砂漠の果ての廃城

30. 廃城

 ラクダの揺れが心地よい。

 疲れたせいか、テオは無意識のうちに背後で手綱を引く美童に体重を預けていた。

 前日に夜更かしをした日のように瞼が重たくなるが、気を抜けば体勢を崩して地面に落下してしまいそうになるので、思考の隅で辛うじて意識を保っている。


「少し眠るかい?」


 美童のややハスキーな声に耳朶を撫でられ、テオはハッと姿勢を正す。


「す、すみません、大丈夫です」


「いいよ。しばらくは緩やかな道のりさ。寝てな」


「いえ、本当に……。少しホッとしただけですので」


 テオは深く瞬きを繰り返し、忍び寄る睡魔を追い払う。


 気晴らしに地平線をぼんやりと眺める。緩やかな起伏きふくを描いた一本線。それがどこまでも、どこまでも続いている。


 砂の大地に建つには少々不似合いな西洋風の孤城は、いつまで経ってもその姿を現そうとしなかった。


 緩やかな勾配こうばいを下り、時には登り、されど目的の尖塔は影すら見えない。

 先に行った瓶はもう目的地に到着しているのだろうか。そして彼らが追い付いてくるのを寂しく待っているのだろうか。


 テオは静かに息を吐いた。目が覚めてくると、胸の内を妙なざわめきが支配する。心なしか脈も落ち着きがない。時間が経つにつれ、あの瞬間の緊張と恐怖が蘇ってきた。


「……まだドキドキしています」


 胸中に溢れる感情を我慢しきれなくなったテオが不意に沈黙を破ると、魔法使いは「ふっ」と息を吐くように笑い、「それは恐怖で? それとも……」と愉快そうにたずねる。


 ――。その言葉の続きがテオの脳裏に去来する。

 冷めぬ恐怖による胸のざわめきか、それとも――強大な敵を自らの手でほふったことによる高揚こうようのせいか。


 ナランナ砂漠の怪物と相対した時の恐怖は今でもはっきり覚えている。

 命の安全が急に確実でないものとなって、たった二人であの巨大な脅威に立ち向かわなけばならないと悟った時は、気を失ってしまうかと思った。

 ましてやとどめを自分で――この手で刺せ、というげきが耳に飛び込んで来るなり、思わず死を覚悟したほどだ。


 結果として命拾いをしたのだが、今でも思い出すと恐怖に身がすくむ。それだけ怖かった。死んでしまうかと思った。こんな世界の隅っこで、誰に知られることもなく骸を晒すことになるなんて……と寝台の上で最期を迎えられないことに酷く恐怖した。


 けれど今は、少しだけ――ほんの少しだけ、テオ少年の恐怖に震えた胸の内には、草原を駆ける青い風のような清々しさが芽吹いているのを、彼自身も意外に思っていた。


 テオは考え込むように口を閉じたかと思うと、深刻そうな声で続ける。


は美童さんの魔法ですか?」


「あれ?」


「あんな高いところにあった核に届くまで高く飛ぶことが出来たのは、美童さんがぼくに何かしらの魔法をかけてくれたのでしょう?」


「……どうしてそう思うの?」


「え……」


 問いを問で返されるとは思っておらず、思わず言葉に詰まる。


「だって……」


 ぼくに限って、あんなに事が上手くいくはずがない――そう言おうとしたテオの言葉を、魔法使いはそっと遮る。


「君はファンフリート家の男児なんだろう?」


「……」


 言葉の真意を測りかねて返事を堰き止めていると、彼はさらに続ける。


「なら、使何らおかしいことはないんじゃない?」


 テオは心臓が大きく脈打つと同時に、感じたことのない多幸感が泉のように湧き出るのを感じた。


「ぼくが、魔法を……」


 途端に頬がカッと熱を持つ。

 気が急くような感覚に胸を突かれ、久方ぶりに感じたこの感情の正体に、いささかの疑念すら生じた。――期待だ。この感情は、期待。


 馬鹿な、そんな馬鹿な……。

 ぼくは魔法なんて使えない。否、使えるけど……あんな大層な、魔法なんて呼べるようなものじゃない。蝋燭の先に小さく炎を灯すので精いっぱいなのだ。


 もしかしたら美童は、自分に自信をつけさせるためにを切っているのではないだろうか。……そんなことをするような人だろうか? 彼は優しい人だけれど、無闇なことを言う表層だけの優しさは持ち合わせていないように思う。


 そんなことを考えていると、テオはつい黙り込んでしまった。

 そんな懐疑的な沈黙を振り払うように、美童は言う。


「僕はなにもしていないよ。正直言うと、あの時は僕も余裕がなかったし、サソリの動きを止めるので精いっぱいだった」


「それじゃあ……」


 ――ぼくは、本当に……?


 様々な思いが脳裏を駆け巡った。その殆どが喜びや希望に付随ふずいする感情だった。

 潜在的な才能? 自分が「できない」と思っていただけで、本当は自分にも、魔法使いとしてのちからが秘められているのではないか。


 ぬか喜びでもいい、ただの気のせいでも構わない。「魔法」という希望に手が届いたという事実が、テオの内向きだった思考を前向きにさせた。今はそれだけでも十分だった。


 その時、美童が「あっ」と声を上げる。


「見ろ、テオ。城だ! 遠くに城が見えてきた」


「え!?」


 テオは身を乗り出すようにして、美童が指さす方向にじっと目を凝らす。

 ぽつぽつと滴る金の遥か先、それは穏やかな勾配を登りきったその時、わずかに眼下に姿を現した。

 美童は手綱を引いてタフィの歩みを止める。


「あれが――……」


 テオは砂の風を受けて佇む黒き廃城を見下ろし、呆然と呟いた。


「鏡で見た通りの城だ。ふふふ、本当にこんなところにあるとは」


 砂漠の真ん中にひっそりと佇む寂れた骸は、かつて栄えた砂漠の王国が異国の城を真似て作り上げた、一種のたわむれに過ぎなかった。

 月光を浴びた半身は白く、影になった部分はインクに浸したようにべったりと黒が張り付いている。

 広大な砂の上に堂々たる威厳を放って立ち尽くすさまは、本や映画でみるような魔王が、幹部を従えて根城とする太古の悪そのものを彷彿とさせた。


 一方で、誰からも忘れ去られたような世界の片隅でひっそりと息をしていたその建物は、さながら異世界を描いた絵画のように、どこか虚構じみて見えた。


 旅の終着地点、砂漠の廃城をついに見つけた。

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