世界の果てを行く列車

3. ナイト・トレイン 〈1〉

 行き交う雑踏ざっとうの中には、大きなトランクを下げて颯爽さっそうと歩く若い女性や、上品なマダム二人がうら若い乙女の表情で、これから始まる旅路へ思いを馳せ、ホームの中へ吸い込まれてゆく姿があった。


 かと思えば、改札口の手前で別れの涙にハンカチを濡らす恋人たちの姿や、都会の雑踏へ独立してゆく一人息子の背中を見送る夫婦の姿もある。


 ケルシュ中央部 Lエルシュタット駅。

 出会いと別れの交差する場所。新たな出会いに胸を高鳴らせる姿に紛れて、別れの涙が輝く場所。


 ケルシュ国内でも有数の大きな駅である。

 テオと美童は旅行者の装いで、ナランナ国デイサイド・テュール駅行きの切符を買っているところだ。


 美童宅からバスを二本乗り継ぎ、さらに列車で十分ほど揺られ、今に至る。

 時刻は十五時を少し過ぎた頃。

 Lシュタット駅から出る列車は、首都ルノウへの直結便もあるため、常に人の賑わいに溢れかえっている。立錐りっすいの余地なく人々がひしめき合う様は、そこに立っているだけで目が回るような忙しなさだ。


 テオたちが乗り込むのは、一日に一本しか出ていないローカルな便なので、あまり混雑はしないだろう。下車後は目的の砂漠までは馬車に乗り数十キロメートル、そこからさらにラクダに乗り換えて、遥か彼方の地平線を目指す予定だ。


 テオは外套がいとうの襟元をぎゅっと握り締めながら、人々の流れから視線を逸らした。地元じゃ滅多にお目にかかれない混雑ぶりに眩暈めまいがした。向かいの柱に張り付いた大きな鏡に映る自分の顔が、心なしか青白く見える。


 幸先さいさきが不安だ。まさか父が人も寄り付かないような最果ての地に息子らの足をおもむかせるようなことをするとは。否、彼自身も本がどこへ行くのかはわかっていなかったのかもしれない。我が父ながら、感情的なその行動には呆れ果てる他なかった。


「お待たせ。行こうか、テオ」


 ここへ来るまでに美童の口調もだいぶ砕けた。券売機から離れて財布を鞄の中へしまい込みいながら顔を上げた彼は、少年の表情に覇気はきがないことに気が付き、


「少し疲れてしまったかな? もう席につけるから大丈夫だよ」とテオの肩に軽く手を添えて七番ホームのゲートをくぐる。


「すみません、あまり人混みは得意でなくて……」


 テオは痩せた顔に微苦笑を張り付けて、力なく歩きだした。


「うん、僕も苦手」


 ゲートの向こう側は改札付近とは打って変わって、人はまばらで寒々しいほどにがらんとしていた。

 石炭の匂いが鼻を突く。四両目までしかない小さな列車は既に停車し、乗客が乗り込むのを待ち構えていた。


「二両目のA-6席を取った。ゆったりしたボックス席だからナランナに着くまで英気を養うといいよ」


 車内に乗り込むと、中は暖房が効いていて温かかった。天井に張り付くように設置された電気は、ほんのりとオレンジ色がかっている。

 乗車率は五割といったところだろう。家族や友人連れよりも、気ままな一人旅といった風情の乗客が大半だ。

 ナランナへ入る前の停車駅で何割かが下車するはずなので、終点につく頃にはもっと人が少なくなるだろう。


「ここだね」


 四人掛けのボックス席。赤いベロアのシートは手入れが行き届いているようで手触りが良い。座席自体も大きく、深く腰を下ろせる造りになっているので、小柄な人なら横になって眠ることも出来そうだ。傍らには折り畳みの簡易テーブルやドリンクホルダーもついていて、これからの長旅の拠点として十分な設備が整っていた。


「はああああ」


 のんびりと足が伸ばせる席に腰を下ろすと、テオは気疲れから、思わず大きなため息を吐いてしまう。すぐにはっと我に返り、失礼な態度を取ったことを慌てて謝罪する。


 荷棚にトランクを上げていた美童はにっこりと微笑んで、自分も同じように大きなため息を吐きながらどっと席に腰を下ろした。


「いいよ。存分にくつろごう。何故、人混みというのはこんなにも疲れるのだろうね」


 肩をすくめる美童に、テオはホッとしてシートに全身を預けた。ふかふかの背もたれが、背中に張り付いた緊張ごとテオを優しく包み込む。すると、瞬く間に深い睡魔が忍び寄る気配を感じ、込み上げる欠伸を噛み殺しながら、気晴らしに車窓が映し出す風景に目をやった。


 簡素なホーム。まばらな人影。自分たちがこれから向かう地も、このように人の気配の希薄な物寂しい土地なのだろうか。


 ナランナといえば、領土の大半を砂漠が占め、人の暮らしにはさほど向いているとは言えない。ただひたすらに寒く、いつまで経っても水は貴重で、ろくに作物も育たない。辛うじて駅周辺の国境と砂漠の境目に人の暮らしが垣間見えるばかりだ。


 主な産業は、人口の三割が占める魔法使いたちの手によって発掘される鉱石の欠片。渇いた大地に生息する唯一の植物――ヨルサキの花の蕾の中から採れる貴重な鉱石だ。


 ヨルサキの花は砂漠の砂の中に埋もれるようにして咲き、冷えた地中で蹲るようにしながら育つ。開花の間際に僅かに地表に蒼い蜜を滲ませ、魔法使いたちはその色を見分けて、そこに埋まっている花を取り出す。開花寸前の蕾の中に眠っている鉱石は主に青い色で、どのようにして花から鉱石が育つのか、その原理は解明されていない。ただ、これが《外》の世界にはない植物らしく、マグノリアに渦巻く魔力の風が生み出した奇跡の花であることは確かだった。

 採掘された鉱石は職人の手によって加工され、お守りや装飾品として世に出回る。


「車内販売でーす。長旅のお供にいかがでしょうか」


 前の車両から、ワゴンを押した若い販売員がやってきた。使い古されたワゴンの下段にはお菓子類を、中段にはサンドイッチやお弁当類、上段には簡易プラスチックのタンブラーに入った飲み物が豊富に積まれている。

 おいしそうだな、とテオが食欲のままにワゴンの上を見つめていると、美童は彼を呼び止め、飲み物と軽食を買う。


「サンドイッチとドライフルーツを。この子の分もね。飲み物は僕はホットの緑茶。テオ、君は何を飲む?」


 テオはワゴンの上段のぞき込む。蓋が閉じられたタンブラーがずらりと並び、蓋の部分に無地のシールで飲み物の名前が記されている。


「じゃあ、ぼくはミルクティーを」


 美童は財布から銀貨二枚を出し、「お釣りはチップにして」と気前よく言う。販売員はにっこり笑って丁寧にお礼を言った。

 販売員が去り、品物が簡易テーブルに広げられたタイミングで、テオは服のポケットから自分の財布を取り出す。


「あの、ぼく、自分の分……」


「いや、いいよ。君の分くらい払えるって」


「でも」


「いいって。若い子相手にカッコつけたい年頃だから」と、美童ははにかんだように言い、白い湯気を立ち上らせた緑茶を啜る。


 テオはこれ以上食い下がることも忘れて、年長者ならではの気前の良さに感動した。大人しく財布をしまい込み、「すみません、ありがとうございます」と恐縮しながらミルクティーに口をつける。


 砂糖が多く入っているのか、家で飲むものよりもだいぶ甘い。

 マグノリアは一年を通して気温が低く、空気も乾燥気味だ。一番暖かい日でも外気温十五度を超えることは少ない。

 今日は殊更ことさら冷えた。寒い日は無性に甘いものが恋しくなる。茶葉はさして良いものではないのだろう。彼が家で愛飲している徳用のパックの物と同じ味がする。それでも、長旅の序章たる列車の中で飲むミルクティーは、いつもより格段においしく感じた。


「ここからナランナまでは五時間かかる。しっかり休んでおこうね。もしかしたら砂漠のど真ん中でと大立ち回りを演じることになるかもしれないし」


 冗談めかして言う美童に、テオの顔は緊張に強張った。


「やっぱり、いるんですかね……砂漠のボス」


 二人は家を出る前、宵一からある忠告を受けていた。


 ――ナランナ砂漠には、巨大なサソリの怪物がんでいて、縄張りに侵入した人間を襲うことがあるらしいから、十分気を付けるんだよ。


 以前に宵一が小説執筆のための取材旅行で訪れた際もその噂を聞かされていたようだったが、そのときは影も形も、物音ひとつ現さなかったので単なる噂に過ぎないけど、ということらしい。


ねぐらを荒らすような不届を働かなければ大丈夫だよ。僕らのたった二人旅だし。兄さんはもっと大所帯で乗り込んでいって無事だったんだしね」


 宵一は仕事柄――元々の気質もあるが――あまり体力を必要とされるフィジカルな旅には向いていない。ましてや砂漠を行くのに一人や二人では心もとなかったので、編集部の人間二人と現地のプロ数人を率いて、さながら砂漠のキャラバンのような旅を楽しんできたらしい。

 それでも、心配性の気があるテオの胸にわだかまった不安は、完全には拭いきれないままであった。


 ――二人だけで大丈夫かな……。


 先の不安が無事に溶けるのを祈りながら、テオは再びタンブラーに口をつけた。


 間もなく列車はマグノリアの果てへ向けて発車する。ホームに出発を告げるアナウンスが響き渡り、ゲートを潜った数人の客が小走りで乗り込んでくる。


 美童は、ハムとチーズとレタスの挟まったサンドイッチに手をつけ、「君も食べてね」とテオに勧める。


「いただきます」


 お言葉に甘えて、テーブルの端に並んだドライフルーツに手を伸ばしたその時、発車のベルと同時にホームから二人の乗客が慌ただしく駆け込んできた。やけに背の高い男と、その息子だろうか。男の方は宵一よりも背が高く、奇抜な外見が目を惹いた。


 彼らに背を向けていた美童は、新たな乗客には目もくれず、ポケットから懐中時計を出して時刻を確認していた。「もうすぐ出発だね」


 ドライマンゴーの甘さに頬が弛緩ちかんしかけたテオの表情が、一気に驚きに染まったのはその時だった。

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