佐渡はバラエティ番組の収録で、初めて涼森れいなと会った。


「20年以上も前かな? 当時の彼女は新人女優の中でも注目されはじめたころで、呼ばれたらどんな番組にも出演していたんだ。その時の収録も、彼女の明るい性格が他の出演者や芸人さんとも波長が合っていたんだろうね。番組の雰囲気も良くて、彼女は番宣ではなく、ゲストとしても呼ばれることが多くなって、裏方である私とも頻繁に顔を合わせるようになったんだ」


 番組の打ち上げでも席がよく同じで、私のことを「佐渡ちゃん」と呼んでくれていたよ、と佐渡は懐かしそうに話してみせた。


「そんな彼女がある日の打ち上げの席で、私に恋の悩みを相談してきたんだ。『佐渡ちゃん。私、好きなひとが出来たんです』って」


 そんな佐渡の話しを聞きながら、沙月は、全く見もしていなかった心の隅っこがチクリとした。


「当時の私には前の奥さんがいてね。だから私に相談してきたのかもしれない」


 佐渡は珈琲に口を着けてから、続きを話した。


「でも、その時の私はひどく驚いてしまったんですね。なんたって、当時の彼女は女優でありアイドルみたいな存在だったから。一般人なのか、それとも業界のひとなのか、スキャンダラスでなければ良いなんて、ひとりの友人ではなく、裏方ならでは考えがまず先に頭の中を巡ったよ」


「そのは誰だったのですか?」

「それが分からないんだ。私も聞いてみたんだけれど、彼女は頑固でぜんぜん教えてくれない」


 母の好きな人。沙月は「もしかしたらその人がなのではないか」と先ほどチクりとさせた正体に、今さら気がついた。


「君は知らないかもだけれど、『絆創膏』っていうドラマの収録決起会だったはずだ。もうずいぶん前になるけれど、すごく驚きましたので、今でも細かなところまで妙に覚えているです。お店の名前や、私が何を飲んでいたのかまでね」


 『絆創膏』なら沙月も知っている。可奈の従妹である葉純はすみが好きなドラマのひとつだ。

 それから佐渡は、れいなさんは『絆創膏』のクランクアップしてすぐに活動休止したんだ、と続けて、再び珈琲に口をつけた。


 沙月も、まだ湯気のたつ珈琲を飲んだ。彼女の心は途方に暮れていた。湯気が消えて見えなくなるように、今、何を考えるべきなのか、何を考えているのか分からない。そうして、たっぷりと珈琲の後味を追いかけながら、叔母である綾音の言葉がふと頭に浮かんできたのだ。


「母が一度こっちに帰ってきていたことがあると、叔母から聞いたことがあります」

「そうだよ」佐渡は素直に頷いた。「活動を休止してすぐに、れいなさんは故郷に帰ったんだ」

「どうしてですか?」

「それがね、えっと……」


 突然、佐渡の顔がこわばった。そして、いかんいかん、と無理に笑って見せた。

 はてな。沙月もどうしたのか、と頭を傾げる。


「最近、思い出せないことが良くあるんだ。年齢のせいかな? あれ? でも、すぐここまで来ているんだけれど」


 佐渡は腕組をして、うーんと深く考えるようになってしまった。沙月と孝太は辛抱強く待ったが、先に音を上げたのは、佐渡の方だった。


「ごめんなさい。最近多いんだ。思い出せそうで思い出せない……」

「えっと、叔母さんは、どうしてか理由は言ってなかった?」


 孝太の助け船。しかし、


「それが、覚えていないって言うんです」

「それは変だね。妹さんなのに」

「まあ、こういう時は一度考えないようにすることだ。ふとしか時に、それこそ何も関係ないときにこそ、ぱっと思い出したりするもんだよ。分かったら白草くんに連絡するよ」

「ありがとうございます」


 それから、佐渡はどこかひっかかったような面持のまま、涼森れいながどんな女優だったのか、女優ではなく人としても立派で、沙月には悪いと先に断っておきながら、世間の評価は正しいものだと彼なりに教えてくれたのだった。

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