25. 本心

 真ん中の兄たちを語る口調は酷く無情で冷淡だ。気弱で謙虚な少年が、誰にも打ち明けることを出来ずにいた心中の毒々しい部分が、煮立つような苛烈さを垣間見せる。


 控えめな彼にここまでのことを言わせる兄弟たちが、いかにテオをしいたげてきたのかが伺えた。

 余程、辛い思いをしてきたのだろう。大勢の兄に囲まれて、身体も小さく誰よりも幼いテオは、年長者から日々与えられる理不尽な言葉に、じっと耐えて生きてきたのだろう。心の優しい少年に「血の繋がりが唯一の鎹」などと、言わせるだけの仕打ちをしてきたのだろう。


 美童の思考が少年の言葉の後ろに見え隠れする生い立ちを想像していると、けど今は、とテオが続ける。


「どうしたらいいか、わからないんです」


 少年は躊躇ためらうように刹那の沈黙を吐き、「本が欲しいんです、僕」と。

「でも、自分が本を継承し、家督を継ぐ自信はありません」


「それは君が、本をクラレンスに譲渡じょうとしたい理由だろ?」


 美童の声がやさしく問う。

 テオは再び沈黙を吐く。今度は少しばかり長めに、静寂の漂う冷たい夜気を噛みしめるように。


 隠し事を指摘され、しらを切るのを諦めたような、それでいて鬱憤のぶちまけどころを得て安心したような表情でテオは再度、口を開く。


「本当は僕も魔法使いになりたいんです」


 この世界で言う《魔法使い》の定義は、魔法・魔力を使って生計を立てている者を多く差した。


「へえ、どんな魔法使いになりたいの?」


 美童は秘密を打ち明けられて嬉しそうだ。

 テオは懐から掌サイズの小さな手帳を取り出し、中に挟んであった一葉の写真を見せる。そこには、赤い髪を風に靡かせ、そらを見上げる妖精の人形が映っていた。


 優美で凛とした佇まいの妖精は、レンズに右半身を向ける形で立っている。

 華奢な身体に絹の布を巻きつけ、晒された肢体は滑らかな小麦色に光る。小さな唇に薄っすらと朱が差し、濃く長いまつ毛は緩やかにカーブし、眼下の中に納まった双眸は暗闇を照らす炎のように強い光を放っている。

 顔の彫りは深く、ともすれば戦士のような荒々しい顔立ちと、燃え盛る恋心を人型にしたような一種の艶やかさが混在した。


 この人形を手掛けた者は、細工師なのだろう。


「綺麗だね。君が作ったの?」


 被写体となった人形の周囲には設計図や彫刻刀、絹の端切れや木くずなどが散らかっていた。傍のランプの炎がぼんやりと周囲を照らしている。作業机で撮られたものらしい。


「ぼくの唯一の趣味です」


 と言わない辺り、控えめな性格が表れているな、と美童は思った。


「趣味を仕事にできるほど現実は甘くないのはわかってます。けど、何をやっても駄目だったぼくが誇れるたった一つのこと、それがモノ作りです」


 テオは手帳を握る手に力を籠め、「この人形に魔力を込めれば、この子には心が宿る。心の優しい女の子になってくれる。ぼくみたいに、劣等感に苛まれた人たちの心の拠り所となってくれるような作品を作りたいんです」


 テオは熱の籠った口調で言うと、一度息を落ち着けてから、「でも、それが理由なら、ぼくは本を継承しようとは思いませんでした」


 テオは写真を手帳の中に戻す。


「ぼくは兄弟の中で一番魔力が少ない落ちこぼれ。少ないどころじゃない、魔力をほとんど持たずに生まれてきました。ファンフリート家始まって以来の出来損ないとまで言われたこともあります」


「誰がそんなことを」


 美童の声に明確な怒りが滲む。


「真ん中の兄たちはそういうことを平然と言います。ぼくはきっと嫌われているんですね。だからぼくも、ぼくを一人の人間として尊重してくれるクラレンス兄さん以外の兄は嫌いです」


 テオの全身を冷たい棘のようなオーラが覆う。心を閉ざし、他者を拒むかのように。


「出来の悪い僕が将来のために必死に努力をしている姿を、真ん中の兄に見られるのが嫌でした。馬鹿にされるとわかっているからです。だからぼくは魔法使いになりたいという夢を悟られないようにするにはどうすればいいのか考えて、――そして、そもそも魔法使いにならなければいいと思って、全てを諦めることにしました」


「……」


 美童は敢えて言葉を繋げないことで、彼に本心を促す。テオは続ける。


「でも、列車での一件でその考えは薄れていきました」


「列車……ルーイの件?」


 意外な答えに、美童は思わず訊ね返す。

 テオは頷く。


「魔法使いの美童さんとキティさんに、心から惹かれてしまったんです。かっこいい《魔法使い》のあなたたちに」


 テオはもう、余すことなく何もかもを打ち明けたくなった。


「キティさんの魔法に魅せられてしまったのだと思います。毒々しくもあり、それでいて切ない彼女たちの心を見て。こういう言い方は不謹慎かもしれないんですけど――すごく綺麗だったので」


 テオは決して美童を振り返ろうとはしなかったけれど、口調の様子から無作法を窘める言葉が返ってくるのではないかと不安に思っているのが伺えた。

 持たざる者の、持てる者への羨望。しかし、返ってきたのは彼の考えを肯定するものだった。


「憧れだって立派なきっかけさ。数ある動機の中で誰もが一度は経験することだし、何より一番身近な行動理由だろ?」


 美童は、緊張と羞恥に赤くなるテオの耳に気付かないふりをして、気楽な調子で言った。


「何かに《憧れ》を抱くのは、すべての人間に与えられた感情だ。僕だってそうだった」


「そうなんですか?」


 テオの声に純真さが戻る。


「そうさ。僕だってもっと魔法を使いこなしたくて、ある人の下で学ばせてもらってきたのだからね。その人に憧れて」


 美童は不意に声を断ち切ると、独り言のように小さな声で「ま、だいぶ想像と違った人だったけど」と苦笑を漏らす。


「夢を持つ者はみんな、何かしらの憧れの上に立っている。誰もが一度はその感情のために行動してきただろう。そしてその憧れの対象と並び、やがては超えるために人は成長を続けるのさ」


 美童は何かを懐かしむような目付きになって言う。


「だから僕は、君が魔法使いになるための手伝いをしよう。夢を持つにも叶えるにも資格なんて関係ないのさ。人には夢に立ち向かうことが許されている。何人も例外はない。そうだろ? 見返してやろう。かわいい末っ子から夢を剥奪はくだつしようと企む捻くれ者の兄弟をさ」


 テオは正面の地平線を眺めたまま、安堵したようにストンと肩を落とした。その瞳にはうっすらと水面が揺れているように見える。強張った頬がやんわりと微笑を佩き、白い吐息さえ薄桃色に色付いて見えた。


 チョコレート色の漣の上にポツリ、ポツリと落ちる金の星。

 頭の中にあったもやもやと、眼前に見える広大な景色を比べると、自分が抱えていた悩みなどは、ほんの些細なことであったのだと実感する。


 胸につかえた小石の塊が吐露した心情と共に外へ押し流されたように、妙にすっきりした気持ちでテオは空を見上げた。そこにあった藍色のローブは、今まで見てきた空とはどこかが圧倒的に違って見えた。数分前までの気弱な自分が、さながら別人のように思えて、目頭がつん、と熱を持つ。


「よかったです、僕。美童さんを頼りにして」


 そう言う声には、微かに涙の色が滲んでいた。


「そうかい」


 美童は軽く息を吐くようにして笑った。

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