リセールの伊達男

 舞台のそばで待機していたメリッサも従えて、ジャックはジャスミンを王国の人々に紹介していく。今回はあくまでも正式なお披露目ではないので、彼は最小限にとどめるつもりだった。


「ジャスミン様、お会い出来て光栄です」

「わたくしもですわ」


 そんな型通りの挨拶を、何度繰り返したのかジャスミンはよくわからなくなってきた。


(今日は顔を覚えなくてもいいとわかっているけど、さすがにこれは……)


 笑顔を浮かべ続けるのも、疲れる。まだ、先日のデートのように歩きまわっていたほうがよかった。

 ジャスミンとともに行動していたジャックはほんの一瞬だけ彼女の顔によぎった疲れの色を見逃さなかった。


「疲れたかな?」

「少しだけ。お気遣いありがとう。まだ休むほどではありませんわ」

「そうか。だが、疲れたら遠慮なく言ってほしい。俺でも疲れるんだからね」

「ええ、その時は遠慮なく甘えさせてもらいますわ」


 まだパーティーは始まったばかり。先が思いやられると、ジャスミンは苦笑する。


 そんなやり取りをしている間に、新しい招待客がやってくる。宰相の親戚だとジャックが紹介してくれた老婦人はジャスミンに優しく微笑みかけた。


「お会いできて光栄です。お二人とも、仲睦まじくて、なんだか亡き夫を思い出しましたわ」

「そんな……素敵な旦那様だったのでしょうね」

「ええ。わたしにはもったいないくらい立派な人でしたわ。では、わたしはこれで」

「ごきげんよう」


 仲睦まじいと言われて、ジャスミンが何も思わないわけがない。


(ジャック様を虜にするためには、周りに仲睦まじいと外堀から埋めるのも大事よね)


 そうと気がつけば、ジャスミンは行動あるのみだ。老婦人の後ろ姿を人に紛れて見えなくなるまで見つめて、彼女はさり気なくジャックに寄りかかった。


「っ?!」


 突然襲い掛かってきたジャスミンのぬくもりに、ジャックが動揺しないわけがない。


(きゅ、急にどうしたんだ! まさか、さっきジャスミンが飲んだぶどうジュースがワインだったのか)


 彼の脳裏によぎったのは、再会の日の晩餐だった。頬を上気させて妖しく笑うジャスミンの姿は、実のところ彼の脳内補正がかなりかかっているのだが。


(落ち着け、俺。落ち着くんだ、俺。しっかりしろ、俺の理性!)


 理性を奮い立たせる彼は、なぜか近くを通りがかった給仕係が運んでいたワインを手にとって喉に流しこむ。


「ジャスミン、大丈夫か?」

「何がでしょうか?」

「いや、なんでもない」


 首を傾げたジャスミンの口元から、酒の臭いはしなかった。


(メリッサもいるし、万が一ということはないか)


 考えすぎだったのだろうかと、ジャックは気を取り直す。むしろ、距離が近いのは大歓迎だと彼は前向きに考えることにした。


(次は、ウェーバー伯爵夫妻を……ああ)


 次にジャスミンに紹介する招待客は、舞台で繰り広げられている曲芸に夢中のようだった。


 羽飾りがついた派手な仮面の赤いドレスの女が、黒光りする鎖で岩を模した平板に縛りつけられている。どうやら、ナイフ投げの演目らしく、黒衣の大男が冷たく光るナイフを構えている。


(あんな演目、予定にはないはずだ)


 どうやら、芝居仕立てになっているらしい。五本のナイフが音を立てて際どいところにつく刺さっていく。そのたびに、悲鳴によく似た歓声が上がった。ナイフを投げ終えたところで、新たな男が舞台に荒々しく登場した。

 仮面の囚われの姫を救う役どころらしいその男は、真紅の外套に身を包んで、フードを目深に被り、のっぺりとした白い仮面をつけている。

 ナイフ投げの大男に無言で襲いかかる赤い男に、ジャックは顔をしかめた。


「まったく、あの人は……」

「どうかしましたか?」

「ちょっとね」


 首を傾げたジャスミンの手を引いて、ジャックは舞台に近づく。


 赤い男が湾曲した幅広の模造刀を大男に向かって振り回すたびに、囚われの姫にまとわりつく鎖が音を立ててはじけ飛ぶ。最後の鎖が弾け飛ぶと、大男は舞台に倒れる。

 舞台の下でジャックが足を止めるのと、赤い男が救い出した姫を抱きしめて仮面を外して外套を脱ぎ捨てるのはほとんど同時だった。

 短い黒髪に藍色の瞳の素顔があらわになった男は、派手な立ち回りのせいか息が荒い。にもかかわらず、笑顔がとても魅力的だった。外套の下に着ていたのは、赤いジャケット。どうやら、赤にこだわりがあるようだ。


 ジャックの鋭い舌打ちにジャスミンが困惑していると、会場のそこかしこから甲高い声が聞こえてきた。


「リセール公じゃない」

「どこどこ?」

「やだ、見逃しちゃったじゃない」

「マクシミリアン様、あいかわらずかっこいいわ」

「ねぇねぇ、何があったの? ねぇ!」


 突然のリセールの伊達男の登場に、会場の女たちは色めき立つ。男たちは、複雑な表情を浮かべるしかなかった。


「まったく、我が従兄殿には呆れるよ」


 ジャックが声を張り上げると、赤い男――マクシミリアンはまだ手のしていた模造刀を舞台の端に放り投げた。


「九年ぶりのガーデンパーティーだぞ、王太子殿下。羽目を外したくなるものさ」


 ははっと笑ったマクシミリアンは舞台から飛び降りる。そして、ジャスミンが目を疑うような行動にでた。


(嘘ぉ。なんでいきなり……)


 マクシミリアンは、ジャックを力強く抱きしめたのだ。


 黄色い声がいくつもジャスミンの耳に届く。どうやら、招待客の中に少なくない人数の腐女子が混ざっているようだ。


 ジャスミンは、目を白黒させて声を上げるどころではなかった。


(その男が、リディをあんな目にあわせたのよね。なんで、ジャック様まで笑顔なの! というか、わたくしはジャック様にまだ抱きしめてもらっていないのに!!)


 すぐ側でジャスミンが目を白黒させていることに、ジャックはもちろん気がついていない。


従兄上あにうえ、なんだか婦人がたの視線が恐ろしいのですが」

「ファンサービスだよ、ジャック」

「意味深長に言うのはやめてほしいですね。鳥肌が立つ」


 再会の抱擁をしたまま、二人は周囲に聞こえないように小声でささやきあう。あいにく多くの腐女子が求めているような甘さも妖しさもない会話だけれども、二人はとても楽しそうだった。


「それにしても従兄上あにうえ、また太りましたか?」

「しかたないだろ、リセールは大陸全土の美味珍味が集まるヴァルト王国の台所だからな」

「少しは、体を鍛えたほうがよろしいのでは」


 さりげなくジャックに脇腹あたりの肉をつままれて、マクシミリアンはようやく抱擁を解いた。そして彼は、白黒していた目がようやく落ち着いたジャスミンを振り返る。


「次期王妃にお会い出来て、光栄ですよ」


 彼の朗らかな笑顔は、ジャスミンは従姉を利用した怒りを忘れかけたほどだった。


(騙されてはいけないわ。この男はジャック様に成り代わろうとしているのよ)


 強く言い聞かせなくてはならないほど、マクシミリアンの笑顔は魅力的だった。


「わたくしも、お会い出来て光栄ですわ。マクシミリアン王子」


 ジャスミンはなんとか笑顔で応じることができた。怒りも何もかもこらえて、彼女は笑顔を選んだのだ。


「それで、彼女が噂の恋人か?」


 彼女の傍らに戻ってきたジャックは、マクシミリアンを追って舞台を降りてきた赤い女を見やる。彼の声も視線も、とても好意的とは言いがたい。

 そんなジャックから守るように、マクシミリアンは舞台で助け出した囚われの姫を抱き寄せて不敵に笑う。


「そうだとも! 俺の最愛の人、デボラ・ウィンだ。いじめてくれるなよ、ジャック」

「いじめるなんて、人聞きの悪いことを」


 困ったように笑うデボラは、ジャスミンの目から見てどこにでもいる女性だった。細くて繊細な金髪に、タレ目がちな青い目。それから、形の良い胸のふくらみ。


(おっぱいフェチって、メリッサの言うとおりだったかもしれない)


 つい自分のものと比べてしまったジャスミンだった。

 そんな彼女の横で、ジャックは肩をすくめた。


「だいたい、父上がいい顔しない」

「……叔父上は、自分のことを棚に上げている」


 すでにコーネリアスから何かしら言われているのか、マクシミリアンは顔を曇らせた。けれども、すぐにもとの笑顔に戻ってジャスミンに軽く頭を下げた。


「俺も、挨拶回りしておかなくてはな。これで失礼するよ」


 そう言って、恋人と腕を組んで離れる直前、ジャスミンは彼と目があった。


(またあとでと、言われた気がしたわ)


 ほんの束の間のやり取りだったというのに、ジャスミンは喉がカラカラに乾いてしまった。メリッサが気を利かせて手渡してくれたレモネードを一気に飲み干してしまった。


「ずいぶん、仲がよろしいのですね」


 ジャスミンの声が批難がましくなっても、しかたなのないことだった。


「この場で険悪なところを見せるべきではないよ」


 困ったように眉尻を下げたジャックの答えに、彼女は無理にでも納得するしかない。


(ジャック様の言うとおりよ。でも……)


 悔しそうに拳を握りしめるジャスミンに、ジャックはしばらくかける言葉が見つけられなかった。


「ジャスミン、君は……」


 ジャックがようやく口を開いたその時だった。


 通りかかった給仕係の少年が転んで、手にしていた銀盆の上にあったグラスが音を立てて地面に叩きつけられた。グラスの中の飲み物が、ジャックのズボンにかかる。


 そんなことはなかったのに、ジャスミンの耳に一切の音が聞こえなくなった。

 ジャックは驚いたようだったけれども、すぐに一切の感情が顔から剥がれ落ちた。


 青ざめ震え上がる給仕係の少年は、謝罪の言葉を口にできないほど唇が震えている。


「……着替えてくる」


 ジャックは冷たい声で短くそう言って、ジャスミンとメリッサに振り返った。


「メリッサ、ジャスミンを頼む。すぐに戻るから」

「かしこまりました」


 天幕の中には、着替えが用意されている。けれども、衝立のような仕切りはなく、ジャスミンを連れて着替えに戻るわけにはいかなかった。


「ジャスミン様、こちらに」

「え、ええ」


 突然のことにどうすればいいのかわからないまま、ジャスミンはメリッサに言われるままその場を離れた。青ざめている少年は、ジャックが離れると同時に複数の使用人に囲まれた。何かやるべきことがあるのではと、動けずにいたジャスミンにメリッサは小声でせかす。


「ジャスミン様、お気になさらないように。古典的ですが、ジャスミン様からジャック様を遠ざけるためにわざと仕組まれたのです」

「なんですって?」

「声が大きすぎます」


 大きな声を出したジャスミンをなだめながら、メリッサは彼女の手を引く。


「ジャック様はすぐに戻られます。それまで……」


 メリッサが足を止めた。その理由を、ジャスミンは尋ねる必要もなかった。二人の行く手を阻むように、ジャスミンの髪の色と同じジャケットのマクシミリアンが歩み寄ってきたのだから。


「すぐには、無理だろうね。もしもの話だが、着替えがなかったりしたら、七竈館まで取りに行かせなくてはならないからね」


 彼はいたずらっぽく笑ってみせたつもりかもしれないけれども、ジャスミンには悪意ある嫌な笑顔にしか見えなかった。


「それは、本当にもしもの話かしら?」


 ジャスミンの問いに、マクシミリアンは笑みを深めただけだった。

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