35. イーヴィルの試練【崩壊】
本当は、自分も舞台に出たかった。
その気持ちに気付かないふりをして祭り当日、校庭に設えられたステージの上でクラスメイト達が揃いの衣装を着て舞台上にいるのを、人気のない校舎の一室から見下ろしていた。
麻のトゥニカになめし加工された赤いベルト。黒いタイツを履いて足元はブラウンのブーツを履いている。
真っ白い外套は満月の光を受けて白々と光り輝き、異国風の音楽に合わせて木でできた先の丸い剣を手に、架空の敵を切り伏せる少年少女たちの頬はバラ色に上気している。
達成感と、高揚。心から祭りを楽しむ者の表情が、そこにはたくさんあった。
胸が締め付けられる思いで舞台から目を逸らしたテオは、今までも幾度となく感じてきた後悔の念に思考を奪われながら、すん、と洟をすすった。いつもより激しく痛む胸が訴える。いい加減、自分のやりたいことをやりなよ。
この祭りは町の人間との交流が目的であるため、終始和やかな雰囲気に包まれている。
舞の振り付けを間違えようが、衣装の飾りが解けて落ちようが、誰もそんなことを咎めるようなことはしないし、何なら気付かないだろう。
ただ、祭りに参加したいという気持ちさえあれば、誰だって楽しむ権利はあるイベントだったのだ。
本来ならあの舞台に自分もいた。同じ衣装を着て、みんなで笑いながら練習をして、自分とクラスメイト達を隔てていた見えない壁を壊すきっかけになっていたかもしれない――そう思うと、こんな薄暗い校舎の隅で煌びやかなステージに卑屈な目を向けている自分が酷く惨めで仕方なかった。
彼らのステージが終わり、会場全体から割れんばかりの拍手が沸き上がる。その音はどこまでも優しさに満ちているはずなのに、ボロボロに弱ったテオの心には末端の切り傷に塩をすり込まれたような痛みを強いた。
気が付けば、ズキズキと痛む胸を抱えて、延々と鳴り響く拍手喝采を背中で聞きながら、駆け足で家に帰っていた。
家には誰もいなかった。両親は仕事に行っている時間だし、上の兄弟たちは友達と祭りに行っている。
乱暴に玄関ドアを閉めて、戸締りも早々に自室に駆け込む。カーテンが閉め切られて真っ暗だったため、床に広げていた本や服に足を取られながら冷えたベッドに潜り込むと、堪えていた嗚咽が喉を突き上げ、静寂を割く
悔しい。
悔しい。
何がそんなに悔しい。
毛布の中で胎児のように丸くなりながら胸の内で繰り返す。悔しい理由なんてわかりきっている。自分の意思でものを決断できないことに途轍もなく腹が立って悔しいのだ。
過ぎたことをうじうじと考えて、前に進むことを拒み続ける自分が哀れでならないのだ。
・
・
・
――こんなこともあったな……。
眼前の鮮明な大スクリーンに映し出された過去の記憶を呆然と眺めていたテオの視線の先に、今度は一つ上の兄、ルカが現れる。
『別に、テオの勝手にすればいいじゃん』
『なんで俺に一々頼ろうとするの。俺暇じゃないんだけど』
取り付く島もない冷たい言葉。
ルカのこのセリフは何気ない日常でよく浴びせられるものだ。
ルカは、良く言えばマイペース。一方で情に薄く、愛想がない。そういうところがとっつきにくく、テオはルカに話しかけるのが特に苦手だった。顔色を窺わないと会話が成り立たないし、そしてなぜかルカはテオに対してだけやけに辛辣であった。どんなに機嫌が良くても、テオが声をかければいつだって
その度に「ぼくは何かしてしまったのだろうか」と考えていた。物心ついた時から彼は末弟に対してそんな感じだったので、原因は未だ不明である。
『テオ』
いつの間にかルカが消え、次に現れたクラレンスが、闇の中で俯く末弟に向かって、普段と変わらないやさしい声でその名を呼んだ。その距離はおよそ三馬身程。遠いようで近く、近いようでいて遠い。そんな距離だ。
テオはゆっくりと、覇気のない顔を上げる。
この人には何を言われるのだろう、と無意識の警戒心が頭を擡げる。
長兄はいつだって末っ子のテオに目をかけてくれていた。彼の言葉に気を悪くしたことなどない。それでもテオは怖かった。実はクラレンスも、自分に対してマイナスな感情を抱いているのではないかと思ったことが幾度となくあるからだ。
幻のクラレンスと目が合う。少年の名残を伺わせる丸い頬。やさしい視線。垂れ目気味で、太めの眉はゆるくカーブを描いて彼の人柄の良さに拍車をかける。
――兄さん。
テオは力なく笑って、兄へ向かって一歩踏み出して――留まった。
『テオももう少し、自分に自信を持たないとね』
テオは力を抜くように肩を落とす。
刹那、彼はスクリーンに映る兄に、感じたことのない心の距離を突き付けられたような気がした。
やさしい言葉には違いないのに、その言葉を言われた時のテオは、心を許した兄にささやかな否定をされたように思えて、ショックを受けた。
「わかってるよ、そんなこと……」
そう、そんなことはわかっている。それが出来たらどんなにいいか……自分だってこの卑屈な性格をどうにかしたい。
だから、本を継承するためのこの競争にも参加した。
この旅を経て、魔法使いへの憧れを思い出した。
砂漠の巨大サソリにだって、美童の力を借りながらも立ち向かうことが出来た。少しは自分に自信を持てるかもしれない。今なら……今ならそう言えるかもしれない。魔法使いになりたいんだ、と。
「クラレンス兄さん、ぼくは――」
ピシッ。
ガラスに亀裂が入ったような音が響き渡り、テオの声を遮る。
音の方を見て、少年は目を剥いた。
うっすらと笑ったクラレンスの顔に、深いヒビが走っていたのだ。
「兄さん……?」
たちまち、クラレンスは慈悲深い双眸に
『お前には無理だ』
ピシッ。
再び亀裂の走る音が高く響き渡った瞬間、目の前が真っ暗になる。
――お前には無理だ。
両脚から力が抜ける。
立っていることすらままならず、その場に蹲る。
聴いたこともないような冷たい声が耳の奥で木霊する。
本当にあの言葉はクラレンスの口から生まれたものなのだろうか。
信じたくなかった。クラレンスにだけは、自分を否定してほしくなかった。
唯一心を許した兄からの言葉であると、認めたくなかった。
――お前には無理だ。
――お前には無理だ。
――お前には、無理だ。
だんだんと大きくなる幻聴に、気が狂いそうだ。
「う、わああああああああああ!」
テオは理性をかなぐり捨てて、感情のままに叫んだ……。
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