41. ラ・ファーレの魔手

 ファーレは美童たちが追いついてきても、逃げる素振り一つ見せずにニコニコしながら佇んでいた。

 ふらつきながらバイクから降りたテオが、じれったそうにヘルメットを脱いで叫ぶ。


「クラレンス兄さん!」


 ファーレは不快そうに口を歪めると、「何度も言わせるな。俺はラ・ファーレ様だ」と吐き捨てるように言う。


 月に雲がかかる。

 微かに辺りが暗くなると、砂を巻き上げる風が外套の裾を足首に絡ませた。


「追い詰めたぜ、イカレた下級。そいつは俺の客だ。傷一つでもつけてみろ、お前、死ぬぞ」


 バイクに再び魔封を施したキティがテオより前に出る。


 ファーレは凄みたっぷりの脅しにわざとらしく怯えて見せながら、優美な所作で口元に指先を持ってゆく。


「空恐ろしいことだ。お前も使だったらわかるだろ、キティ・シャ・ソヴァージュ。強い魔力を欲する者の気持ちが」


 仲間意識を誘い出しているようだが、そんなものが死の魔法使いに通用するはずもない。案の定彼の口は、心底気味が悪いとばかりに否定の言葉を吐き出した。


「お前と一緒にすんな。ムカつくんだよ」


 ファーレは肩を竦め、予想通りの反応を受け取って退屈そうに語りだす。


「俺はうろの国で稀代の大怪人の名をほしいままにしてきた」


 虚の国はマグノリアにある三つの大陸のうちの一つで、妖魔、悪魔がただひたすらに快を求めて生きる治外法権の大地だ。

 弱い者は喰われ、強い者はより強い者を躍起になって探す。人の理の一片すら存在しない虚の世は、まさしく獣のさがと生存本能を持て余した者たちの世界だった。


 キティは嘲笑うように鼻を鳴らし、「虚の国――お前さんが、ねえ?」


 どう見てもお前如きが虚の世で生きてゆけるとは思えないがね、という揶揄を言外に潜り込ませていたが、オブラートよりも薄い言葉の下では隠しおおせようもなく、ファーレも自嘲気味に微笑した。


「俺だって元々は強大な魔力を持っていたのさ。けどな、驕ってしまっていたんだろうな。俺は国一番のチンピラ集団の上に立つや、早々に鼻っ柱を叩き折られちまった。どこぞで俺の噂を聞き付けた格上相手に舎弟どもを唆され、味方が誰もいなくなったところをギッシギシにやられた挙句、魔力ちからと肉体を失った。ダメ押しにこんな辺境の地にまで飛ばされた。一体どれだけの時をこんなところで燻ぶっていたんだろうか」


 不甲斐ない過去を見つめ返しながら、手の中の本をうっそりと撫でた。ファーレは確かに強い魔力を持った悪魔なのだろうが、無秩序を愛す蛮族共の中ではやや理性的過ぎたきらいがある。


 虚の者は共は相手が驕り昂って下位の者から目を離したその瞬間に反旗を翻すのだ。まさにファーレは、予想だにしなかった部外者に率いられた舎弟たちに寝首をかかれる形となったわけだ。

 結果として、人の寄り付かなくなった砂漠の城から出ることも叶わずに、長い長い年月を、城の中を彷徨うことしかできなかった。


「永遠とも思える時間を退屈と共に過ごしてきた。退屈は鉄の檻よりも遥かに強靭で、まるで自由なんてない。そんな時さ、こいつが俺の前に落ちてきたのは」


 本には《守り》のまじないがほとんどかかっていなかった。兄弟の父であるローサリンダが感情のままに思いついた荒療治的な行動故、本来ならば他者の手が介入するのを防ぐために定期的に施されている魔封が、その時には強化されないままローサリンダから離れてしまったために、守りの魔法がほぼ皆無な状態でファーレの手に渡ってしまった。そして――


「お前は精神体であるのをいいことに本に取り憑いた。そしてクラレンスが本と契約する瞬間、両者を繋ぐ魔力かすがいを通じて彼の身体に侵入し、肉体を乗っ取ったというんだな」


 美童の推理に、ファーレは指をぱちんと鳴らす。


「ご名答。察しが良いな。俺はこの謎の本が発する強力な魔力が欲しくて欲しくてたまらなくなった。どうしたらこの魔力を自分のものにできるだろう。悩んだ末に、試しに入ってみたのさ。だが、それだけでは目視できるほどの大量の魔力をどうすることも出来なかった。好物がいっぱいあると、どれから手を付けていいかわからなくなるだろ? そんな感覚だったよ。そんな時にクラレンスこいつが現れた。こいつの身体を使えば本の魔力を引き出して肉体共々俺のものにできる。そう考えた」


 ファーレはくくく、と喉を鳴らして嗤い、「早々に身体の主導権を奪ってやった。符号が一致した感じだな。器としての素質を確信したね」


「そんな……」


 テオはよたよたと後退った。もし自分の方が早く本を見つけ出していたら、きっとこんなことにはならなかった。魔力をほとんど持たない自分なら、ファーレは興味を無くして早々に去っていったかもしれない。

 もっと早く着いていれば。

 イーヴィルの試練をもっと早くに攻略していればよかった?

 それとも、サソリの怪獣を倒すのにもたもたしすぎたせい?

 悔めば悔やむほど己の愚鈍さに嫌気がさしてくる。危うく尻餅をつきそうになるのをキティが肩を抱いて支えてくれなければ、二度と立ち上がれなかったかもしれないとすら思えた。


「俺のおしゃべりに付き合わせて悪かったな。おかげで、いい感じに精神と肉体が馴染んできたぜ」


 ファーレは恍惚とした顔で徐に本を開く。

 魔力は肉体に刻まれた情報。精神なかみが別の人格であろうと、肉体の一部である魔力を他者が使うことは容易い。


 本から供給される魔力がクラレンス――ファーレの中へ流れ込む。

 さらさらの金糸を束ねたようなしっとりとした髪がざわめき、「まずい」美童が叫び、身を伏せるより早くクラレンスの両目が金色の光を放つ。


 抵抗する暇さえ与えられず、三人は易々と後方へ吹き飛ばされた。大きな魔力の塊がぶつかってきたのだ。地面に投げ出された三人はやわらかい砂のおかげで怪我をするには至らなかったが、受け身を取れなかったテオはしたたか腰を打ち付けて悶絶する。


「大丈夫か、テオ」と美童。


「はい、何とか」


 すぐに立ち上がったキティが省略呪文を口にすると、ファーレの側頭部で黒い光が弾けた。ファーレは膝を折り、その場に崩れ落ちる。首をグラグラと揺らしているのは目を回しているからか。反撃のモーションに入る気配もなく、続いて美童が正式な長さの呪文を唱える。


アダマンテーウス強固なカテーナ


 美童の背中を這うようにして冷たい鎖が飛び出る。まるで意志を持った動物のように自在に動く銀の連なりは、ジャラジャラと姦しい音を立てて怨敵に向かって猛スピードで伸びてゆく。

 おもりのついた鎖の先端がファーレの身体を拘束しようとするも、直前に意識を取り戻したファーレによって紙一重の差で防御壁を張られ、鎖は弾けて粉々に砕け散った。


 美童の口から舌打ちが漏れる。

 ファーレは化け物のように深く割けた口の隙間から狂気じみた笑声を漏らしながら「楽しくなってきたよ」と三人に近付く。


 キティは素早く右手をジャケットのポケットに忍ばせた。指先に触れるかたいもの。数日前に調達した新たなだ。


サクリファイス生贄


 懐から出した手を強く握りしめながら静かに唱える。手の中には大きな爪――肉食動物の爪が、キティの掌を突き破って滴り落ちた血に染まっていった。


 黒い風がキティの髪を逆立てる。死の魔法使いが得意とする〈死〉の魔法。媒介と血と、忠誠を求める高貴な魔法。


「来い、Tigreティーグル(虎)」

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