もう一人の王子
メリッサは、ジャスミンを守るように前に出る。
「メリッサ、君はたしか雛菊館の女中頭になったそうだね」
「ええ、ジャスミン様をお守りするために」
物怖じすることなく答えたメリッサのむき出しの敵意を、マクシミリアンは笑って受け流す。
「だったら、俺を追い払わないほうが彼女のためだとわかるだろう。俺は彼女とゆっくり話したいだけだ」
「そのために、あんな使い古された手を……」
「そうでもしないと、ジャックは彼女と話もさせてくれないだろう。俺はジャックのように回りくどく裏で立ち回るのは、苦手でね。使い古されてもわかりやすくて簡単なほうがいい。実際、とても効果的だったじゃないか」
やれやれとマクシミリアンは大げさに首を横に振ってみせる。
「それに、俺がいたほうが、彼女のためになるだろうよ。迂闊に誰も近づいては来ないからね」
実際、彼の言うとおりだった。先ほどのジャックの騒ぎがあったにもかかわらず、会場の人々は横目でうかがうばかりで誰も近づいてこようとしない。
(ちょうどいいわ。わたくしも、話したくてしかたなかったもの)
拳を握りしめて、ジャスミンは覚悟を決めた。
「メリッサ、下がりなさい」
「ジャスミン様……わかりました」
不本意だったけれども、メリッサは彼女に従った。
マクシミリアンは、意外そうに軽く目を瞠る。
「噂通りというべきか、君はずいぶん強気なんだな」
「褒め言葉ですか、それは」
「もちろんだとも」
悪びれる様子のないマクシミリアンに、ジャスミンは毒気を抜かれそうになる。
(油断できないわ。この男、ただの人たらしなんかじゃない)
以前、ジャックから聞いたことをジャスミンは思い出していた。
『
会えばわかると、ジャックが苦笑していたわけがようやくわかった。
「恋人はどうされたのですか? お姿が見当たりませんけど」
「デビーは、まだこういうのに慣れていないんだよ。気疲れしてしまったから、柊館に帰ってもらった」
そんなことよりもと、マクシミリアンは神妙な顔つきになる。
「君の従姉には申し訳ないことをした」
「申し訳ない、ですって?」
そんな簡単に片付けてもらっては困る。
「あれは、俺としても不本意だったからね」
苦々しく彼は続ける。
「雛菊館は巻き込むなと、俺は言ったんだがね。あとあと、面倒なことになるだけだと」
「マクシミリアン様は、自分の勢力もまとめきれないのね」
「手厳しいな」
彼は嘘をつている。ジャスミンはそう感じた。
(責任を部下なすりつけているだけだわ。だから、申し訳ないだなんて心にもないことを言えるのよ)
少しも心を許す気配のないジャスミンに、マクシミリアンは肩を落とした。
「ジャスミン、俺は彼らの暴走を阻止できなかった。だから、心から申し訳ないと直接君に謝罪している。俺としては、君の従姉を呼び戻したい。君と君の従姉さえよければの話だけど」
「そんな虫のいい話をしたところで、なんになるというの」
リディアの意志でないにしても、彼女は王太子に刃物を振るったのだ。呼び戻して彼女が辛い思いをするくらいなら、遠い地で新しい人生を歩んでもらいたい。
ジャスミンは周囲に人がいなければ、彼に掴みかかっていただろう。
「悪かった。今のは失言だったね。どうやら、まだ謝罪するには早すぎたようだ」
「早すぎた?」
「また、あらためて君に謝罪させてもらうよ」
「結構よ」
心にもないことをと怒るジャスミンに、マクシミリアンはため息をつく。
「君と仲良くやっていきたいんだよ、俺は」
「は?」
ジャスミンは、何を言われたのかすぐに理解できなかった。
「図々しいにもほどがあるわ」
「そう言われても、君は雛菊館の女主人だろう。来年の春には王妃だ」
「それがなんだというの。わたくしは、リディを利用したことだけは絶対に許しません」
「だからそれは……なんでこんなに話が進まないんだ」
頭をかいたマクシミリアンは、眉尻を下げて困ったように笑う。そんな情けない表情も様になるのが、ジャスミンは腹立たしかった。
ブツブツと口の中でぼやいた彼は、どうやら本気でジャスミンと仲良くなりたいようだ。
「君は気がついていないのか。いや、ジャックが気がつかせなかったのか……それなら、納得できる」
一人で何度も首を縦に振ったマクシミリアンは、すっかりもとのいたずらっぽい笑顔に戻った。
「君は雛菊館に迎えられた時点で、次の王妃だ。いいかい、誰が王になろうとそれは変わらない。決定事項だ」
わかっているといらだたしく言い返そうとして、ジャスミンは彼が言ったことの意味に気がついてしまった。
顔色を変えたジャスミンに、マクシミリアンは満足げに笑みを深める。
「ようやくわかってもらえたようだね。もし、ジャックではなく俺が王になっても君は王妃だ」
「あなたと結婚?」
「そういうことになるんだよ」
ジャスミンにはとうてい受け入れられない話だった。
(でも、否定できないわ。わたくしが七竃館ではなく、雛菊館に迎えられた説明がついてしまう)
なぜ気がつかなかったのかと、ジャスミンは軽いめまいがした。
「でもあなたには、恋人がいるわ」
「ああ、俺はデビーを愛してる。彼女ほどの女性はあとにも先にもいないだろうね。だが、だからなんだっていうんだい。愛がなくとも、結婚はできるだろう。ましてや政略結婚だ」
マクシミリアンに不思議そうに言い返されて、ジャスミンは言葉を失った。
「まぁ、そんな事情がなくても、俺は君と仲良くやっていきたいんだけどね」
ジャスミンは図々しいとも言い返せなかった。
(愛がなくても……でも、わたくしは……)
何か、自分の中の根幹に近いものが揺らぐ恐怖をジャスミンは感じた。
「今日のところは、このくらいにしておくよ。また日を改めて謝罪に行くからね」
そう言って、マクシミリアンはジャスミンの前から離れていった。それまで、意識の外に追いやられていた周囲の賑わいが、一気に彼女を襲い掛かってきた。
(しっかりしなさい、ジャスミン・ハル!)
めまいをこらえるために目を強く閉じたジャスミンが、目を開けるとジャックが小走りにやってくるのが見えた。
マクシミリアンが入れ替わるように戻ってきたジャックを避けたことだけは、ジャスミンの混乱する頭にもはっきりわかった。そう、彼女は混乱していた。なぜ混乱しているのかわからないほどに。
(
途中で水を手に入れてやって来たジャックは、腹立たしくてしかたがなかった。
「ジャスミン、大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫ですわ」
ジャスミンの顔をのぞきこんだジャックは、首を横に振る。
「とても大丈夫という顔ではない。少しでも休んだほうがいい」
ため息をついた彼はメリッサを見やったけれども、何も言わなかった。
ジャックからもらった水を飲んで、ジャスミンは少し気分が楽になった。
「ジャック様、ではお言葉に甘えて、少しではなく今日はもう……」
「ああ、わかった。雛菊館で休むといい。メリッサ、たのむ」
後のことは気にするなと安心させるように、ジャックは笑いかける。その笑顔も、今のジャスミンには白々しく見える。
メリッサに支えられるようにパーティーを後にするジャスミンの背中を見送って、ジャックは招待客の中からマクシミリアンを見つけ出した。ジャスミンの色として招待客たちが暗黙の了解のうちに避けていた赤いジャケットは、すぐに目に止まった。
輝耀城つとめの高官たちと談笑していたマクシミリアンは、ジャックの視線に気がついたけれども、困ったように軽く肩をすくめただけだった。
(今は、
それでは、この十年が台無しになってしまう。
ジャックはあえて、従兄を視界から外してパーティーが終わりを宣言するまで意識の外に追いやった。主催者代行として、ジャックは表面的だけでもガーデンパーティーを成功のうちに終わらせなくてはならない。
ジャスミンがいなくなってしまったのは手痛かったけれども、彼はジャスミンだけに注目が集まらないようにと計算して派手なサーカスを呼んだり、珍しい異国の料理も用意していた。華となるジャスミンがいなくなったことに、不満を露わにする招待客も多くいたけれども、公式のお披露目ではないと承知していたので、大目に見てもらえた。
(ジャスミンが、彼女の言葉でスピーチしてくれたおかげで、悪評は目立たなそうだな)
日が沈んで庭園に夜の帳が下りる頃になって、ジャックはようやく七竈館に戻ってきた。
「メリッサ、君がついていながら、どうしてジャスミンとの接触を許したんだ」
誰もいないはずだった寝室の暗がりから、メリッサが進み出てくる。
「申し訳ありません。ですがジャック様、マクシミリアン様の接触は避けるべきではないのではありませんか?」
「タイミングというものがあるだろう」
肘掛け椅子に沈み込んだジャックは、三つ編みを解いた。
「タイミング? ぐだぐだとくだらないゲームを続けているだけではありませんか」
ジャックは何か言い返そうと口を開いたけれども、ため息しか出てこなかった。
「そうだな。結局、くだらないゲームを終わらせられないでいる俺が悪いわけだ」
「申し訳ありません。言い過ぎました」
自嘲的な笑みを浮かべたジャックは、いいんだと手をひらひらと振る。
「それで、
メリッサは、淡々と昼間のマクシミリアンの言葉を再現していった。
「わかった。たしかに、これはゲームを終わらせることを急いだほうがよさそうだ」
すべて聞き終わったジャックは、頭を抱えた。
「ですから、最初にそう申し上げました」
そう言ってメリッサは頭を下げて、寝室を出ていった。
一人残ったジャックは、どのくらいの間そうして頭を抱えていただろうか。ようやく顔を上げた頃には、月明かりが寝室の深くまでさしこんでいた。
「そもそも、
ジャックは、まだ手札をそろえていない。
「ジャスミン、本当にごめん」
かといって、彼にはこの十年に打ってきた布石を台無しにすることもできなかった。
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