ビショップの本心

 髪が乱れたままであちこちにかすり傷を作っているジャックと違って、マクシミリアンはあくまでもリセールの伊達男だった。洒落た黒に近い灰色のジャケットを、こんな時まで着こなしているのだから。

 さて彼の登場に驚愕と困惑に襲われて硬直しなかったのは、ジャックだけだった。

 他の三人が狙い通りの反応をしめしたのに満足したのか、ジャックはいたずらっぽく唇を歪めて立ち上がる。


「遅いぞ、従兄上あにうえ

「これでも、途中までは頑張って走ったんだけどな」

「俺を見習って、真面目に体を鍛えろ」

「考えておくよ」


 肩をすくめて近づいてきたマクシミリアンは、ジャックの横に並んでヒューゴを見下ろす。その顔から、感情を読み取るのは難しかった。


「悪いな、ヒューゴ。俺は一度だって、王になりたいとは言っていないんだよ」

「そんなはずは……っ!」


 まだ裏切られたという怒りや憎しみが驚きに追いついていないヒューゴは、否定しようとするけれどもマクシミリアンはゆっくりと首を横に振る。


「言っていないんだよ、ヒューゴ。……まぁ、誤解させるようなことは言ったかもしれないけどね」


 苦笑したマクシミリアンは、ジャスミンに目を向けた。


「そういえば……」


 ジャスミンは、ガーデンパーティーで彼が何を言ったのか思い出した。


(そういえば、王になってもと仮定の話はしても、王になりたいとは言っていなかったような……あら?)


 まだスッキリしないけれども、マクシミリアンはおそらく嘘はついていなかったのだと彼女は気がついた。


「じきに衛兵が来る。その前に簡単に説明しておきたいんだが……ジャック、何から話せばいいんだ?」

「なら、俺が簡単に説明するよ」


 きっかけは、十年前の新年節だったとジャックは話し始めた。


「父は俺達に王冠を巡るゲームだと言って、従兄上あにうえと俺を競わせて気に入ったほうを王にするつもりだった。それが面白くなかったから、俺達は協力して父のくだらないゲームを台無しにしてやることにしたわけだ」


 うんうんとマクシミリアンは、首を縦に振る。


「父にバレないように対立しているフリをしながら、ヒューゴ・ウィスティン、お前のような危険分子を平和的にすべて無力化する。すべて無力化した上で、俺達は対立ではなく、協力することを選んだと父に思い知らせることを、ゲームの目標にしたんだよ」

「叔父上の駒ではないことを、示すためにね」


 だからと、マクシミリアンは言葉を噛みしめるように続けた。


「だから、国王の横暴だと反発して俺を王にといいよってくる奴らを、俺は説得してきた。俺は王に向いていない、ジャックを支持しておいたほうが今後のためになる、とね。ヒューゴ、実際お前にもそう言ったはずだ。聞き流して忘れているかもしれんが」


 ヒューゴはうなだれて、答えない。

 彼は、気がついていたのだ。マクシミリアンが、王になることを望んでいないことに。それを認められなかっただけだ。


「ヒューゴ、お前は俺の侍医。それでよかったじゃないか」

「…………」


 うなだれたままヒューゴは口をつぐんでいる。


 そこへようやく衛兵たちがやってきた。ジャックが短く命じると、彼らはイザベラのエプロンの上から縄で拘束するする。

 連行されていくまでヒューゴは、顔を上げなかった。けれども、マクシミリアンは、かすかだったけれども彼が頭を下げたのがわかった。


「無罪は、難しいよな」


 衛兵がヒューゴを連れ去るのを見送って、マクシミリアンは寂しそうに呟いた。


従兄上あにうえは、人が良すぎる」

「いや、あいつが処方する頭痛薬はよくきくんだよ」


 苦笑して誤魔化そうとしたマクシミリアンにしかわからない想いがあるのかもしれない。


(繊細な人というのは、あながち間違っていなさそうね)


 小さくため息をついたジャスミンは、四阿の中から二人に声をかける。


「お二人が共犯者だというのは、わかりました。でしたら、そう教えてくださればよかったのに」


 リディアが利用されたときや、初めてのデート――二度目はまだない――のときに限らず、ジャスミンに本当のことを打ち明ける機会はいくらでもあったのだ。というよりも、誤解させるような話しをする意味がわからないと、彼女は不満を隠せなかった。

 きまり悪そうに彼女から目をそらしたジャックの肩を叩いて、マクシミリアンが面白がるように答えた。


「許してやってくれ、ジャスミン。こいつは、教えたくても教えられなかったんだよ。俺達はくだらないゲームを押しつけてきたコーネリアス様の裏をかく必要があった。バレたら意味がない。この月虹城では、あの人の目となり耳となる奴らがどこにでも潜んでいるからな。……トム、サム、いるんだろう」

「いるよー」


 マクシミリアンの呼びかけに応えるように、ひょっこりと庭師姿の双子が姿を現す。面白くなさそうにむくれている少年たちに、ジャスミンは国王直属の暗部の噂は真実だたのだと悟った。


「僕らとしては、全然面白くないんだけど」

「うん、サムの言うとおり面白くないから、もう直接コーネリアス様に説明してくれない?」


 王族に対してあまりにも砕けた双子の態度に、ジャスミンは驚いた。それから、咎めようともしないジャックとマクシミリアンに何とも言えない気分になった。


「俺が行こう」


 ちらりとジャックを見やってから、マクシミリアンが答えた。


「叔父上には、俺の意思をはっきり伝えておくべきだしな」

「そうだな、そのほうがいい」


 軽く手を上げて、マクシミリアンは双子たちを連れて月桂樹館に向かった。

 彼らがいなくなってから、ジャスミンは今まで話しを整理した。


「つまり、ジャック様とマクシミリアン様は、コーネリアス様をギャフンと言わせるためだけに、わたくしに肝心なことを教えてくださらなかった。そういうことですわよね」

「父は、どんなに驚いてもギャフンとは言わないと思うが……そういうことだ」


 気まずそうに頭をかくジャックに、ジャスミンは腹が立った。


「そんなくだらないことのために、わたくしたちを巻きこむなんて信じられませんわ」


 ジャスミンが怒るのももっともだと、ジャックにもよくわかる。


「いや、何度も言ったじゃないか。君たちを巻き込むつもり予定ではなかったんだ」


 やや早口でそう言ってから、ジャックは何を言っても言い訳にしかならないことに気がつく。


(余計に嫌われるより先に、謝るしかないな)


 申し訳ない気持ちに嘘はないし、そろそろ輝耀城に行ってゲームの後始末をしなくてはならない。


「すまない。本当に、すまなかった。君が怒るのは当然だ。俺達の意地やわがままのせいで、無関係の君たちを傷つけた。本当にすまなかった」


 深々と頭を下げる彼を、ジャスミンはじっと見下ろす。


(もう許してくれないのか。俺はそれだけのことを、しでかしてしまったしな)


 もう一生嫌われ続けるのでないかと考えて、ジャックはくだらないゲームにこだわり続けたことを激しく後悔した。


(結局俺は、ジャスミンよりも自分の意地を優先するような最低な男だ。そんなやつだから、初めてあったときに彼女は泣くほど俺を嫌いになったんじゃないか)


 頭を下げ続ける彼に、ジャスミンは息をついて肩の力を抜いた。


「顔を上げてください、ジャック様」


 ゆっくりと顔を上げたジャックは、ジャスミンと目を合わせられない。


「おそらくですが……おそらく、わたくしがもっとジャック様を信じていられたら……よかったのです」

「え?」


 ジャスミンにしては珍しく自信なさげな声に、ジャックは驚く。目を瞠る彼に、ジャスミンはもじもじとしながら続ける。


「そうすれば、ジャック様もお怪我をすることもなかったわけですし……わたくしも反省することはあると思いますわ。誰にだって、知られたくない秘密くらいありますし……もちろん、わたくしにも」


 無意識だろうけども、ジャスミンはサファイアの首飾りを手で押さえる。


「リディも、新しい人生を順調に始められたようですし、わたくしたちも、これを一区切りにしませんか?」


 それは、ジャスミンの遠回しすぎる愛の告白だった。


(リディ、やっぱりわたくしは告白なんて無理よぉ)


 もちろん、ジャックにそこまで気持ちが伝わるはずもなかった。これで伝わるようなら、再会したその日には二人ともめでたく愛し合っていたはずだ。それでも、嫌われたわけではないと胸をなでおろしたジャックは、声を弾ませた。


「もちろんだとも、ジャスミン。俺はこのくだらないゲームを今日終わらせて、君に全部打ち明けるつもりだったんだよ。想定外のことも多かったけどね。これから、輝耀城で後始末をしに行かなければならない。だが、今夜必ず雛菊館に行く。君に話したいことがたくさんあるんだ」


 ちょうどそこへ、タイミングよくメリッサがジャスミンとイザベラを迎えに来てくれた。ジャックは、メリッサに二人を任せて、輝耀城に急ぐ。




 月桂樹館におもむいたマクシミリアンはしばらく待たされたあと、コーネリアスのもとに通された。


「本当に、それでいいんだな」

「はい。初めからというわけではありませんが、ずっとそのつもりでいました」


 膝を突き合わせるように肘掛け椅子で背筋を伸ばすマクシミリアンから、コーネリアスは一切の迷いを感じられなかった。気だるそうに目を伏せた彼は、やれやれと唇の端を吊り上げる。


「ジャックがお前を立てることはあっても、その逆は考えつかなかったな」


 見事にコーネリアスの裏をかいたことを誇らしく思いながらも、マクシミリアンは寂しくもなった。


「ジャックは、叔父上のご子息ですから。俺なんかよりも、あいつのほうに気を取られるのはしかたのないことだと思います」

「ん?」


 不思議そうに首を左に傾けたコーネリアスに、マクシミリアンはこれまでいだき続けてきた思いが胸からせり上がってきた。


「俺にとって、あなたは実の父よりも父だった。養子にしてくださらないあなたの期待にこたえようと、努力してきたつもりです。ずっと」


 何か言おうと口を開きかけたコーネリアスは、マクシミリアンに気がすむまで言わせてやろうと口を閉じた。その口元にはかすかな笑みが刻まれていることに、マクシミリアンは気がつかない。


「それなのに、あなたは俺を選んでくださらなかった。思い知らされましたよ、俺はどんなに努力してもジャックにかなわないと。あいつ、あなたが王冠を巡るゲームだと言った日に、こう言ってきたんですよ。『くだらないゲームだが、付き合う価値はある』ってね」


 高ぶってきた自分をなだめるように、彼は目を閉じて大きく息を吐き出してから続ける。


「ほとんど、あいつが考えたことに乗っただけですよ、俺は。ジャックは俺をあなたに認めさせるためだとか言ってましたけど、かなわないと思い知らされました。感情を優先しがちな俺よりも、ジャックのほうが王にふさわしいと。あなたがジャックを王太子に指名したのは正しかったと、俺が誰よりも早くわかってしまったのですよ」


 その頃の葛藤や苦悩を振り払うかのように、マクシミリアンは静かに首を横に振った。


「本当は、誰も犯罪者として排除したくなかった。全員、説得するつもりでした。けど、俺がヒューゴたちを暴走させてしまったせいで、巻き込まなくてもいい人たちまで傷つけた。だから、今日、無理やり終わらせることにしました。最善ではなかったですけど、これであなたが排除したかった狂王の負の遺物はなくなりました。ジャックなら、十年もかからなかったかもしれないですけどね」


 それにと、マクシミリアンは続ける。


「それに、俺はリセールが気に入っているんです。まるで故郷のようにあの街を愛してます。だから、他のやつに取られないように、ジャックが王になるのが一番いいんですよ」


 穏やかに微笑むマクシミリアンを、コーネリアスは右目でじっと見つめる。


「お前たちがそれでよいというなら、わたしはもうとやかく言う必要はあるまい」


 コツとコーネリアスの左の指先が車椅子の肘掛けを叩く。


「だが、お前は大きな思い違いをしているぞ」

「思い違い、ですか?」

「マクシミリアン、わたしはお前にあとを継がせたかったのだよ」


 コーネリアスは、だから考えつかなかったのだと苦笑する。


「逆はあっても、お前が王冠を諦めることは考えつかなかった。どうやら、わたしの願望が邪魔したらしい」


 信じられないと驚く甥が、彼はたまらなく愛おしかった。


「本来なら、わたしではなくクリス兄様が王になるはずだった。その息子のお前を良き王に育て上げたかったというのは、それほどおかしなことではあるまい」


 彼が長兄でマクシミリアンの父であるクリストファーを誰よりも尊敬していたことは、誰もが知っている。


「では、俺を養子にしてくださらなかったのは……」

「どうして、クリス兄様が身を挺して守ったお前を奪うことができるんだい」


 唖然とするマクシミリアンに、コーネリアスは部屋の隅に控えていた近侍を見やる。若い近侍は、マクシミリアンに黒い布張りの二つ折りの紙ばさみ差し出す。


「ご褒美だよ、マクシミリアン。わたしの取り決めたゲームではなかったが、よくやってくれた」


 マクシミリアンは、用意のよさに戸惑いながら紙ばさみを開く。


「これ……」


 中に挟んであった書類に、マクシミリアンは息を呑んだ。


「マクシミリアン、お前を王にするつもりだったからね。婚約者を用意していなかった。今思えば、今回お前が平民の恋人を連れてきたのは、ジャスミンと結婚しないという意味だったのだろう。まったく、気が付かなったよ。とは言え、わたしは平民との結婚は認めない」


 マクシミリアンには、どこか面白がるようなコーネリアスの声が少しだけ遠くに聞こえた。それほど、信じられないご褒美だったのだ。

 紙ばさみの中には、彼の恋人デボラを宰相グレッグ・スプリングの養女とするとあった。


「グレッグには話を通してある。お前との結婚を前提としてな。一年か二年くらいはスプリング家で花嫁修業は必要だろうな。あとはお前たちがよく話し合って決めなさい」

「話し合うことなんて……」

「あるだろう。小耳に挟んだ話では、お前の恋人にはやりたい仕事があるそうではないか。その夢を捨てるか、結婚するか、話し合わなくてどうする。これは、ご褒美だ。強制はしない。グレッグもそのつもりだ。捨てるなら捨てればいい」


 マクシミリアンは、もう一度国王の署名入りの書類に目を通して顔を上げた。


「叔父上の言うとおり、デボラには夢があります。俺は一人の小説家としても、女性のための新しい版元を作るという彼女の夢を諦めてほしくない」


 一度言葉を切ってマクシミリアンは、ひと言ひと言を噛みしめるように続けた。


「確かに結婚した女性たちは、夫の仕事手伝うか雑用のような仕事で家計の足しにするような職につくのが我が国では一般的です。妻は夫を支えるものだというのは、俺はもう古いと思います。これからの国を豊かにするために、結婚しても男性並みに働く女性がいてもいいはずではないですか。そもそも、男が働き手だという考え方も古い。俺はもっと女性に輝いてほしい。俺は顔も覚えていない亡き父が発案した長期政策に組み込めればと、考えています」


 コーネリアスの呆れたようなため息は、笑い声によく似ていた。


「恋人に夢と結婚両方をとってもらうとは、ずいぶん欲張りなんだな。だが、そんな未来も悪くないか」

「ええ、俺は必ず彼女をこの国一番の幸せな女性にしてみせます」


 そう言ってマクシミリアンは、紙ばさみを抱きしめるように畳んだ。


「ならば、さっさとその恋人にご褒美を持っていくがいい」

「本当にありがとうございます。叔父上」


 コーネリアスのもとを持したマクシミリアンは、控えの部屋に戻るなり思わずガッツポーズを決めて飛び跳ねる。


「よっし、よっし! これで……あっ」


 ひと目も気にせず嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねた彼は、意外な来客がいたことに驚いきあわてて居住まいを正す。


「君も呼ばれていたのか」

「え、ええ」


 引き攣った笑顔でうなずいたのはジャスミンだった。彼女だけではない。メリッサとイザベラも、なんとも言えない目でマクシミリアンの奇行を眺めている。

 あのあとメリッサと雛菊館に戻った彼女は、月桂樹館に呼び出されたのだ。遅めの朝食代わりの軽食で小腹を満たして、急いで着替えて身なりを整えて来たばかりだった。

 国王に呼ばれたことで張り詰めていた緊張が、一気に緩みそうになるのをジャスミンはギリギリのところで保った。


 何とも言えない沈黙を破ったのは、マクシミリアンの咳払いだった。


「恥ずかしいところ見せてしまって、申し訳ない」

「大丈夫です。見なかったことにしますから」

「それはありがたいな」


 フッと笑ったマクシミリアンは、すぐに表情を引き締めた。


「あらためて、今謝罪しよう。君の従姉を利用させてしまったこと、ヒューゴたち反体制勢力の奴らの暴走を止められなかったことを、心から謝罪する」

「謝罪を受け入れ、あなたを許します」


 頭を下げたマクシミリアンに、ジャスミンはなんのわだかまりもなくそう言えた。

 あっさり許すとまで言われて、彼は意外そうに顔を上げる。


「リディは、わたくしの女官などではおさまるような女ではなかった。それだけですわ。むしろ、彼女を帝国に導いてくださったことを感謝したいくらよ」


 そうジャスミンは勝ち気に笑った。


(ああ、これはジャックが夢中になるわけだ)


 ジャスミンに別れを告げたマクシミリアンは、月桂樹館を出たところでピタリと足を止めた。


「しまったな。せっかく邪魔されずにジャスミンの性癖を聞き出すチャンスだったのに」


 しかめっ面でくだらないことをボヤいた彼は、すぐに何か思いついたのかいたずらっぽく笑った。

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