六王子の肖像

 六王子といえば、現国王コーネリアスと彼の五人の兄たちのことだ。

 狂王ロベルトの圧政から、国民を守るために活躍した六人の王子たちのことは、ジャスミンも名前くらいは知っている。そして、六人のうち、王国に残っているのは、末の王子だったコーネリアスだけだということも、知っている。


(よく考えてみれば、数奇な話よね。ジャック様の一つ上の世代では、六人も王位継承権を持つ王子がいたのに、それが今では……)


 ジャックと従兄のマクシミリアンの二人しかいない。


 絵画には、六人の王子たちが二列に並んでいる。後列で立って並んでいる四人と、手前の車椅子の不機嫌そうな少年――コーネリアスに違いない――と、彼の隣でかがんでいる少年が二人。

 彼らの後ろには、テーブルのようなものが描かれている。


「このビリヤード台?」

「そう、この絵は、この遊技場に集まった六王子を描いたものさ。古い習わしで、柊館では同世代の住人たちが集まって、一度だけこうして絵を描かせる事になっているんだよ。だいたい、王太子に指名されて一人が七竈館に移り住む時期に描かせることが多い」

「ジャック様も、描かせたのですか?」

「えっ、あ、あー」


 ジャスミンの素朴な疑問に、ジャックはひどくうろたえた。


(失敗したぁ。余計なこと言ってしまった。あれだけは、ジャスミンに見せるわけにはいかないんだ)


 怪訝そうにジャスミンに顔を覗きこまれるだけで、彼はますますうろたえる。


「ま、まぁ、俺も一応、描いてもらったが、またの機会にしよう。普段はしまってあるからさ」

「そうですの。残念だわ」


 心底残念そうに目を伏せるジャスミンに、ジャックの心が悲痛な声を上げる。


(そんな顔しないでくれよ。俺だって見せられるものなら、見せてやりたいさ。だが、あれだけはダメだ。あんな、あんな、クソ忌々しい肖像を見せるわけには……従兄上あにうえには悪いが、燃やしてしまおう。あんな恥ずかしい絵は、燃やしてしまえばいい……って、こんなくだらないことに時間を割いている場合ではない)


 わざとらしく咳払いして、ジャックは話の流れを修正した。数日前から何度も繰り返してきたデートのシミュレーションが、あやうく台無しになるところだった。

 彼はジャスミンが目の前の六王子の肖像に視線が戻ったのを確認してから、唇を舐めた。


「ジャスミン、それで話を続けるが、この絵を描かれたのは、三十年前。右から二番目のクリストファー第一王子が、狂王ロベルトの圧政から国民を救おうと弟たちに持ちかけた年らしい。決起の意味もあったんだろう」

「決起……」


 ジャスミンには、想像するしかない言葉だ。建国時の革命から、八十年しか経っていないとはいえ、マール共和国は平穏な国だ。


(わたくしが、大国のヴァルト王国に嫁げるというのは、平和だから可能だったんだわ)


 気がつけば、彼女はすっかりジャックの話に引きこまれていた。


 人を惹きつけてやまないだろう朗らかな笑顔を浮かべているクリストファー第一王子は、本来国王になるはずだったとジャックは続けた。


「六王子が狂王ロベルトの最悪の治世を終わらせたのは、この絵が描かれてから七年後。クリストファー王子は、即位する直前に妻とともに、暗殺されてしまった。今でも犯人はわからない。代わりに即位した父が、革命から暗殺まですべて裏で糸を引いていたとも言われている」


 あの人に限ってそれはないと、ジャックは苦笑して否定する。


「父が即位したのは、他に王族が国内に残っていなかったというのが、一番大きかっただろうね。右隣の気難しそうなウィリアム第二王子は、革命後、リセールにおもむく道中で事故死。彼の反対側で互いの肩に手を回している双子のチャールズ第三王子とリチャード第四王子は、西海の島国ピュオルに大使としておもむいて十五年前に帰化している。それから、前列の右でかがんで隣の父と目線を合わせているやんちゃそうなギルバート第五王子は、すでに神聖帝国に亡命していた」

「新王が即位する前に?」

「ああ。まったく、何をそんなに急いでいたんだか」


 呆れたように苦笑したジャックは、肩をすくめて目を伏せる。


「この館を訪れるたびに必ずこの絵を眺めるくせに、父はめったにこの時代の話をしようとしないんだよ」


 寂しそうにそう言ったジャックは、まるですねた子どものようだった。


「俺が思うに、六人も王子がいたら、のちのちの争いの火種になる。そう考えたんじゃないかな」

「せっかく、国民を圧政から救ったんですものね」

「まぁ、俺の想像でしかないけどね」


 苦々しく笑ったジャックは、寂しさを胸の奥にしまいこむ。


「話を戻すが、暗殺されたクリストファー王子は、息子を一人遺している。それが俺の従兄のマクシミリアンだ。父は、マクシミリアンを養子にしなかったが、息子同然にこの柊館を与えた。ゆくゆくは従兄上あにうえが王位を継ぐだろう。誰もがそう考えていた」

「でも、ジャック様が……」

「ああ、父とメイドの間に俺が生まれた。誰もあの父が女を身ごもらせられるなんて予測しなかっただろうよ」


 呆れたとため息をつくジャックの横顔は、なんだか子どもっぽいとジャスミンは微笑ましくなった。


「直系唯一の従兄上あにうえに万が一のことがあればと考えれば、俺は従兄上あにうえの予備にちょうどよかっただろうよ」


 そうでなかったら、この柊館で育てられることもなかったと、ジャックは苦笑する。

 自嘲や自虐ではないその横顔に、ジャスミンは慰めるべきだろうかと悩んだ。


「予備だなんてそんなこと……」

「ジャスミン、俺はそういうものだと疑わなかったし、従兄上あにうえのことは、今でも尊敬している。従兄上あにうえが王になって、俺もそばで兄の力になれたら、それでいい……というか、そうなるものだと、疑わなかったんだ」


 困惑するジャスミンに、ジャックはきまり悪そうに肩をすくめる。


従兄上あにうえもそのつもりでいたよ。従兄上あにうえにとって、父は実の親も同然だった。なにしろ、実の両親の顔も覚えていないんだ。実際、父は従兄上あにうえも俺も、分け隔てなく扱ってくれた。誰もが、従兄上あにうえに七竈館が与えられる。そう疑うことすらなかった」


 ジャスミンは、意外な話の流れに驚いた。


(ジャック様、まるで本心から従兄のマクシミリアン様を慕っているみたいだわ。王座を巡って対立していると思っていたのに、なんだかこれでは調子が狂ってしまうわ)


 彼女は、大事な従姉のリディアを利用した黒幕だろうマクシミリアンが許せなかった。まだ怒りは残っている。熾火となって、ずっとくすぶっている。それなのに、ジャックは心から彼を尊敬しているようではないか。


「ところが、十年前の新年節で父は俺を世継ぎに指名した」


 そう言ったジャックの声は、ちっとも嬉しそうではない。それどころか、悔しさをにじませていた。


「ジャスミン、意外かもしれないけど、俺は腹が立ったし、初めて父に失望した。気でも狂ったかとも思ったよ。実子の俺ですら、そんなだったから、周囲の衝撃がどれほどのものだったか、語るまでもないだろう。特に、従兄上あにうえは見ていられなかった」

「ジャック様は、まるで王位を望まれていないように聞こえるわ」


 とうとうジャスミンは戸惑いをジャックにぶつけてしまった。


(教会を悪事の隠れ蓑にして、リディを利用した男をジャック様は……)


 彼女の抑えきれなかった苛立ちや怒りに、ジャックは困ったように笑う。


「いや、今さら従兄上あにうえに譲る気はないよ。王太子の肩書きも、七竃館も、それから……」

「それから、なんですの?」

「王太子に指名されてからのこの十年、従兄上あにうえに譲れないものが増えすぎた。俺が王になる」


 気恥ずかしそうにジャックが頬をかいたのは、ジャスミンにうっかり本音を漏らしてしまいそうだったからだ。


(君を譲れないなんて、物みたいに言ったら嫌われるだろうな)


 もちろん、自分の意気地のなさのいい訳である。

 ジャスミンが知ったら、即抱きしめてくれそうな台詞だったというのにだ。


「それを聞いて安心しましたわ」


 納得してくれたと気を取り直して、ジャックはまた絵画に向き直る。


「初めは父に抗議もしたさ。なぜ、従兄上あにうえを裏切るようなことをするんだってね。そうしている間にも、色々と周囲の見る目が変わってしまってね。従兄上あにうえの母は北方の辺境伯の娘で、出自も申し分ない。俺なんかよりも、血統や血筋を重んじたい臣民は少なくなった。あの父が、あれほど反発を招いたのは、後にも先にも俺の世継ぎにしたあの一件だけだ。そういった反発する連中の中には、君の従姉を利用した反体制勢力もいた」


 忌々しげに反対勢力と吐き捨てたジャックに、ジャスミンは少しだけほっとする。


「血筋に頼らなくても、従兄上あにうえは充分すぎるほど、有能で俺にはないものを持っている。血や親だけで選り好みする奴らには、実力さえ見せればすぐに意見を翻す。父がいい例えだ。クリストファー王子の暗殺の首謀者と影で囁かれ、簒奪者とまで言われたが、今ではすっかり良き王とか、賞賛している。だから、盲目的に血筋を重要視する奴らには、俺が結果を見せつけてやればいい」


 だがと、ジャックは傍らのジャスミンを真剣な眼差しで見つめた。


「だが、君の従姉を利用した反体制勢力は、そういうわかる連中ではない。奴らの根底にあるのは、とにかく父のやることが気に入らないという逆恨みの感情だ」

「逆恨み?」

「父が即位する前から強引に行ったのは、狂王ロベルトに追従し私腹を肥やした連中を罰することだった。投獄、追放、処刑、家財の没収、身分の剥奪、同情する者も少なくなかったほど、容赦なく徹底的にやってくれたのよ。自業自得だが、没落した原因は父にあると恨んで、簒奪者呼ばわりを未だに続けている。そうした連中には、俺は簒奪者の私生児以外の何物でもない」

「まさに、逆恨みね」

「まったくだ。父が憎いからと、俺が王になるのがよほど気に入らないらしい。従兄上あにうえに王位を譲れないのには、そうした過去の恨みを未だにかかえている連中に屈したくないというのもある」


 不敵に笑ってみせたジャックに、ジャスミンはこれまでの話を整理した。


「つまり、リディを利用したのは、コーネリアス王を逆恨みして、ジャック様が王になるのを阻止するため、ということですか?」

「簡単にいえば、そういうことになるな」


 ジャスミンはどうも腑に落ちなかった。絵の中の車椅子の少年と後列で人を引きつけている少年を行ったり来たりと視線を彷徨わせて、彼女は何が腑に落ちなかったのか探り出した。


「そうした反体制勢力は、マクシミリアン様を支持しているのですよね」

「……他にいないだろう。俺の他に王位継承権を持っているのは、従兄上あにうえしかいないからな」

「ジャック様、マクシミリアン様はどうお考えなのでしょうか。やはり、ジャック様を世継ぎに指名したコーネリアス王を恨んでいるのでしょうか」


 聞かされた話から推測するなら、マクシミリアンも叔父のコーネリアスを恨んでいることになる。そうでなかったら、感情を優先するような反体制勢力と目的が合わせられない。


「俺は従兄上あにうえではないから、考えなんてわからないよ」

「でも、ジャック様は今でも慕っているのよね」


 まだ何か隠しているのではないかと訴えてくるジャスミンの若草色の瞳からそらすことなく、ジャックも真剣に肯定する。


「ああ、従兄上あにうえとは仲良くやっていきたい。俺が王になっても、リセール公として俺を支えてほしい。そう願っている」

「でしたら、マクシミリアン様を説得すればよろしいではないですか」


 ジャスミンには、肝心な部分が理解できなかった。


「それができれば、苦労はしないよ」


 ひどく寂しそうにジャックは肩を落とした。


「俺は、反体制勢力を許すわけにはいかない。この前は逃げられてしまったが、必ず捕らえて排除しなくてならない。従兄上あにうえも奴らの憎しみに完全に染まってしまったなら、俺も容赦しない」


 この国に来てまだひと月と少ししか経っていないジャスミンに、コーネリアスが王になる二十三年前から続く因縁に起因する王位争いを理解するのは、無理がある。それは、ジャスミン自身もよくわかっている。


(だから、巻き込みたくなかったのね)


 ようやく、ジャスミンは笑えた。


「ジャック様は、過去を断ち切りたいのですね」


 ジャスミンの優しい言葉に、ジャックは軽く目を丸くしてから嬉しそうに笑った。


「ああ、そうだよ。俺は過去を断ち切ってみせるよ」


 それこそが、ジャックに与えられた勝利条件だ。


(君と結婚するために、俺は……)


 ふいに、奇妙な間の抜けた音がジャスミンのお腹の中から聞こえてきた。



「もうお昼だね。過去の話は、ここまでにしようか」


 顔を真っ赤にしてお腹を押さえる彼女の姿も、ジャックには愛おしかった。

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