1. ケルシュの魔法使い 〈2〉

「すみません、お待たせしてしまったようですね」


 テオは挨拶をするのも忘れて、息を切らして駆け込んできた人物に目を奪われた。

 なんて美しいひとだろう。思わずカップの取っ手を取る手にきゅっと力が入った。


 オリエンタルな雰囲気のある涼し気な目元。繊細せんさいな細面。顔から下のストイックな身体つきは、痩せているけれど、成人した男性らしくしっかりとしていた。


 顔立ちはやや中性的でありながら、切れ長の目の上の眉は太めで凛々しい。首は長く、バレエダンサーのような美しい立ち姿は水仙の花を思わせた。


 ミステリアスさとアンニュイさの同居した印象で、その雰囲気を強く印象付ける豊かに波打った艶やかな黒髪。走ってきたせいか、僅かに乱れて胸元で揺れていた。

 まるで夜の国の王様のようだ、とテオは衝撃のあまり眩暈めまいのようなものを覚えた。

 宵一とはあまり似ていないな、と言うのが率直な感想だった。


 彼は着ていたコートを脱いでソファの背もたれへ畳んでかけると、同時に宵一がすっと立ち上がって部屋を出てゆく。


「はじめまして、僕が美童です。わざわざお越しいただいてありがとうございます。ええと、テオ・ファンフリートくん。失せ物探しのご相談でしたか」


 テオは解いたばかりの緊張に今一度感情を乱されながら、「はい」と頷いて居住まいを正す。数日前に、電話で会う約束を取り付けてはいたが、その時には相談内容を詳しくは説明しなかった。


 美童は、今まで宵一が座っていたところに浅く腰を下ろした。


「早速ですが、詳しくお話を聞かせていただいても?」

 

「ええ」テオは気を取り直して、「ぼくの家は、代々一家の長が一冊の本を継承する習わしがあるんです。ぼくらの代で六代目になります」


「本?」


「はい。魔法書と呼ばれています」


 美童が感心したように頷く。


「ぼくは末っ子で上に兄が四人いるのですが、ぼくらのうち誰が本を継承するかで揉めに揉めまして。度重なる水掛け論に業を煮やした父が、魔法で本をマグノリアのどこかへやってしまったんです」


「……随分、突飛な御父上ですね」


 それは実子であるテオも同じことを思った。父は感情的に行動を起こすことが間間ままある。同意するように苦笑を返すしかない。


「して、その《本》は一体どういったものですか?」


「魔力を宿したものです。中には様々な魔法の呪文や、魔法薬の作り方なんかも書いてありました。この本を書いた最初のご先祖様が、自らの魔力を込めて書き記したもので、ファンフリート家の人間はこの《本》を受け継ぐことで本の中の魔力を自分の魂と融合させ、魔法使いの血を末代までつむいでゆこうとしているみたいです」


 かつてのマグノリアは、住人全てが魔法使いであった。だが血脈というのは紡がれると共に徐々に徐々に薄らいでゆくもの。魔法使いの血は初代のマグノリア人から脈々と受け継がれると同時に、少しずつ薄れ、今やこの地上に暮らす魔法使いは人口の七人に一人と言われており、他の六人は全く魔法が使えない、もしくは小さなものなら何とか使える程度である。


 そもそもの《魔法使い》という定義が揺らいでるのが現代だ。

 魔法を生業として食いつないでゆく者が、現代で呼ばれる《魔法使い》といったところか。


 マグノリア人の先祖は科学技術よりも魔法の発展を信じ、選んだ。だから外の世界を捨て、永久の夜に身を潜める生き方を選んだ。自分のちからを――魔法のちからを信じて。

 それから長い時間が過ぎ、では科学が目覚ましい発展を遂げ、魔法を選んだマグノリアは魔法ちからの衰退を目の当たりにしている。マグノリアに移住したファンフリート家初代のご先祖様はそんな未来を見越したように、そうして本に魔力を流し込んで子孫たちに託したのかもしれない。


 それでも、魔法はやがて滅びるだろう。


「父の行動に兄たちは更に揉めました。真ん中の兄らなんかは取っ組み合いまで始める始末。お前が引かないからだなんだと醜い争いを続けるもんだから、ぼくは早々に家から出たくなって、あなたを頼ることにしました」


 兄弟の話をするときのテオは、決まってうんざりしたように眉を寄せる。美童はそこに、兄弟間に生じた不和を感じ取る。


「血の気が多いのは若い証拠さ」


 美童は肩を竦める。


「最終的に、本を見つけた者が《本》を、そしてファンフリート家の家督を継ぐということで、なんとか丸く収まったという感じです」


「それはいつのお話です?」


「三日前です」


「まだ本は見つかっていないのですね」


「ええ。誰かが本を見つけたらすぐに言葉鳥ヴォワ・ワゾーで兄弟たちと連絡を取り合う決まりになっています」


 言葉鳥ヴォワ・ワゾーは、言葉を運ぶ伝書鳩のようなものだ。タイムラグなく、いわば電話のようなもので、定められた呪文を唱えると、いつでも主人の元へ現れる。魔法使いの間でも使い魔としての人気が高く、彼の父が早急さっきゅうに五人分用意して、今はテオの影の中にその鳥は潜んで、仕事に呼び出されるまで待機中だ。


「正直、ぼく一人ではとても見つけられません。ファンフリート家に生まれ落ちたぼくですが、お恥ずかしいことに、ほとんど魔法が使えないんです。生まれ持った魔力の量が少なかった。本の魔力の残滓ざんしを追うような芸当もありません。それでも、ぼくはどうしても本を手に入れなくてはならない理由があります。どうか、力を貸していただけませんか」


 テオはジャケットのポケットから掌に納まるサイズの麻袋を取り出した。中には金貨が四枚入っている。緊急時のためにと貯金しておいた貴重な財産だ。「足りなければ、まだ出せます」


 お小遣いの前借でも何でもして、必ずや自分の手に収めたい。


 美童は頷き、「お断りする理由はありません。承りました。ファンフリート家に代々続く魔法の書を探し出す。あなたの望み、叶えましょう」

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