23. ナランナ砂漠

 商店街を抜けると、早くも砂漠の気配がテオと美童を出迎えた。

 カラカラに乾いた空気と、刺すような冷たい風。マグノリアの内陸に位置するケルシュとはまた違った骨身に染みる厳しい寒さに、無意識のうちに腹の底に力が入る。


 砂の匂い。

 ひらけた視界の遠くに見えるココア色の砂の海。

 足元にはまばらに砂粒が落ち、赤いレンガ造りの地面の所々を肌理きめの細かい茶色が覆いかぶさっている。


 砂漠の風に乗ってやってくる『死』の気配がテオの頬を掠める。明確な『死』ではなく、静寂の底に沈んだ『死』の気配。荒涼とした静けさに晒されて風化した概念。全てが死に絶えた後の世界には、こんな風が吹きすさぶのだろう。


「お城は見えませんね」


 テオが地平線をめつすがめつしながら言う。目路ばかりの砂海が緩やかなさざなみを描き、広漠たる砂漠の上には至極色の空が広がっている。住んでいる街とは比べ物にならない壮観な景色に、世界の大きさを思い知る。


「うん。長旅になりそうだね」


 二人は商店街を出たところで馭者ぎょしゃを雇って馬車に乗り込んだ。ここから砂漠の入り口までは十キロほどあるのでそこまで運んでもらって、以降はラクダに乗って進む。

 所謂、街中を走る移動用のバギーではなく、幌のかかったキャラバンだ。ヨルサキの花を目的とした商人たちが利用することが多く、いくらか荷物を積み込める広さがあった。


 出発を待っている間に馭者が用意してくれた麻袋に包まれた焼き石を抱え、三十分ほどの道のりをゆく。

 馬車は凹凸の目立つ道の上を早足で駆けるのでよく揺れた。喋っていると舌を噛みそうになるので、ほろの中は自然と沈黙に包まれていた。


 やがて馬車はのんびりと停車し、御者が幌を捲って声をかけてくれる。馬車で行けるのはここまでのようだ。

 冷えた焼き石を返しながら荷台から降りると、目の前には深い砂の海が広々と横たわっていた。


 テオは大きな目を輝かせて、砂と、空と、その境界線ばかりが展開される世界を声もなく見渡していた。見渡す限りの砂漠のどこかにあの廃城があって、自分か兄が来るのを沈黙して待っているのだと思うと胸が急いて仕方がなかった。


「どうもありがとう」


 その後ろで美童は財布から金貨一枚を出して御者に渡す。「お釣りはもらってくれる?」

 若い御者はほっこり顔で「ありがとうございます」と礼儀正しく頭を下げ、来た道を去って行った。


 周囲には小さな建物がぽつぽつ点在しているばかりで、いよいよ人の気配が希薄になってきた。そのどれもが家、と言うよりは小屋の構えで、人が棲んでいるのかどうかも曖昧である。


 美童は財布を荷物にしまい込み、「行こうか。ラクダを借りよう」と、右手側にある建物に向かう。

 古びたプレハブ小屋の様相で、ガラスに黒いカーテンが掛かったスライドドアから中に入れるらしい。


 美童は「どうも」と声をかけながら中へ入っていった。焚かれた暖房の風が、テオの冷えた頬をそっと包み込む。


 小ぢんまりした部屋には、二人の男女がカウンターの向こうでラジオを聞きながらなにやら作業をしていた。


 こんな時間まで働いているなんて仕事熱心だなと、テオは壁掛け時計を見上げた。後々美童から聞いた話だと、ここら辺にはあと二軒ばかしでラクダを借りることが出来るらしいが、この時間に客を迎え入れてくれるのはこの店だけのようだ。

 夜行列車に乗って都市から来る客のために、この店が夜間の業務を担っているということだった。

 都会に住む宝石商や魔法使いがヨルサキの花を目当てに夜行列車に乗ってくることはさほど珍しいことでもないらしく、つい三日前も派手な魔法使い一行が数頭のラクダを借りに来たという。


 美童とテオが入ってきて、男の方が座っていた椅子から立ち上がり、愛想良く対応する。


 美童は慣れた様子でカウンターで手続きすると、案内された小屋の裏手側から一頭のラクダを引いて砂漠の砂を踏んだ。


 毛艶がよく、大事に世話をされているのが見て取れる。黒目がちな瞳と長いまつ毛が愛らしい、ベージュ色の毛皮のラクダだ。名前はタフィさんというらしい。


 鞍や手綱と言ったものは店主が手際よくセットしてくれたおかげで、馬車を折りてから十五分足らずで砂漠の旅が始まる。


「この子だけでいいんですか? 二人の体重を支えられますでしょうか」


 テオが意外そうにタフィを見上げる。長いまつ毛をそよがせながら、「舐めないで頂戴」とばかりにこちらを見下ろしてくる目つきは、人間の言葉を理解しているような節を見せた。


「ふふ、ラクダをあなどるなかれ。普段はもっと重い荷物を抱えたキャラバン一行と共に砂漠を旅する彼らだからね。僕と君の体重くらい軽々さ」


 美童は微笑むと、まず初めにタフィを地面に座らせ、それでもなお難儀しながら大きなこぶの間をまたいだ。鞍にしっかり腰を落ち着けると、次にテオを抱き込むようにしながら乗せる。


「失礼します……」


 背中に美童の温もりを感じる。後ろから少年を抱き込むように手綱を取れば、タフィがのそりと立ち上がった。

 その際の慣れない揺れにすわ落下しそうになったテオは、慌ててハンドルにしがみ付く。


 意外と高い。落ちたところで下は沈むような砂の海なので大した怪我にはならないが、それでもテオは全身に力を入れて、馬とは違った横揺れに身体が慣れるよう努めた。


「大丈夫? さあ、行こうか」


 美童が手綱を手繰ると、タフィはゆっくりと前進した。初めはゆっくり、徐々にスピードを上げて。

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