24. 魔法の声

 少し風が出てきた。

 砂の漣の様相を瞬く間に塗り替える微かな風の揺らぎが、甘えた子猫のように足首に纏わりつく。

 外套のフードは被った傍から脱げてしまうのでそのままにした。


 前を向けば、見渡す限りの地平線が広がっている。砂と空以外にこれと言って目立つものはなく、鏡の中に見た廃城の気配はまだ微塵も感じられない。


「さて、このまま闇雲やみくもに進むだけでは効率が悪い」


 少し進んだところでタフィを止めた美童が言う。斜め掛けの荷物袋をゴソゴソとかき混ぜると、中からコルクで栓がされた牛乳瓶ほどの大きさの透明の瓶を取り出した。中には小さな輝きを放つ星の欠片かけらのような銀の粒が、瓶の三分の二を満たしている。


「わあ、きれい」


「これは失せ物探しによく使われる」


 美童は得意げに言いコルク栓を抜くと、短く呪文を唱える。囁くようなまじないの旋律が、仄白い光となって瓶の周りに寄り集まった。


 ややして瓶がカタカタと震えたと思うと、美童の手からふわりと浮き上がり、空中を漂う綿毛のような動きで北の方角へ向かって飛んで行った。時折瓶の口が傾いては、中のキラキラが砂の上にぽつりと落ち、目印のように金色に発光する。


「落ちた光を辿って行けば城へ着く。中身が無くなったら失せ物探しには使えないから、僕の家からは使用できなかった。まあ、ここまで来れば廃城が見つかるより先に瓶の中身が尽きるということもないだろう。余程運が悪くなければね」


 美童は手綱を引いて真北に方向転換すると、一直線に続く金の粒子を辿る。瓶はもう遠くへ行ってしまったらしく、目視では確認できなかった。


 ラクダは馬とは違った乗り心地だ。歩くたびに左右に大きく揺れる。酔いそうだな、と思っていたら、美童が自分とテオに酔い止めのまじないをかけてくれたので、揺れる乗り物に弱いテオも安心して身を預けていられた。

 テオは少し美童にもたれるようにしながら、鞍に付いたハンドルをしっかり握った。


 なんて静かな世界だろう。タフィが砂を踏む音が一定のリズムを奏で、さながら自然界の子守歌のようだ。背中に寄り添う美童の温もりも手伝って、ふかふかの毛布が敷き詰められた揺り籠の中を思わせる。


 ……世界にたった二人取り残された孤独の風景に囲まれて、テオの頭の中は目の前の課題に改めて向き合う。


 ――僕がもし、本を手に入れたら……。


「テオ」


 沈思に耽りかけたテオを、美童が現実へ呼び戻す。


「は、はい」


 テオは掠れた声で応じる。空気が乾いていて喉がカサカサした。

 美童は前を向いたまま、訊ねた。


「君はまず、本を手に入れたらどうしたい?」


 テオはドキリとした。まさしく今、己が考えていたことをぴたりと言い当てられ、一瞬、言葉に詰まる。


 魔法使いの疑問の答えを自分が上手く提示できる自信もないし、ましてや自分自身でさえその答えをはっきりと見出せずにいた。……だが黙っていると、タフィの蹄が砂を踏みしめる音以外の沈黙が妙に耳に付くので、大人しく白状しようと腹をくくる。


「悩んでいるんです」


「悩んでる?」


 美童の声には魔法がり込まれているみたいだ。

 猫の首元みたいに柔らかく、温かい。愛おしさが胸に満ちるような魅力的な声。そんな声でものを問われると、心の奥底へ隠したかった秘密すらも吐露とろしてしまいたくなるから不思議だ。例に洩れず、テオも今回の一件に関する考えの一切合切を白状したくてたまらなくなっていた。


「はじめは、クラレンス兄さんのために本を探したかったんです」


「クラレンスのため? なぜ」


 するとテオは、今まで抑え込んでいた理性のたがが外れるように、饒舌じょうぜつに心情を語った。


「僕は、クラレンス兄さんこそがファンフリート家の長に相応しいと思っています。今もそれは変らない。僕たちの間にはあと三人の兄弟がいますが、僕はその人たちの手に本が渡るのは納得できません。正直言って、あの人たちは嫌いです。血の繋がりが唯一のかすがいですから。僕の答えは、本を見つけてクラレンス兄さんに渡す、その一択でした」

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