3. ナイト・トレイン 〈2〉

「あ」という声が重なる。テオの視線の先には、紅顔の美少年が、彼と同じ表情で立ち尽くしていた。


 美童はパンを頬張り、指先に付いたマヨネーズを紙ナプキンで拭いながら、「ん?」と上目遣いにテオを見る。どうした、と声を上げようとして、それに被せるようにテオは弾かれたように立ち上がった。


「クラレンス兄さん!」


「……兄さん?」


 いぶかしんだ美童はテオの視線の先を振り返り、「げっ」と彼らしからぬ、まるで踏みつけられた蛙のような声を出した。クラレンスに対してではない。その隣に立つ大男に対して、だ。


「キティ、どうしてお前がここに」


 敵意に染まった美童の声に、大男は上機嫌に答えた。


「どなたかと思えば美童クンじゃないか。ボンジュール」


 大男が声を張り上げて言った。浅黒い肌とがっしりした身体つき。左の瞼から頬に一直線に走る傷跡、他者を射貫くような鋭利な目つきが、無骨でありながらな雰囲気を醸し出す。

 短く刈り上げられた小豆色の髪は艶感のある整髪料で整えられ、身に着けた銀の装飾品は素人目にも上等なものだとわかった。ヴィンテージ物のデニムパンツと黒革のライダースジャケットがここまで似合う男をテオは見たことがない。無骨な印象の裏に男性特有の美意識が見え隠れする。


 大胆不敵という型に豪放磊落、ほんの少しの上品さを流し込んで生まれたような印象の大男は、下町の不良少年らに慕われる兄貴分と言った風情だった。


 そんな彼を、美童は明け透けな不快感で睨みつける。


「そう睨むなよ。お前に嫌われるいわれはないぜ。むしろおれの方がお前に恨み言の一つや二つ言ってやりたいところだ」


 男は――キティは――やれやれと首を横に振る。


はお前の自業自得だろ」


「はぁ?」


「因果応報だ。お前が招いた結果だ」


「その達観した物言いが気に食わないんだよなあ。顔の周りを飛び回るハエみてえに鬱陶しい」


 テオとクラレンスは、互いの連れのただならぬ雰囲気にただただ困惑した様子で顔を見合わせると、努めて明るく兄弟間の会話を盛り立てる。


「やあ、テオ、偶然だね。まさかこんなところで遭遇するとは思わなかったよ。――この人は、僕が本探しに協力してもらっている魔法使いのキティさん。キティさん、彼は僕の弟のテオです」


 キティは鋭い目でぎろりとテオを見下ろした。あまりの威圧感に気圧されて、思わず上体を仰け反らせると、たちまち怖い顔を、にこーと満面の笑みに塗り替えて、美童に向けていたものとはうって変わった友好的な雰囲気で、「キティです、ヨロシク~」と手を振る。


「テオ・ファンフリートです」


 テオは同じように、クラレンスに美童のことを紹介する。

 大人二人の雰囲気はギスギスしたまま、やがてドアが一斉に閉まる。

 クラレンスとキティは切符に記された席へ……通路を挟んだ隣のボックス席へ腰を下ろした。


「なんでこんなガラガラなのに、お前はよりにもよって僕たちの隣なのかな」


 美童は剣を含んだ目でキティを見た。美人の怒った顔ほど身が竦む。だが美童のそれは怒りというよりも、執念に近いものを感じる。

 この二人の間に何かただならぬ大事件があったのだろうと察していると、列車が一度大きく揺れて、のんびりと発車する。


「グーゼンだよ、グーゼン。この子ら兄弟が同じ時刻、同じ列車、同じ車両に乗り込むグーゼンがあるのだから、何ら珍しいことでもなかろうよ」


 キティは肘掛けにもたれながら、カラカラと笑う。耳には夥しい数のピアスがついていて、彼が笑うとそれらが揺れてキラキラと光った。耳の先がいやに尖っているように見える。浮世離れした風貌も相まって、派手な身なり、身に付けた装飾具らの存在感もひとしおだ。それでも、このワイルドな男のどこかから漂う艶っぽさが男心を刺激する。


 異国風のオリエンタルな美貌の持ち主の美童。相対するキティは、魔的なちから……魔法とは一味も二味も違う強力なちからを有した、人ならざる魅力がある男だった。


 キティは微笑に歪めた瞳に挑発の色をたたえ、「な、そうだろ?」と軽口を叩く。

 伏し目がちに視線を逸らしていた美童も息を吐くように嗤い、「相変わらず口が達者だな。あれだけ痛めつけてやったのに、もうそんなに軽口を叩けるようになったようで安心したよ。殺しちまったと思ったからね。何よりだ、本当に」


 ひどく物騒な物言いに、テオは胸に立ち込めたもやの存在に気がつく。自分にはあんなに優しい美童と、目の前で魔物めいた言葉を吐き続ける美しい男が同一人物であるとは到底思えなかった。


「生命力に溢れているのさ」


「ただの死に損ないだろ」


 穏やかでない応酬に、蚊帳の外へ追いやられた兄弟たちは再び顔を見合わす。今回ばかりはクラレンスも場の空気を変えるに相応しい話題が見つからなかったと見え、弟に向かって微苦笑を浮かべるばかりであった。


          ・

          ・

          ・


 ――時を同じくして、テオ一行が乗り込んだ車両の一つ後ろの車両――最後車両にて、ボックス席の一つに身を潜めるように座した男が、激しく息を切らしながら、がたがたと震えていた。


 出発時刻ぎりぎりで滑り込んだ客か――否、そういうわけではなさそうだ。疲労からの息遣いというより、精神面を脅かされた者の不安定な息遣いを感じさせる。


 ぱらぱらと埋まった席では、マフラーに顎をうずめてささやかな眠りを享受する者、簡易テーブルにティーセットとお茶菓子を並べて読書にふける者、雑誌を広げてクロスワードパズルに頭を悩ます者など様々だ。


 四両目の乗客は、この男がまさに命からがらといったていで乗り込んできたのを目にしているのだが、ただ単に出発時間に遅れそうだったんだな、という程度の認識で、その直後、ドアが閉まる際にホームの方で何やら緊迫した騒がしさがあったことにもなんとなく気が付いていた。


 この奇異な男が後に、列車全体を巻き込んだ大事件を引き起こすなどとは、誰一人として夢にも思わなかっただろう。


「絶対、逃げ切ってやるぞ……」荒々しい呼気の合間に、男が深い執念を口にする。


 暖かな車内に束の間、凍てつくような風が舞い上がったような気がした。

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