柊館

 ジャスミンがまず抱いた印象は、柊館は意外と生活感があるということだ。


(とても、今は使われていない館だとは思えませんわね)


 たしかに、玄関ホールの背の高い振り子時計グランドファーザークロック等、大型の家具にはホコリよけの白い布がかけられている。けれども、床は、きれいに磨かれてホコリがない。


(それほど、頻繁に手入れされているということかしら?)


 明るい玄関ホールを突っ切った先は、食堂だった。雛菊館よりもひと回りほど広い。布に覆われている大きな食卓は、ふた回り大きい。食卓以外は何もない。以前ジャックが言っていたように、売却されたのだろうか。広い食堂も横切って、ジャックは観音開きの扉の前でジャケットのポケットの中から鍵束を取り出す。


「今は使われていないって考えているかもしれないけど、ジャスミン、それは違う」

「え? でも……」


 なかなか目当ての鍵を探し出せないでいるジャックは、いたずらっぽく笑う。


従兄上あにうえさ。一年の大半を行政長官としておもむいているリセールで過ごしているが、社交シーズンなどでアスターに来るときはよくここを別邸代わりにつかっている。城外にも邸宅はあるが、住み慣れたほうがいいらしい。……あ、これだこれ」


 ようやく、目当ての鍵を探し出したジャックは早速鍵穴に差し込む。が、うまく鍵穴に刺さらなかった。どうやら、別の鍵だったらしい。


「間違えてしまったみたいだ。すまない、すぐに見つけるから」


従兄上あにうえってよんでいるけど、リセール公のマクシミリアンが王位を狙っていると考えていたけど、違うのかしら)


 ジャックが王位を継ぐことを阻止したい人物なら、従兄のマクシミリアンしかいない。ジャスミンはそう考えていた。

 けれども、ジャックが「従兄上あにうえ」と呼ぶ声には、尊敬や信頼といった感情が含まれている。


(『秘密の庭園』のジョージよりも、従兄を慕っているのではないかしら)


 ジャスミンは、もしもジャックが『秘密の庭園』のジョージと同じようにマクシミリアンとデキていたらという話で盛り上がった時のことを思い出した。つい一昨日のことだ。



 一昨日、急遽決まった季節外れのガーデンパーティーに新調するドレスの布合わせがあった。王都で国内外の布地を扱う商人と仕立て屋が帰ったあとのちょとした午後のひと時だった。

 片付けをしていた衣装係のメイドが、思い切ったようにジャスミンに口を開いた。


「ジャスミン様、もし、ですよ。もし、ジャック様とマクシミリアン様がデキていたら、どうしますか?」

「えっ、そうなの?」


 ジャスミンの声が上擦る。


「もしの話ですよ。サラ、そんな話振られても、ジャスミン様が困るだけよ」


 下着姿だったジャスミンが着た部屋着を整えながら、衣装係のリーダーのエリカが同僚をたしなめる。もちろん、彼女も腐女子だ。

 サラは面白くなさそうに鼻を鳴らす。


「でも、ジャック様とマクシミリアン様って、とっても仲がいいじゃない」

「えっ、そうなの?」


 またジャスミンの声が上擦る。


 エリカに目尻を吊り上げて睨まれると、サラはようやく口をつぐんだ。


「まるで本当の兄弟のように仲が良いと評判です」


 サラと一緒に片づけをしていたララが眼鏡を光らせて言う。


「わたしに言わせれば、兄弟よりも距離感がハンパないんですよ」

「距離感がハン、ハン、ハンパ、ない?」


 幻惑的で官能的な文章で評判の『秘密の庭園』の産みの親のララは、時々口が悪くなる。今もエリカにたしなめられている彼女だけれども、悪意を口に乗せているわけではない。なんでも、アスターではなくリセールで生まれ育った性質らしい。


 仲が良いと聞かされて、ジャスミンが目を白黒させていると、新たなメイドの声が割って入ってきた。


「ありえませんね」


 突然口を挟んできたメリッサに、衣装係のメイドは姿勢を正す。以前なら顔色まで変えてただろう。

 ジャスミンが来てから氷の女と呼ばれていたメリッサが、すっかり丸くなったとメイドたちは口を揃えて言う。いったい何があったのかわからないけれども、雛菊館の使用人達にとって嬉しい変化だった。

 とはいえ、メイドたちにとってメリッサはジャスミンよりもとっつきにくい相手だ。


 そんな彼女が腐女子の会話に割りこんだのだ。ジャスミンでも、楽しいおしゃべりは終わりだと思った。

 ところが……


「マクシミリアン様は、おっぱいフェチなので、ついている殿方に懸想することは、まずありえません」

「へ?」


 メリッサの口から聞くとは思えない単語に、ジャスミンたちは間抜けな声をあげる。


(今、おっぱいって言ったかしら? おっぱいって)


 聞き間違えただろうかとジャスミンがメイドたちをうかがうと、彼女たちもメリッサのおっぱい発言は衝撃的だったようだ。


「……雄っぱい?」

「ララ、今おっぱいを別の意味にしたでしょ」


 何やらひそひそと揉めているメイドたちを横目で一瞥したメリッサは、平然と続ける。

 

おすのおっぱいではありません。マクシミリアン様は、おっぱいに対する情熱は異常だと、以前ジャック様が愚痴をこぼしてましたから」


 どうやら、メリッサのおっぱい発言は聞き間違えではないようだ。


「おっぱいに対する情熱」

「雄っぱいに対する情ね……むぐっ」


 ゴクリと生唾を飲み込んだ四人の淑女たち――うち一人は別のメイドに口を塞がれたけれども――は、声を揃えた。男と男の肉体関係――もちろん、妄想の中での――には耐性があるジャスミンたちだけれども、男からみた女性に対する話にはまるで耐性がなかった。


(聞きたいわ。というか、ジャック様がマクシミリアン様の性癖の愚痴をこぼしたシチュエーションのほうが気になるわ)


 四人のウブな淑女たちは、気になってしかたないけれども、無表情なメリッサに追求する勇気がない。追求する必要もなかった。

 メリッサは淡々とマイペースに、続ける。


「マクシミリアン様の持論では、おっぱいは女性のすべてが詰まっているそうです」

「じゃあ、雄っぱいには男の……むぐっ」


 またしても話の腰を折りかねないララの口が塞がれた。

 胸の二つの丸みは、女の武器であることをちゃんと彼女たちは知っているのだ。たとえ、腐女子であってもいい相手と結婚して幸せな家庭を築くという人並みの人生設計はあるのだ。『秘密の庭園』の作者のララはどうかわからないけれども。


(やっぱり、大きい方がいいのかしら……)


 衣装係の中だけではなく、雛菊館のメイドたちの中でも小さいことを人一倍気にしているエリカの視線が下に向く。


「ジャック様から聞いた話では、おっぱいは大きければいいというものではなく、形、揉み心地、顔を埋めたときの包み込み具合等など、マクシミリアン様はとてもおっぱいにうるさい殿方だそうです」


 なのでと、ジャスミンに目を合わせて、メリッサは続ける。


「ジャック様とマクシミリアン様は、『秘密の庭園』のジョージとマクスウェルのような関係ではないので、ご安心ください」


 空気が、凍りついた。


 メリッサの口からおっぱい発言が飛び出しただけでも衝撃的だったと言うのに、『秘密の庭園』の内容を知っていると言っているのだ。

 雄っぱいと話の腰を折ろうとしていたララなんて、かわいそうなくらい青ざめていた。作者なのだから、当然といえば当然かも知れない。リディアが隠れ腐女子だったと知ったときの衝撃を、はるかに上回っている。


(も、もしかして、メリッサも……?)


 ジャスミンたちは同じ疑問が頭に渦巻いた。知りたけれども、なんだか知るのが怖い。誰か、勇気ある者がいないかと目で探り合うけれども、残念ながらいなかった。黙っていれば、メリッサが勝手に淡々と続けてくれそうな気もしたけれども、そうはいかなかった。


「遅くなりましたが、ジャスミン様、ご入浴のご用意ができましたので、そろそろ移動をお願いいたします」

「……そう、わかったわ」


 非常極まりないことに、メリッサは中途半端に話を盛り上げたまま、話を切り上げたのだった。

 もしかしたら、彼女なりの冗談だったのかもしれないと、ジャスミンは彼女の後ろを歩きながら考える。


(だとしても、わかりにくいわよ、メリッサ。それに、肝心のジャック様がどうなのかを教えてほしいのにぃ)



 ジャックはまだ鍵束と格闘している。


「これも違う……これだ……違う…………これもだ……」


 やはり、胸は大きい方がジャックの好みだろうかと、彼を横目でうかがいながらジャスミンは肩を落とした。


(ないわけじゃないけれども、大きいわけでもないのよね)


 彼女は、自分の胸がいたって平均的だと自覚している。


(やっぱり、メリッサにしっかり聞いておくべきだったわ)


 正直、マクシミリアンのことなんてどうでもよかった。ジャックの従兄がおっぱいフェチだろうとなんだろうと、自分には関係ない。

 問題は、ジャックだ。


「あ、これだ、これ。……よし、開いたよ、ジャスミン。待たせてすまなかった」


 扉を開けたジャックは、まさかジャスミンがそんなことを思い起こしていたとは夢にも思わない。

 食堂の隣の部屋は、奥に長い部屋だった。この部屋にもホコリよけの布がそこかしこで活躍していた。


(これだけの布で、いったい何枚の服が作れるんだろうか)


 やはり月虹城の館の一つなのだと、ジャスミンは思い知った。


「ここは?」

「遊技場だよ。それなりに値打ちがあるものが置いてあるから、念のため普段から施錠してあるんだ」


 遊技場と言われて、ジャスミンは部屋の奥に見えたテーブルのようなものがビリヤード台だと気がついた。よく見れば、その横手には布をかぶせてはるけれども、キューが何本も立て掛けられている。

 ビリヤード台の奥には、横に長い大きな絵画が飾ってあった。あえてだろうけれども、その一枚だけは布で覆い隠されていなかった。

 六人の少年たちが描かれている。


「これだよ。君に見せたかったのは」

「六、王子?」


 戸惑いがちにジャスミンが言えば、ジャックは穏やかに笑って肯定する。


「そう、六王子の肖像だ」


 彼らがすべての始まりだと、ジャックは語り始める。

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