16. 種明かし

 ――お前、何故、生きている……。


 ルーイは後退りながら、幽霊でも見たような顔で言う。

 動揺に震えた視線が、不意に車窓を流れる景色に留まった。

 時速五十キロのスピードで砂漠の国ナランナを目指す列車の外を、暫し呆然と眺めていた殺人鬼だったが、やがてその眼球が零れんばかりに大きく見開かれると、高揚に色付いた頬が一気に青ざめる。


「幻覚が解けている……!」


 興奮によって周囲もろくに見えていなかったルーイが愕然と呟いた。羊の群れは遥か後方に流れ去り、前方には切り立った崖と白樺の森が、そのさらに遠くにはケルシュとルノウの国境沿いに連なる雄大な白雪山脈が望める。


 空間の最初と最後を繋ぐ不自然な継ぎ目も解消され、同じ風景の繰り返しだったパノラマの景色もすっかり新鮮さを取り戻していた。


「なんで、どうして……いつの間に……」


 ルーイは窓の外を見つめたまま、引き攣った声で言った。青い顔が白い月明りに染まり、ろうのように色を失っている。


 勝鬨かちどきを喚きながら勝馬を乗り回していたルーイから一転、奈落に突き落とされた哀れな殺人鬼は、遥か頭上の深淵からこちらを見下ろした無慈悲な悪魔キティを睨みつける。


 その鋭い殺意の視線を受けながら、キティはくくくと喉を鳴らして笑う。


「お前は勝利を確信した瞬間に気が緩むタイプだろ。注意力散漫もいいとこだ。そういう奴だと思ったよ。所詮はまだまだひよっこの餓鬼だな。そんなだから周りの人間から甘く見られちまうんだぜ」


 わざと相手を煽るようなことをのたまいながら、跪いた美童に手を貸して立たせる。美童は「やれやれ」といった風情で膝の埃を払うと、先ほどまでの絶望に彩られた表情をするりと拭い去って、軽蔑の眼差しをルーイへ向けた。


「浮かれすぎだぞ殺人鬼。に騙されるほど、僕たちを殺せて楽しかったのか」


 美童は蔑むように表情を消す。心底不愉快だとばかりに目の奥に氷の気配を宿し、見た者を体の芯から震えあがらせた。


「何が、起こった……」


 狼狽するルーイの額から汗が滴る。暖房が焚かれているとはいえ、車内は人間がストレスを感じない程度の過ごしやすい気温が保たれているにもかかわらず、ルーイは頭の奥深くが熱く、身体の表層が冷水を浴びせられたように冷えた。かいた汗も冷たいのか熱いのかもわからない。まとわりつくような重だるさを含んだ汗が、ひたすらに不愉快で仕方がなかった。


 今度はキティが高笑いを轟かせる番だ。


「種明かしをしてやろうか。別にそんな大したことでもないけどな。餓鬼のお前にも理解できるようにわかりやすく教えてやるから安心しなよ」


 やけに芝居がかった口上を述べ、キティは満面に優越感をのぼらせた。「まず、俺は。全て演技だよ。最初から最後までな。お前さんに惑わされたふりをして、油断させるのが目的だったんだぜ」


 正しく説明すると、今のキティの発言には一つの嘘が含まれている。「幻覚にかかってない」と言い切っているが、正しく言い直せば、「一度は幻覚に惑わされたが、途中でそれを破り、以降を幻覚に惑わされたふりをしていた」だ。彼にもループする車窓の風景が見えていたのだから、その時点ではルーイの幻覚の中に居たことになる。大口を叩いて見栄を張っているだけなので、彼の解説は途中から破綻をきたしてくるが、冷静さを失ったルーイは一切気が付かないままなので成り行きを見守るに徹することとしよう。


「何故そんなことができる!」と、怒鳴り散らすルーイをキティは暢気のんきに宥める。


「もう少し嚙み砕いて説明した方がいいか? まず最初、お前さんの幻覚の外に出るためにを使ったんだ」


 キティはジャケットのポケットから白いグラシン紙に包まれたビー玉大の球体を出して見せた。薄い紙越しに赤い色が透ける。飴玉だ。


「こいつは俺が薬草を組み合わせて調合したものだ。幻覚を無効化することが出来る解毒剤のようなものさ。はじめ、こいつでお前さんの幻術を搔い潜ろうと思ったんだが、残念なことに俺のこの薬よりお前さんの幻術の方が上手だった。そりゃそうだよな。お前さんの幻術それは、魂に刻まれた技だ。俺だって幻術を使うが、専門じゃない。さすがに太刀打ちは出来ねえ。だからに、もう一つ保険をかけておいた。こいつに協力してもらってな」


 キティは気安く美童の肩に腕を回す。


 あの後、幻覚で胸を刺されたキティは一瞬のうちに気付けのまじないを己にかけ、寸でのところで作戦変更と打開策を巡らすことに集中した。


 この時、キティは初めてルーイの幻覚の外に逃げ出すことに成功したわけだが、利は未だ相手の方にあった。有頂天になったルーイにそのまま上機嫌でいてもらいながら、この不利な状況を打開するべく、己がとる最善の行動はこれしかないと、しばらく演技でルーイを欺きつつ、彼はもう一つ、を、こつこつと編み上げていたのだ。


「あのタイミングでこいつがピストルをかまえて出てきたのもばっちりだった。。幻覚は見えてはいたが、それは現実に見えている景色の上にうっすらとかかった絹のように、現と幻、どちらも視えていたということだな。なぜかと言うと、事前に俺がこの飴よりも強ぉい薬――副作用を覚悟しておけよ――をこいつに託したからだ。そうさ、こいつも俺に乗っかって、幻覚にかけられたふりをして一芝居打っていたのだ。大した役者だろ。全て理解したうえで完璧な演技に徹してくれていた。お前さんは、俺たち素人の演技に騙されて浮ついていたわけだ。――それにしても残念だ。もう少し互いに好意的であれば、俺とこいつは良い相棒同士になれただろうに。ところが俺たちは根本から相容れない性分でね。美童、お前、俺の頭すれすれを撃ち抜きやがって。あぶねえだろ、当たったらどうしてくれる」


 美童に関する解説は最初から最後まで真実である。美童は、この車両に乗り込む直前に、手にしていた薬の包み紙の中身を全て喉へ流し込み、完全に幻覚の外へ抜け出してから稀代の殺人鬼と相対した。


 幻術の申し子たるルドヴィヒ・ローエンの幻覚から無理矢理に脱出する薬など、を考えると酷く憂鬱な気分になるが、理性を消失した連続殺人鬼相手に尻込みしたとあっては、次期三大魔術師候補ともてはやされる人間として立つ瀬がない。


「馬鹿にするな。この距離なら、撃ちたいところくらい的確に狙えるさ」


 美童はキティの腕を邪険そうに振りほどくと、落としたピストルを拾い上げて、安全装置を下ろしてから懐にしまう。

 つれない素振りに苦笑しながら毒の魔法使いは、こう言葉を締めくくる。


「俺らは千両役者さながらの名演技を披露したわけだ。そうして作った時間によって俺たちは見事、


 ルーイの顔から血の気が失せる気配がありありと伝わってきた。それでもなお虚勢を張って「出鱈目を! このオレの幻覚を無効化できるはずがない!」と喚く。

 キティはわざとらしく肩を竦め、


「別に信じないならそれでいいさ。けどよ、現に俺らはお前さんの幻を攻略しちまった。お前さんを調子づかせている間に時間を稼ぎ、美童こいつのおかげで、俺最大のが完成したというわけだ」


「最大の技巧だと……?」ルーイはよろめいた。


 キティはうっそりと微笑みながら、見せびらかすように長い指をちらつかせる。指先から流れ出た藍色の粉が大気にそよいで、ある一か所に集まる。それはさながら意志を持った者の集まりのように規則正しい螺旋らせんを描き、美童の全身を包み込んだ。

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