ジャックとジョージ
耳たぶまで真っ赤になったジャスミンを連れて、ジャックは食堂に戻ってきた。そして、また鍵束と格闘している。
「これも違う。……これもだ。これかっ……違う……」
焦っているのか、開けるときよりも時間がかかりそうだ。
(ジャック様って、要領が悪いところあるわよね)
お腹の虫を黙らせたジャスミンは、黙ってジャックの鍵束の格闘を見守っている。
「ジャスミン、すまない。少し待ってくれ」
そう言って彼が鍵束と格闘を初めて、もう五分は経っている。見当をつけた鍵を次から次へと鍵穴に差しこんでいくけれども、何度かはすでに試した鍵だと気がついていない。わからないなら、全部一度ずつ順番に試せばいい。そうすれば、こんなに時間をかけなくてすむというのに、そんな簡単なことも思い浮かばないらしい。
(焦るジャック様って、なんだかかわいいわ)
だから、しばらく放っておこうとジャスミンは決めた。実は、彼女はもうすでに鍵束の中から合う鍵を見つけていたのだ。
「これもか……ジャスミン、もう少し、もう少しだけ待ってくれないか」
「ええ、構いませんわ」
「ありがとう、ジャスミン」
振り返ったジャックから顔をそらしたのは、彼の微笑ましさに緩んだ口元を見られたくなかったからだ。もっとも、焦りに焦っているジャックは気が付かなかっただろうけれども。
(それにしても、広い食堂ね)
多いときは十人を超える子どもたちが、この館で暮らしていたのだ。今は閑散として寂しい食堂にも、賑やかな頃があったのだろう。ジャスミンが何の気なしに食堂を眺めていると、遊戯室に入る前には気が付かなかった物が目に止まった。
(まぁ、可愛い兄妹ね)
それは、先ほどの六王子の肖像に比べたらずっと小さな絵画だった。玄関ホールに通じる扉の横に飾られている。ジャックが言っていた慣習にしたがって、描かれた絵画の一枚に違いなかった。黒髪に藍色の瞳は、ヴァルトン家に受け継がれる特徴だ。
十歳くらいのおさげの不機嫌な妹と、妹の肩から手を伸ばして背後から抱きしめている兄の笑顔に、ジャスミンは奇妙な既視感を覚えた。
(この笑い方、さっきの六王子の肖像で見た気がするわ)
既視感の正体をもっとはっきりさせようと、彼女は引き寄せられるように兄妹の絵に近づいた。
(ヴァルトン家に女がいたのは、たしか狂王の前よね)
それにしては、古くないとジャスミンは首を傾げる。
不機嫌な妹が来ている真っ赤なドレスは、ちょうど十年前の春にジャスミンが着たドレスによく似たデザインだ。
(気になるわね。……あら? これは……嘘っ)
金箔が施された額縁の下にプレートを見つけた彼女は、思わず変な声を上げそうになって慌てて両手で口を押さえる。そろそろと振り返ってジャックがまだ鍵束と格闘しているのを確かめてから、もう一度じっくりとプレートを読み返した。
白いプレートには、こう書かれていた。
『ジャック・フィン=ヴァルトンと、その従兄マクシミリアン・フィン=ヴァルトン』
目を皿のようにして読み間違えではないと知ったジャスミンは、ゆっくりと視線を上の絵画に向けていく。
(間違いない。この不機嫌な女の子は、ジャック様だわ)
そうとわかれば、既視感の正体がはっきりした。
兄かと思った少年マクシミリアンの笑顔は、彼の実父の亡きクリストファー王子にそっくりではないか。不機嫌そうな女装したジャックも、よく見れば車椅子で不機嫌そうだった父のコーネリアスによく似ている。
(眼福って、まさにこのことよ。ジャック様の女装……男の娘姿……無理。しんどい。尊すぎるわ)
目を輝かせたジャスミンの頭のなかでは、ジャックをモデルにしたジョージが女装して十通りの犯され方でマクスウェルにめちゃくちゃにされていた。
(ララに見せてあげたいわ。いいえ、ララだけじゃないわ。これは、国宝にすべきよ。ジョージに花嫁衣装を着せて、マクスウェルと初夜を……はぁ、しんどい)
さらに二通りの犯され方で、ジョージが足腰を立たなくなっていた。
その頃になって、ようやくジャックは鍵束との格闘に決着をつけた。
「ようやく、あった。ジャスミン、待たせて……っ!!」
顔を上げたジャックは、顔から血の気が引くのがよくわかった。
(なんで、あの忌々しい黒歴史があるんだよ! あークソ、誰だ。あの絵を持ち出したのは。……トムとサムに決まってるか。あとで思い知らせてやる)
先ほどとは別の意味で頬を赤らめさせているジャスミンに、彼はとても声をかけづらかった。具体的なことまではわからないけれども、彼女の脳内で起きていることを想像できてしまった自分が、ジャックはひどく情けなかった。
(だから、見られたくなかったんだ)
婚約者に腐女子バレしていることを、ジャスミンはまだ知らない。ジャックは、あえて触れまいと努力してきたからだ。けれども、さすがに脳内の妄想がダダ漏れしそうな顔をされては、一度しっかり話しておくべきではと悩んでしまう。
(メリッサは、ああ言っていたが、やはり『秘密の庭園』はフィクションだときっちり言っておいたほうがいいのではないか。俺がゲイだと思われていたら、……死ねる)
すぐ近くにジャックがいることも気がつかずに、ジャスミンはさらに八通りの犯され方でジョージの白濁で汚した。
(うん、一度しっかり言っておこう)
覚悟を決めたジャックは、恐る恐る彼女に声をかけた。
「あー、ジャスミン?」
「ひゃっ、あ、ジャックしゃま……すみません」
声をかけられたジャスミンが慌てふためいたのは、もちろんジャックしゃまとかんだからだけではない。
(ここでジャックしゃまは、反則だろ)
ジャックは思わず口元を押さえて目をそらしてしまった。
「ジャスミン、これはその罰ゲームでやらされただけで、俺には女装癖とかないからな」
「そ、そ、そうなのね」
残念だとうっかり言ってしまいそうになったジャスミンは、慌てて口を閉じる。
二人とも、気まずさにどうかなりそうだった。
「あ、あのぉ……」
「な、なぁ……」
気まずさをどうにかしようと口を開いたタイミングがぴったりで、ますます気まずくなってまた口を閉じる。すると、今度はジャスミンのお腹の虫が空腹を主張する。
赤面する彼女を横目でチラチラと見ながら、ジャックは咳払いをした。
「とりあえず、外に出よう」
「そ、そうですわね」
うつむきながら、ジャスミンが玄関ホールに通じる扉に手をかける。
「あ、少し待ってくれ」
ジャックは急いで食卓の上にあった大きなバスケットを手にとる。遊戯室でジャスミンに話をしている間に、ランチが詰まったバスケットを届けさせておいたのだ。
(スープはまだ冷めていないだろうが、予定よりも時間を食ってしまったからな)
予定よりも遅れているのは、彼が鍵束と格闘したのが最大の要因であることに、彼は気がついていない。
「俺も腹が減ったよ。もう十二時すぎてるしね。それから、そっちじゃないよ。こっちだ」
「え? あ、はい」
ジャックは、反対側の壁にある使用人が使うような小さな扉を指差した。靴音を鳴らしながら歩く彼に着いていくと、薄暗い配膳室だった。
「お昼は庭園でちょっとしたピクニックにしようと考えていたんだよ」
使用人の通用口の前で立ち止まったジャックに、不安を覚えたジャスミンだったけれども、鍵はかかっていなかった。ほっと胸をなでおろしたはいいものの、すぐに警備の面ではどうなのかと尋ねずにはいられなくなった。あまりにも不用心がすぎるのではないかと。
「ああ、さっき話しただろう。
「そういうことでしたら、安心しましたわ」
通用口の向こうは、しっかり手入れされた背の高い生け垣に囲まれたちょっとした空き地だった。
生け垣の向こうが庭園のようだ。
(ようやく、デートらしくなってきたわ)
白い小石を敷き詰めた道を並んで歩きながら、ジャスミンはまだ空腹を我慢できると言い聞かせた。
左右に続く緑の生け垣に挟まれた白い道は、迷路だった。何度も分かれ道に遭遇しているけれども、ジャックの歩みには迷いがなかった。
もしジャックを見失ってしまったらと考えると、ジャスミンはたちまち恐ろしくなった。
(庭園に侵入した不届き者が出られなくなって死体で見つかったとか聞いてましたけど、誇張などではなかったのね)
ジャスミンは庭園に対する考えを改めた。
月虹城の四つの館が囲む広大な彩陽庭園に、彼女はまだ足を踏み入れたことがなかった。雛菊館の二階のバルコニーから眺めるだけだった。それだけでも、充分美しい庭園だ。
ちなみに彼女が聞いた噂は、死体になる前に庭師たちが捕縛して処分しているのが真相だった。不届き者でなくても、それこそ国王だろうと庭師たちは彩陽庭園を荒らす者を許したりはしない。無断で立ち入られるだけでも、彼らにとって蛮行なのだ。
「手入れが行き届いているのね」
「王の庭だからね」
足元の白い小石の隙間から雑草の一本くらい生えていてもよさそうなものだけれども、見当たらない。丸く平べったい小石を敷き詰めただけでは、足を取られる危険性もあっただろう。ところが、小石はしっかりと踏み固められて、軽やかな靴音は生け垣の間に響くけれども、足元に気を使う必要はない。
靴音を鳴らして歩くジャックは、迷いがないせいか、とても頼もしい。
(ジャック様は、ジャック様よね、やっぱり)
ジャスミンは、やはり彼をモデルにした小説の主人公とは違うのだと実感した。
(まったく儚くないし、とても男らしいもの)
たしかに、ジャックの生い立ちは薄幸なジョージを創り出してもおかしくない。
(ジャック様は、逆境を楽しんでいらっしゃるのかしら)
小説の登場人物を現実の人物に当てはめるなど、ナンセンスだ。その逆はあるかもしれないけども。
(でも、あの絵は雛菊館に飾りたいわ)
隣を歩くジャックに、女装は似合わないだろう。けれども、十年前の彼はそうではなかった。
そんなことを考えていると、緑と白の迷路を抜けて急に視界が開けた。
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