12. 幻覚対戦

 突如、後方車両から地響きをともなった轟音ごうおんと、地獄のような悲鳴が破裂し、列車内はたちまち混乱の渦中へと放り出された。


 夢の中だったクラレンスは大きく息を呑んで飛び起きると、「わあ!」と甲高い悲鳴を上げた。すっかり目が覚めてしまっていたテオも「な、何!」と落ち着けていた腰を浮かせる。


 車輪が脱線するんじゃないかと思う程の激しい横揺れの後、天井でぼんやりと薄明りを放っていた電球がちかちかと明滅する。


 不気味に同じ風景を繰り返し見せる車窓のこともあり、半ばパニックに陥るテオを、美童は冷静に宥めた。


「大丈夫だよテオ。落ち着くんだ。来い、クラレンス」


「は、はい」


 寝ぼけまなこしばたたかせながら、クラレンスは這うようにしてテオたちの席へ移動する。

 美童は兄弟を席の奥へ押し込み、自分は通路側で彼らを守るように立つ。


「美童さん、一体何が起こっているんですか? キティさんは?」


 クラレンスが心細そうに視線を震わせた。


「あいつは様子を見に行った。多分大丈夫だとは思うが、何やら面倒ごとに巻き込まれたようだぞ」


 その時、血相変えた乗客たちが後ろの車両から続々と逃げ込んできた。

 たちまち、二号車内に恐慌が伝播でんぱする。周囲の乗客たちも弾かれたように立ち上がって、彼らに続いた。これはいよいよただ事ではないなと通路へ出ようとしたその刹那、空いたままの連結扉の奥から、物凄い勢いで誰かが吹き飛ばされてきた。キティだった。


「キティ!」


 キティは、右肩を床に打ち付けながらも、通路で一度側転してすぐさま体勢を立て直す。その表情からは余裕が消えていた。余白の目立つ双眸は鈍い光彩を放ち、天敵を威嚇する猛獣を彷彿とさせる。


「キティさん!」


 クラレンスが悲鳴のような声を上げて立ち上がる。


「おい、何やってんだよお前」


 美童は眉根を寄せて、責めるような口調だ。とは言っても、彼の劣勢れっせいを責め立てているというよりは、「一体何があった?」と問うているような雰囲気である。


 キティは乱れた前髪をかき上げながら、「うるせえ。あいつのせいだよ」と、後続車両に目をやる。


 再び列車が轟音と共に激しく揺れる。鼓膜が震え、軽い眩暈を引き起こすさまは、さながら世界の終わりを体感している気分だった。


 兄弟は悲鳴を上げて抱き合った。直後、もう一度爆発が起こる。その振動で連結扉が激しい音を立てて閉まった。


 ――うわあああああ!

 ――きゃあああああああ!!!!!


 人々の恐慌に囚われた絶叫が続く。


 美童は兄と抱き合ったままのテオの腕を掴んでボックス席から引きずり出すと、

「君たちは前の車両まで逃げろ!」と叫んだ。


 その時、連結扉の向こうに、ゆらりと昏い人影が立つ。墓から蘇った死者のような影は、ゆっくり――まるで、見えない幽鬼の手によって開かれているかのように、ゆっくりと扉を開ける……。


「美童、聞け。この列車にゃ、とんでもない大悪党が同乗してんぜ」


「大悪党?」


 キティが愉楽ゆらくを滲ませた声で言う。「誰だと思うよ?」


 二人の視線が、連結扉を開けた男の姿を射る。


「殺人鬼だ。《血染めのルーイ》」


 ドアの向こうからまろび出た男と目が合ったのは、その時だった。真っ赤に充血した目、恐怖と自棄を起こしたことによって、歪な形のまま引きった表情。呻き声を伴った激しい気息。理性をかなぐり捨てた狂人の姿をしたルドヴィヒ・ローエンが、血涙を流さん勢いで、乗り込んできた。


「……本物か」


「ああ、本物だ」


「この爆発はあいつが?」


「……俺の爆発も混ざってる」


「はあ?」


 殺人鬼・血染めのルーイ。

 ケルシュ出身の魔法使い。幼くして魔法の才能を開花させ、勉学に励みながら芸能の道を志す。

 両親と弟が一人。家族間の関係も良く、恵まれた家庭環境で育ち、親類縁者の中でも一目置かれるほどの文武両道、容姿端麗ぶりを発揮。

 元来の器用な性格に救われ、幼くして様々な才覚を伸ばす。しかし、周囲には、そんな彼の前途をやっかむ者も少なくなく、孤独な幼少期を過ごしていたと語られる。


「ルドヴィヒ・ローエン。知ってるだろ。優美な幻術を操るマグノリア一のマジシャン。もっとも現在は、恋人だった八人の女を殺した冷酷な殺人鬼だ。執念深く逃走を続けた挙句、よりにもよってこの列車に逃げ込みやがった」


 ラジオやテレビでは見かけない日はなかった。世にも美しい魔法で人々に感動を与え、その一方で、変に気取らない心安さや、人の良さそうな笑顔と整った顔立ちはエンタメ映えし、彼の舞台のチケットは飛ぶように売れ、非正規のルートで高値で取引されていたこともある。


 女性的でエレガントな美貌は女性たちをたちまち虜にし、女性が二人集まればルドヴィヒの話で巷は溢れかえっていた。その人気はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったのである。


 彼の所属していた事務所は、未来ある若手のドル箱を見事育て上げ、彼の人生はまさにバラ色であった。


 しかし、その幸せはデビュー二年目にして突如、瓦解がかいした。

 芸能の世界で万雷の拍手を、数多の賞賛を浴びせられ、世界に名を轟かす天才マジシャン・ルドウィヒはいつしか初心を忘れ、欲に溺れるようになった。


 富、名声、ありとあらゆるものがルドウィヒの元へ舞い込むようになり、やがて、彼の人生を煌々と照らし出すスポットライトの影では、荒んだ私生活が噂されるようになった。


 彼は、特に女性に魅入られ、そして溺れた。

 なまじ見た目が良いせいで、どんなに性格に欠点があろうとも、それすらも愛嬌があるように見えて、彼にのめり込んだ数々の女性たちにとっては、まさしく《痘痕あばたえくぼ》といったところだったのだろう。


 結果、優柔不断で八方美人な性格が災いし、ルーイの人生はあっと言う間に転落の一途を辿る。

 言い寄ってくる女性たちを無下にできず、みんなに甘い言葉を吐き続け、最終的に恋人は八人。日替わりで交際を続けたとて、誰かひとりあぶれてしまうような歪な関係を続けた。


 ルーイは彼女一人ひとりに他との交際を黙っていたものだから、勘のいい女性たちがそう何か月も騙されているわけがない。


 間もなくして一対八の奇妙な布陣で築かれていた交際関係は終結を迎え、八人の恋人に詰め寄られた挙句に逆ギレして全員殺害。

 幸福の絶頂とはまさに、転落の前座である。


「もういい、どうだっていい。正体もバレた。罪状もバレた。こっちはもう八人殺してる。オレは死ぬしかない。死を以って裁かれるしかないんだよ! お前らも道連れにしてやる。己の不運を呪って死ね」


「自分勝手も大概にしろ」


 美童はしなる鞭のように声を張り上げた。ルーイは怯まず、眼球を真っ赤にせん勢いで気炎を上げる。


「冗談きついぞ。お前なんかと心中なんてごめんだ」


 キティは呆れたように額を押さえ、やれやれと首を振ると、美童を押しのけて前へ出る。妙に芝居がかった所作だ。


「退いてろ、美童。ここは俺がやる」


「……一人でか」


「俺一人で十分だ。引き続きクラレンスを頼むぞ」

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