27. 砂漠の大怪獣

 最果ての地ナランナ国にて、ひそやかに囁かれていたその存在。


 ナランナ砂漠のボス。

 見渡す限りの砂の海に、人の気配を嗅ぎつけてやってくる大怪物。


 煌々こうこうと降り注ぐ月影の下、その姿はうるしのような黒を光らせ、二つの巨大なはさみと長い尾の先端にあるいかりのような鋭い針を持つ。


 ナランナ砂漠にはヨルサキの花の他にも、魔法薬に使う貴重な植物――こんな水のないところに生るから貴重なのである――が生息していることから、魔法使いとキャラバンの一行がよくこの砂漠に足を踏み入れるが、時として彼らはこの不運に見舞われることになる。


 どのようにして生まれ、どのようにして育ったのか、全てを謎に包まれた砂漠の怪異が、今、廃城目指す二人の旅人の前に屈強な壁となって立ちはだかっていた。


「こいつが、兄さんの言っていた巨大サソリ……」


 美童は、まさか本当に出くわすとは思っていなかったために、まさに開いた口が塞がらない有様だ。


 サソリは逃げ惑う二人の人間と、彼らを乗せた一頭のラクダの方へ、のそのそと体の向きを変える。まだ攻撃をしてくる様子はないが、明らかにこちらを警戒しているようだった。

 動きが鈍いのが救いではあるが、身体も大きく、長い尾による攻撃範囲は広い。まずはサソリの尾の射程外に出るのが先だ。


「行け!」


 美童は手綱を打って、タフィを走らせる。彼女は己の奮い立たせるように大きく息を吐いて、沈むような柔らかい大地を蹴って走り出した。しかし、ラクダの走る速度は三十五キロ前後。巨大サソリの大きな一歩では簡単に追いつかれてしまう。


 美童がちら、と肩越しに後ろを振り返った時、サソリが長い尾を振りかぶった。

 まずい! と思うや否や、毒針の先が夜陰に鈍く光りながらこちらへ飛んできた。

 二人は尾の中辺りでからめとられるような形でなぎ倒された。


「ああっ」


 物凄い勢いでタフィ諸共投げ飛ばされ、十メートルほど吹き飛ばされる。下が柔らかい砂でよかった。少し肩を打ち付けたくらいで、怪我らしい怪我もない。


「テオ、大丈夫か」


 美童は急いで起き上がり、テオを助けに走る。


「はい、平気です」


 テオはよろめきながら立ち上がる。


 タフィは早足で逃げ、雇い主の方を心配そうに振り返った。良い。そのまま離れていてくれ。砂漠のど真ん中で足を失うのも厄介だが、あれは借りているラクダだ。もしものことがあったら、相応の責任を取らなければならなくなる。


「君も離れていろ」


 美童はテオを背後に庇うようにして制すと、左手の人差し指を立てる。白く長い指で、宙にくるくると小さな円を描く。


Calorカロル(熱)……渦を巻け、灯れ、 Ignisイーグニス(火)」


 唱えた呪文が、彼の指先に真っ赤な炎を灯す。初めは蛍の光のように小さなそれは、次の瞬間には夜闇を駆逐して激しく燃え盛り、そして徐々に形を変え、夜天へ向かって巨大な螺旋を描く。激しい熱風が美童の髪をざわめかせた。


 美童は重心を落として腰を据えると、向かい来る巨大サソリに向かって赤き螺旋を放つ。ゴオオオオ、と激しい唸りを上げて放出されたエネルギーは、サソリの硬い巨躯にぶつかって弾けた。炎は掻き消え、辺りには再び夜陰が戻ってくる。


 明確な殺意を持って攻撃されたと判断した巨大サソリは、束の間よろけたように後退したが、ぎらりと光る双眸をはっきりとこちらへ向けてから、怯みもせずに一心に美童の方へ突進してくる。


「硬ぇ!」


 苛立たし気に吐き捨てた美童は、次の手を出す。


Suscitatioススキターティオー(覚醒)…… Corvusコルウス(鴉)」


 たちまち激しい羽音を響かせながら、遠くの空からカラスの大群が、黒き疾風の如き速さで怪物を取り巻く。サソリはたじろぐように足を止め、黒い霧の中で身を捩った。


「今のうちに!」


 美童はテオとタフィを連れて、金の粒子が滴る方角へ走る。

 遮蔽物のない砂漠の中心では身を隠せるところがないので、彼らに与えられた選択肢は二つ。逃げるか戦うか、だ。


 鴉たちが上手くサソリを足止めしてくれている間に、沈む地面に何度も足を取られながらある程度の距離を稼ぐと、美童はテオの手に手綱を握らせ、背中を押す。


「行くんだ!」


「美童さんは?」


「すぐ追いつく」


 美童は早口に言い、


Suscitatioススキターティオー(覚醒)……」と再び魔法を言葉を紡ぐ。と、左手を握りしめて前に出し、右肘を背中の方へ引き、指先は何かをつまむような形で制止した。弓に矢を番える構えだ。すう、と白い光が彼の手の中で弓と矢の形を成し、眩い輝きが溢れる。


Arcusアルクス(弓)……弦よしなれ、遥か彼方まで……放て!」


 掛け声とともに弦を放れた矢は、光の屑をまき散らしながら物凄い速さで大怪獣へ疾駆してゆく。


 空気抵抗を受けながらも矢は速度を変えず、徐々に大きさを変え、彼の手を離れる時とは比べ物にならない大きさにまでなると、硬質なサソリの前足へ吸い込まれてゆく。鴉の大群は、光が弾けるのと同じタイミングで一斉に飛び立った。一矢目は惜しいところで外したが、美童はすぐさま次のモーションに入る。


「まだだ」


 弓を番える。放つ。

 更なる一撃は、サソリの硬い前脚部に弾かれ、無惨に折れて砂の一部と化す。


「駄目か……」


 焦りを感じながら三矢めを放つも、それは意図しない場所を貫く。美童はなかなか狙いが定まらないもどかしさに悪態を吐いて、再び距離を稼ぐべく走る。息を切らしながら立ち止まると、次に美童はこうした。


Gladiusグラディウス(剣)……鋼鉄こうてつの刃」


 美童は抜刀スタイルで腰を低く落とし、身振りで鞘から剣を抜くと、青い光を放ちながら彼の手にやや大振りの剣が現れる。鈍色に光る刃。何の飾り気もないシンプルな剣。それでいて、見る者を圧倒するような重厚感が波動となって辺りを震わせる。


「僕は剣術にはうとい。一思いに仕留めてあげることは出来ないよ」


 美童は下に向けた剣尖で砂の海を斬りながら、怨敵おんてきへ向かって行った。

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