29. おちこぼれなんかじゃない!

 ――核を壊す。ぼくが。できるのか。こんな、おちこぼれのぼくに……。


 何をしても上手くいったことがない。初めは期待してくれていた人たちも、やがて、ぼくには見向きもしなくなった。


 期待に応えることすら出来ない。そう思えば思うほど、自分の行動や言動から意思が遠退いていった。当たり障りのない結果だけを求めて行動していた。そうすれば誰の目にも留まらず、影の薄いままの自分でいられた。


 悲しかったけど、悔しかったけど……何もできない自分が恥をかかずに生きてゆく方法がほかに思いつかなかった。


 ……そんな彼の脳裏に蘇る兄たちの声。


 ――無理でしょ。

 ――うん、無理だね。

 ――できっこないよ、テオには。

 ――もっと頑張れば?


 震える手が握りしめた剣がジワリと滲む。はっと我に返り、零れかけた涙を服の袖で拭った。


 負けを認めかけた。否定の言葉ばかりをぶつけられ続けてきた過去に、心まで持って行かれそうになった。


 本当はそのまま、流されるままに身を任せるのが一番楽であるけれど――今すべきことを目の前に提示されておきながら行動に移せないのでは、いつまで経っても自分は周囲からしいたげられるだけの、都合のいいスケープゴートに成り下がってしまう。


 それは、嫌だ……!


 こんなぼくに期待してくれた美童に応えなければ。ぼくのために、こんな世界の端っこまでついて来てくれた人を、絶対に助けなければ……!


 今こそが自分で行動を起こす時だ。

 怒涛どとうさながらに押し寄せる恐怖と劣等感を頬を叩いて振り払い、キッと前を向く。


「助けなきゃ……美童さんを」


 テオはぐっと剣を握り直し、タフィの首を撫で、「すぐ戻るから、ここで待っててね」と囁く。タフィは頷くように首を大きく下げ、「頑張るのよ」と息巻いた。


 恐怖による躊躇ためらいはあった。けれどここで、瞼の裏に浮かぶ兄たちの嘲笑ちょうしょうひるんで動けず、目の前で美童の命が無惨に散り行く様を見るのは、己の胸を百回貫かれるより残酷である。


 地面に刺さった剣を引き抜く。

 重い。手首を支える筋肉がぶるぶると震えた。

 それでもしっかりと握り締めなければ。勇気も恐怖も、全て一緒に掌に握りしめたまま。


 最初はゆっくり、しかし、気が付けば駆けだしていた。もう、どうにでもなれ!という投げやりにも思える意気込みで、魔法で動きを封じられている触肢部分を思いきり叩き薙いだ。


 怪物が、世界を揺るがす咆哮を轟かせる。鋼鉄こうてつの身体を締め上げた赤い縄がぎしぎしと軋む。宙ぶらりんの状態から、美童は這う這うの体で背中によじ登ると、弱まった拘束の魔法を今一度きつくほどこす。


 今度は簡単に解かれないように、続きの長い呪文を唱え続ける。魔力と気力の消耗戦。なるべくなら短期戦に持ち込みたいところ……。

 重ねて発動した魔法の相乗効果も相まって、先刻よりも強く地に縛り付けられたサソリは、身動き一つできない。


 今だ、行け。美童は視線で合図を送り、そこだ、と怪物の胴体部分を指さす。

 テオは真上を見上げた。空を覆う巨躯。胴体の中央部。赤い円がちらちらと瞬いている。


「あんな、高いところを……?」


 テオは、奮い起こした勇気が理性によってブレーキがかかるのを感じた。

 あんなところをどうやって貫けばいい? 足がかりなんてないし、下から刺し貫こうにもとてもじゃないけれど届かない。


 こんな時でも「タラれば」を考えてしまう己に嫌気がさす。もし自分に、キティや宵一のように上背があれば……美童のように、万能な魔力ちからがあれば……。


『ホラ、やっぱり無理だ』


 脳裏に去来きょらいした声に、テオは胸の底が不快になるのを覚えた。

 三人の兄たちの声。綺麗に揃った嘲りの言葉。

 不快感はやがて怒りに変わり、怒りは行動原理へと変化した。

 以前までのテオであれば、湧き上がる怒りを無理やりにでも堪えて、引き攣った愛想笑いでその場を収めていたのかもしれないが、今この瞬間は違う。


「……無理じゃない――」


 テオは絞り出すように言った。激しい心拍が喉を圧迫するような恐怖を感じた。

 鼓膜の奥に木霊こだまする嘲笑を振り払うように首を振り、「無理じゃない、無理なわけない」と及び腰になった心を鼓舞する。


 一歩、二歩、三歩……踵で砂を蹴るようにして後退るが、これは戦意を喪失しての後退ではなかった。


「ぼくだって……ぼくだって、ファンフリート家の男児なんだ!」


 凛々しい雄たけびを上げ、テオは持ちうるすべての力を振り絞って、助走をつけた。元々の弱い脚力を駆使くしし、ここだというタイミングで砂の海をありったけのちからで蹴り上げて高く飛翔ひしょうする。


 届かなくたっていい。このに賭けて、自分の持ちうる力以上の力で、核を壊すことだけを考えろ!


 ……その瞬間に感じた一種の違和感、それはわかりやすく例えるならば、背中に大きな羽が生えたような、一切身に覚えのない感覚だった。


「え、うそ……」


 呆然と呟く。

 ふと下を見ると、ココア色のさざなみが遥か下方からこちらを見上げているのが伺えた。


 視界の上部を鈍く光る赤が照らす。そちらを向けば、に鼓動するように発光する円形の宝石――核があった。


 一瞬のうちに様々な思考が生まれては消えていったが、眼前の核が放つ鮮烈なあかが全ての邪念を追い払い、混乱に陥るテオにただ一つ、命令する。


 今だ、叩き壊せ!


「ああああああああああ!」


 下から剣を振り上げる際の遠心力に任せ、重い剣尖を突き上げて一撃で核を打ち砕いた。赤光はバリンと重い音を立てて壊れた。


「や、やったあ!」


 細かく砕けた核の破片を浴びながら、テオは歓喜の声を上げ、無口な潮騒しおさいへと落下した。何とか受け身を取って砂の上をごろごろと転がっていくと、すぐさま上半身を起こす。


 巨大サソリは声なき声を上げて苦痛に悶えるようにのたうち回り、無情な夜天に最後の咆哮を放つと、よたよたと後退り、力尽きて倒れ、二度と起き上がることはなかった。


 耳鳴りを誘発するほどの静寂がテオと美童を包み込む。

 美童は拘束のまじないを解き、滑り台の要領でテオの元まで降りた。


「テオ、無事か!」


 テオは茫然と座り込んだまま、核を失った怪物の骸を眺めていた。

 大したケガもなさそうだ、と安堵の息をいた美童は、表情を縛る緊張を解いて、


「どこが出来損ないだよ」と呟いた。

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