第三章 華麗なる終盤戦
くだらないゲーム
キングの言い分
七竈館の息子と柊館の甥から、「明日、ケリをつける」と言伝が月桂樹館のコーネリアスのもとに届いたのは、昨日の夕方のことだった。
「近ごろ、あの子たちが何を考えているのか、さっぱりわからなくなったよ」
耄碌したかなぁと、ぼやきながら車椅子のコーネリアスは感覚が鈍くなった右手をゆっくり握りしめてゆっくり開いた。それだけでも、今の彼には重労働だ。彼はその重労働を、指先の感覚を確かめるように繰り返す。
ゆっくり握りしめては、ゆっくり開く。握りしめては開くを、何度も繰り返す。
ベッドを整えながら、アンナは困ったように笑う。
「ジャック様も、マクシミリアン様も、もう大人ですからね。いつまでも、コニーが思い通りに動かせるわけではないでしょう」
「まぁ、それはそう、なんだけどね」
ふぅと息をついて、コーネリアスは肘掛けに右手を休める。
「今日は、調子が良さそうだよ、アンナ」
「それはよかったですわ」
満足げな彼だったけれども、明らかに春先よりも握力は低下している。
ここまで生きていられたのは、奇跡だと多くの人は言う。
けれども、彼自身はそうは考えていなかった。アンナたちの献身的な看護がなかったら、宣告どおり大人になるなんてありえなかっただろう。
発作や痙攣を抑える新薬のおかげで、ここ十数年は生死の境をさまようことはほとんどなくなっていた。
それでも、彼の体は快方に向かうことはなく、ゆっくりと確実に体は病に蝕まれていった。
髪は薬の副作用でほとんど抜け落ちた。もう十年以上前からカツラなしでは人前に出られない。左目の視力は二年前に突然ほとんど失った。立つこともままならなくなったのは、今年の春。さすがに、月桂樹館で療養に専念するしかなかった。
息子に、ほとんどの権力や権威を譲ったけれども、彼にはまだ国王としてやり遂げなければならないことがあった。
「アンナは、さ。マクシミリアンとジャック、どちらが王になって欲しい?」
「また、その質問ですか」
げんなりした様子で、アンナはコーネリアスの車椅子を押す。
「わたしがとやかく考えることではないでしょう。あの二人は、どちらもいい子ですよ」
「たしかに、いい子だよね」
それはそれで、困るんだとコーネリアスはため息をついた。
良き王を育て上げるのは、王の役目だとコーネリアスは考えている。
そもそも、彼は先王の圧政の爪痕をすべてなくして、早々に甥のマクシミリアンに王位を譲るつもりだった。そう、彼が国を去った兄を呼び戻さずに王となったのには、甥のマクシミリアンがいたからだった。
尊敬していた長兄クリストファーが遺してくれた一粒種のマクシミリアンは、彼にとってかけがえのない存在だった。
そこに、思いがけず息子ができた。
高貴な者にはふさわしくないジャックという名前を与えた息子も、マクシミリアンと同じくかけがえのない存在となった。自分の血を引いているにもかかわらず、庭園を駆け回るような元気な息子の姿に、こっそりと涙ぐんだことも少なくない。
柊館で、二人は仲の良い兄弟のように育っていった。ジャックは、いつもマクシミリアンの後をついて回った。マクシミリアンも、ジャックを可愛がった。
二人とも、マクシミリアンが王になって、ジャックが彼を支えるのだと、将来を疑ったことはなかった。
ところが、そんな微笑ましい光景がコーネリアスに警鐘を鳴らした。
このままでは、マクシミリアンは良き王にはならないと。
マクシミリアンは、父親によく似ていた。容貌のことではない。気質がだ。人を惹きつける魅力とでも言えばいいだろうか。そういったものを、父のクリストファーも持っていた。
それだけだったらまだよかったのだけれども、繊細さや情に流されやすいところまで、彼は受け継いでしまっていた。
このままではいけない。
クリストファーを影から支えていたコーネリアスのように、マクシミリアンを支えられるような存在がいなくては、良き王にはならない。もしも、悪意を持つ者や愚かな者を信用することになったらどうなるか。結果を想像するのは難しくなかった。
ジャックを、マクシミリアンを良き王として支えられるように育て上げるべきだろうか。
悩んだ末に、彼は二人を対立させることにした。王冠を巡って競わせて、よりふさわしい方を選ぼうと決めた。
仲の良い二人を対立させるために、彼はまずジャックを王太子にした。
マクシミリアンに対する裏切りだと、強く反発した息子に撤回するまで断食すると宣言されたときは、発作を起こして危うく死にかけるはめになった。と同時に、仲が良いだけではなく互いに依存しているのではないかと、逆に彼は自分の決断は正しかったのだと確信した。
「これは、王冠を巡るゲームだ」
後日、月桂樹館に呼び出した二人に、コーネリアスはそう告げた。
おどおどと不安そうにうつむくマクシミリアンと、怒りに燃える目で睨みつけてくるジャック。まるで、対照的ではあったけれども、二人ともマクシミリアンが王太子になることを望んでいるのだと、よくわかった。
コーネリアスは心を少しは痛めていたかもしれない。けれども、彼は面白がるように何か企んでいるような笑みを浮かべた。
「マクシミリアン、お前に世間は同情的だ。お前次第で、わたしの決定を覆せるかもしれん」
まだ認められるチャンスがあるだと、悟ったマクシミリアンはようやく顔を上げた。暗かった藍色の瞳にも、まだ弱々しいけれども光が蘇った。
けれども、横にいるジャックまで我がことのように喜ぶのはよろしくない。
「ジャック、お前を支持するものはまだ少ない。ゼロに近いと言っていいだろう。誰もが納得するように、世間に認められるように努力しろ」
「俺は、そんな努力しません」
そう言うと思ったと、コーネリアスは震えそうになった右手をおさえる。
「
その頑固さは母親譲りなのかと、コーネリアスは呆れてしまう。
「王冠を巡るゲームから降りるなら、二人とも月虹城から追放することになるぞ」
ぎょっとした二人に、コーネリアスは厳しい声で続けた。
「当然だろう。この月虹城は王族のためにある。ジャック、お前が王位継承権を放棄するというなら、出て行け。マクシミリアン、お前もだ。二人揃って、路頭に迷うがいい」
「父上、そんなことをしたら……」
「わたしの兄を呼び戻せばいいだけのことだ。お前たちよりも、はるかにマシな治世を約束してくれるだろうよ」
「……横暴だ」
ジャックは拳を握りしめたものの、そんな弱々しい声しか出てこなかった。マクシミリアンは、またうなだれている。
(なかなか可愛げがあるじゃないか。ギル兄様は論外としても、リチャード兄様とチャールズ兄様も、国は任せられんからな)
何より、呼び戻そうとしたところで素直に戻ってくる奴らではないことくらい、コーネリアスはうんざりするほど知っているのだ。
しかし、コーネリアスの脅しは、年端もいかない少年たちには充分効果的だった。
「わかりました。叔父上が、そこまで言うなら、僕はまだ諦めません」
「
顔を上げたマクシミリアンは、驚いたジャックを視界に入れなかった。
「だ、そうだ。ジャック、お前はどうする?」
しばらく悔しそうに唇を震わせてジャックは、握りしめたままの拳を開いた。
「……
納得できないと、ジャックは顔に書いてあった。瞳は怒りに燃えたままだ。
その日から、マクシミリアンは自分を支持する者たちとひそかに接触するようになった。
ジャックをその気にさせるのは、難しかった。彼は、ずっと父に怒っていた。強引に七竈館に居を移させても、なかなか王になりたがらないその頑固さに、コーネリアスも閉口したものだ。
「……まぁ、婚約者のおかげでうまくいったがな」
ポツリとこぼしたコーネリアスのひとり言に、車椅子を押すアンナは彼が何を考えていたのか想像がついた。
「あの子達は、本当にいい子よ。コニーが無理やり絆をさこうとしたのに、今でも仲がいいじゃない。表面上だけかもしれないけどね」
「そう、それだよ、アンナ」
憂鬱そうにコーネリアスは続ける。
「あの子達は、なぜ水面下にこだわる必要があったんだい。いくらでも、手段はあったというのに、だ」
この前の教会絡みの件もそうだ。魔女のクスリにこだわらなければ、反体制勢力に逃げられるようなことはなかったはずだ。ジャックはわざと逃したのではないかと、コーネリアスは疑念を抱かずにはいられなかった。
「コニー、わたしにはあの子達はお互いを相手しているのではなくて、もっと別のものと戦っているように、思えてならないわ」
「別のもの、というと?」
首を傾げたコーネリアスに、アンナはいたずらっぽく笑って車椅子を止めた。
その部屋には、すでに黒庭師の頭領が待っていた。
「それで、マクシミリアンとジャックに動きはあったのか?」
「それが……」
と、双子たちの父でもあるエイブラハム・グリーンは、困惑した様子で、ジャスミンが一人で雛菊館を出ていったと報告した。
その報告は、コーネリアスにとっても不可解だった。マクシミリアンとジャックが彼女を巻き込まないようにしていたのを、知っているからだ。
「彼女は、呼び出されたと考えるのが妥当だろうな」
「マクシミリアン様の侍医が呼び出したようですね」
把握できなかったことを、庭師の頭領として恥じているようだった。
「それで、その医者はジャスミンをどこに呼び出したんだい?」
「栄光の四阿です」
「それは……」
庭園の中の四阿の名称を聞いて、コーネリアスは目をみはった。それから、愉快そうに唇の端を吊り上げた。
「やれやれ。それはなんとも因果なことだな。どうケリをつけるのか、楽しませてもらおうじゃないか」
自他ともに認める大のゲーム好きのコーネリアスは、ククっと喉を鳴らして笑った。
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