ひとつ、部屋のふすまは開けたままにすること。

 ひとつ、晩御飯までに終わらせること。


 きっと、何か勘違いしている綾音とそう約束して、沙月は孝太と自室へ向かった。窓外は、山際のオレンジ色に染まった雲を少しだけ残して、濃い紫色の夜闇が広がっていた。


「夕飯って、いつも何時くらいに食べてるの?」

「日によって違うんですけれど、だいたい7時くらいです」


 孝太は胡座あぐらをかいて畳床に座り、さっそく鞄からノートパソコンを取り出した。例の、少年のお化けが座っていたところだ。白い室内灯が、ちょうど真上から彼を照らしている。


「本当はタレコミ用だったんだ」


 パソコンか起動するのを待つ間に、独り言のようにして孝太は語った。


「雑誌に何かを載せようとなると、ちゃんとその素性が明らかで、読む人たちにも分かるようにしなくちゃならない。とくに広告となると、電話番号や住所の番地まで書く必要があるんだ」


 沙月は勉強机の椅子から、孝太の背中を眺めていた。彼の独り言は贖罪なのだろう。ただでさえ線の細いその体が、より小さく、弱く思われた。


をしていると、突然、思わぬビッグニュースが駆け込んでくるんだよね」

「有名人の不倫とか、ですか?」

「そういうのは週刊誌に任せればいい。俺が言ってるのは、例えば、『世界で初めての実験に成功しました』とか、『日本で唯一の商品ですよ』と謳っているものたちさ」


 ネットには顔はないけれど、雑誌には出版社という大きな顔がある。


「そこで大切なのは、それが信憑性のあるものなのかどうか。その調べるツールのひとつとして、昔、ネットの特定を教わったんだ」


 本当は世界で二番目だったら?

 本当は日本で他にも買えるところがあったら?


「それも、真偽を確かめるために、ですか?」

「そうだよ。ネットで簡単になんでも調べられるのは、誰でも簡単になんでもを書けるからだ。言っておくけど、100%特定できるかは分からないよ。相手が自宅で書き込んでいなくて、たとえば近くの市民ホールやネットカフェから書き込んでいたらアウトだし、足跡の残らない設定で書き込んでいても、アウトだ」

「はい。わかりました」


 ふぅ、と孝太が息をついて姿勢を正したものだから、沙月も倣って背筋を伸ばしてしまった。


「OK。ちょっと待ってて」


 パソコンが起動し、孝太がキーボードを打つ。覗き込むと、画面にはすでに沙月のブログが表示されていた。


――ぼくはあなたのお母さんのことを、よく知っています。秘密を託されました。


 ゴーレムからのコメントが見えた。君は何を託されたの? あなたの正体は?

 ネットだけじゃ分からない。

 きっも悪いことをしているんだ。そんな気持ちは沙月にもあった。でも、もう引き返せない。


「これがアドレスさ。これを調べれば……」


 コピー&ペーストで、ゴーレムのアドレスを違うタブの検索窓に打ち込む。そして、エンターキーを打つ。


 現れた画面は、沙月には分からない。しかし、パソコンを操作する孝太の表情が固まったのは分かった。


「どうしましたか?」

「いやいや、そんなはずは」と独り言。


 彼はもう一度、同じことを繰り返した。ゴーレムのアドレスをコピペして、エンター。その都度、彼は首を傾げたり、「変だな」と溢す。

 そして何度目かの作業を終えて、孝太は突然立ち上がった。「僕が無知なだけだと思うけれど」


 見えたパソコンの画面には「お使いのIPアドレスは存在しません」の文字。


「沙月ちゃんは、このゴーレムが前に見た子どものお化けじゃないかって思ってたりする?」


 沙月は頷けなかった。でも、きっと孝太にはお見通しなのだろう。


「それ、あながち間違いじゃないのかも」

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