛んで来る。
「ぼくはゴーレム。秘密を守る番人です」
少年はまたしても、静かにそう言って、コーラのストローに口をつける。
「落ち着いて」隣に座る孝太が制した。「俺に任せてくれないか?」
ゴホン、の孝太か咳払いをひとつ。
「ゴーレム君。まず確認なんだけど」
いつの間にか、彼は冷静さを取り戻していた。あの日か聞いた、彼女自身にも向けたライター孝太としての声音だ。
「君は、彼女の母で、そして大女優だった涼森れいなのことを知っているんだよね?」
「うん」少年が素直に頷く。
「でも教えられない。それは鍵……がないからだよね?」
再び、少年がゆっくりと首を縦に振った。
「じゃあ、どうして君は涼森れいなのことを知っているの? 誰から聞いたの?」
ここで初めて、少年のリアクションが止まった。躊躇しているのだろうか。沙月は2人のやりとりを聞くことしかできなかったけれど、必死になって心のメモ帳に書き込んでいた。
「それも教えられない?」
「うん」
「誰にたいしても秘密なの? 秘密を話してもいい人はいる? もしくは、君のように秘密を知っている人が、他にもいるの?」
「いるよ」
「誰?」
沙月も同時に、「それは誰?」と声を出さずに心にメモをした。
「僕に秘密を守れと、命じたひと」
孝太と視線が合う。その
「それを教えてくれたら嬉しいんだけどね。少しくらいヒントとかないの? 鍵って言ったよね? それってよくある普通の鍵なの? それともなにかキーワード的な?」
まるで取り調べだ。やっと見つけた糸口を引っ張ろうと、質問攻めをする孝太。
そのとき、沙月の携帯がなった。
綾音からだ。慌てて通話ボタンを押すと「どこにいるの? はやく帰ってきなさい」と少しだけお怒りだった。
時刻はすでに午後6時を過ぎていた。再び、孝太と目で会話をする。「これから、どうしようか?」
時間帯かしら? 店内には人が増えてきたような気がする。女学生アルバイターも、忙しそうに行ったり来たりを繰り返していた。
「帰りましょう」
「でも、この子はどうするの?」
誰にも見えない少年。実は、彼女の中では答えは決まっていた。
その前に――
「ねぇ? どうして私と孝太さんにしか、君が見えないの?」
少年を見ると、彼も見返してきた。
「秘密を知りたいって、僕を呼んだからだよ」
それから、ゆっくりとコーラをひとくち飲んでから、こう付け加えた。
「それに、お姉ちゃんには、鍵をもつ資格があるから」
ゴーレム少年のコップが空になった。氷が溶けて、カランと音が鳴る。
「私が連れて帰ります」
「え?」
「喫茶パンチャに」
自分たちにしか見えない。ならいっそ、便乗してやろうじゃないか。非現実的といくら拒むより、そういうものとしてすんなり受け入れたほうが楽だ。
信号は青になったら渡る。小石を真上に投げると落ちてくる。この少年は他の誰にもみえない。
店を出ると、西の山際はオレンジ色の雲が揺蕩っていた。別れ際まで、孝太は止めた。でも沙月は意地を通した。
「だって、この少年は母のことを知っているもの」
でしょ? と聞くと、少年はコクンと頷いた。
「それに、聞きたいことだってまだまだたくさんある。この子が本当にお母さんの秘密を知っているのなら、これは私の問題だから」
孝太はいよいよ折れてくれた。
綾音さんにはなんて言うの? と聞かれたけれど、どうせ見えないからと返すと、彼は優しく笑った。
「お母さんとゴーレムと、この夏はたいへんだね」
そうやって、街灯が薄く照らす商店街を、彼ら3人は歩いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます