嵐のお茶会

 お茶会の会場だと案内された部屋は、部屋数の多い柊館の中でも狭い部屋の一つだと容易に想像がついた。明るいピンクを基調とした小花柄の壁紙からして、おそらく王女のための部屋だということも。


 水色のテーブルクロスのテーブルに、背もたれのある木の椅子が四脚あった。嵐の前に鎧戸を締め切っているので、テーブルの中央にある燭台と、壁際のチェストやサイドテーブルの上にランプも用意されているおかげで、お茶会には困らない程度には明るい。


「ちょうど四人で、お茶会ができるわ。少し早く来てしまったみたいで、まだ用意が整ってませんけど、座ってくつろいでください」


 どうやら彼女は、メイドとして連れてきたイザベラとメリッサもお客さんになっているらしい。それから、うすうす気がついていたけれども、デボラが招待したのはジャスミンだと確信させられた。イザベラが、ジャスミンにどうしたものかと目で訴えてきた。何事も冷静に対処できるはずのメリッサまで、同じような目で訴えてくる。


(調子が狂うわ)


 デボラが精いっぱいジャスミンたちをもてなそうとしているのがわかるから、ジャスミンは礼儀作法や慣習に反するときっぱりと返せない。結局、彼女は目で二人に座るようにうながすことにした。


「実はまだ緊張で胸がドキドキしているんです」


 四人が席に着くと、早速デボラは喋り始めた。


「昨日は、ジャスミン様から明日にでもとお返事をいただいて、すっかり舞い上がってしまった上に、昨夜は緊張しすぎてなかなか眠れませんでした」


 曖昧に笑って、ジャスミンはどうにか狂った調子を戻そうとした。


「そんな大げさな……」

「大げさだなんてとんでもないです。わたしのような平民の娘に、次期王妃のジャスミン様がこうして……」


 デボラは、感無量とばかりに声をつまらせる。


(なんだか、思っていたのと違うわ。あの男の恋人というくらいだから、なにかもっと別のものを想像していたのに)


 困りきったジャスミンは、頼りにしているイザベラとメリッサに救いを求めて目をむける。けれども、二人とも視線をあわせようとしなかった。


 ようやく年嵩のメイドが、ティーセットと揚げ菓子を持ってきてくれた。神経質そうなシワが顔に刻まれているメイドの登場に、ジャスミンは苦手意識から顔がこわばる。けれども、ジャスミンにとって意外なことに、メイドは好意的な――まるで応援しているような眼差しでデボラに会釈して出ていったのだ。

 ではと、お茶を淹れるために腰を上げたデボラのことが、ますますわからなくなった。


(平民で王族の寵愛を受けているとなれば、それなりの嫉妬とかありそうなものだけど……)


 またしても調子が狂うと、ジャスミンがため息をこらえた。


「ちょっと、デボラさん!!」


 ぼんやりと考え事をしていたジャスミンは、イザベラの悲鳴のような声で我に返った。

 なにごとかと思えば、デボラがどうやら緊張のあまり手が震えてお茶菓子が入った器を落としそうになったようだ。

 見かねたイザベラが、珍しく声を荒げてデボラから器を取り上げて、お茶を淹れてくれることになった。すっかり萎縮して申し訳なさそうに、席に戻ったデボラは両手で顔を覆った。


「本当に、すみません。やっぱり、ジャスミン様にと思うと、手が震えてしまって……」

「いいのよ。イザベラは、お茶を淹れるのがとても上手なの」


 とりあえず、ジャスミンはデボラをなだめて、誘いの手紙を受け取ったときからの疑問を口にした。


「ところで、どうしてわたくしをこの茶会に招待してくれたの?」


 顔を覆っていた手をデボラが下ろすと、イザベラは鮮やかな赤に金の蔦模様柄のティーカップを彼女の前に置いた。次にジャスミン、メリッサ、自分の席に置いていく。ジャスミンよりも先にデボラの前に置いたのは、手が震えるほど緊張している彼女は喉が渇いているだろうと気を遣ったのだろう。もともと、格式張ったお茶会ではない。親しい友人たちが楽しむような形だ。

 デボラは、イザベラの気遣いに感謝する余裕がなかったのか、喉を潤してからジャスミンの問いに答えた。


「それは、この国でもっとも高貴なジャスミン様とお話できるチャンスを逃すわけにはいかなかったですから」


 彼女の答えを理解しかねていると、喉が潤い気持ちにゆとりができたのか、デボラは落ち着いてはっきりとした声で話を続ける。


「わたしのような平民が失礼を承知で招待することすら、まずありません。わたし、マックス……あ、マクシミリアン様の……」

「言いやすいほうでいいわ。いちいち言い直される方が困るもの」

「ありがとうございます! やっぱりジャスミン様は素敵です。わたし、すっかりファンになってしまいました」


 緊張がとけた反動からか、デボラは急に饒舌になった。


「あ、そうでした。話を戻しますけど、マックスの告白を受け入れたときに、わたし、思ったんです。王族の方に、愛されるなんて幸運なんだろうって。一生に一度も縁のないような幸運を逃すなんて真似は、これから先も絶対にしないって。だから、ジャスミン様とお話できるかもしれないチャンスを、逃したくなかったのです」

「そう、そうだったのね」


 そう返したものの、ジャスミンはデボラに深い考えがなかったことくらいしかわからなかった。


(とても、裏があるようには見えないのよね)


 目を輝かせて舌が止まらなくなったデボラから、悪意を探し出すのは到底無理だとジャスミンは諦めた。知らない間にリディアのように利用されている可能性は否定できない。それでも、彼女に悪意がないのはたしかなようだ。


「はい。さきほども言いましたけど、ジャスミン様から明日にでもとお返事をいただいたときは、本当に嬉しくて嬉しくて泣いてしまいました」

「そんな、泣くほどのことでも……」

「いいえ、発狂しなかった自分を褒めてあげたいくらいです。あぁ、でも、そうやって平民のわたしに対してしっかりお話しをしていただけるなんて……感激です」


 イザベラとメリッサは、すでに空気になることに徹すると決めている。


(あの男の罠の可能性も考えたり、でも何かわかるかもしれないと、深く考えたわたくしが馬鹿だったわ)


 調子が狂わされっぱなしのデボラの相手を、ジャスミンは一人でしなければならない。

 けれども、不思議とデボラに好感を抱いていることにも気がついていた。リディアと比べるのもどうかと思うほど、性格はまるで違う。けれども、先ほどちらりと投げやりな気分で思いついたように、彼女が女官として雛菊館に来てくれたら楽しいだろうと今度は確信をもって考えている。


「実は、ガーデンパーティーでスピーチを聞くまでは、こんな無謀なことをするつもりはありませんでした」

「スピーチ?」

「ええ、ジャスミン様の強気なスピーチに感動して、お話がしたいと思ったんです」


 頭が真っ白になって、とっさに思いついたことを言っただけだったとは、ジャスミンはとても言えなかった。彼女の戸惑いをよそにデボラは少し熱を下げて続ける。


「わたしたち平民は、この国でもっとも高貴な女性とお話しすることはまずありません。だから、先ほども申し上げたように、万に一つでもいいから話せるチャンスを逃すという選択はありませんでした」

「万に一つなんて、大げさではなくて。あなたは、平民だとしてもリセール公の恋人でしょう?」

「ええ、その通りです」


 でもと、デボラは覚悟を決めるようなひと呼吸をしてから続けた。


「もうすぐ、わたしはマックスの側はいられなくなりますから」

「そんな決めつけるのは、まだ早いんじゃ……」

「いいえ、始めからわかりきったことです」


 デボラは少しだけ寂しそうに、けれどもしっかりとした声で続ける。


「世間では、わたしがマックスを誘惑したように言われているのを知っています。でも、本当は逆です。だいたい、どうしてそんなだいそれたことができるんですか。相手は王族ですよ。マックスが、しつこく毎日いいよってきたんです」


 その頃のことを思い出したのか、デボラは懐かしそうに口元をほころばせる。


「はじめは断りました。きっと、ふざけているのだ。わたしのような平凡な女を困らせて楽しんでいるだけだと、腹立たしかったこともあります。でも、結局、根負けしてしまいましたけどね。気がついたら、わたしもマックスのことが好きになっていた。彼、ああ見えて、結構繊細なんですよ」

「せん、さい?」


 思わず耳を疑った。リセールの伊達男と呼ばれて、ガーデンパーティーで派手な登場で会場をわかせた男が、繊細だなんて信じられない。


「ええ。何か言われると、すぐに落ちこんで甘えてくるんです」

「甘えてくる?」

「そう、まるで子どもみたいに。そうそう、先日のガーデンパーティーで、ジャック様に太ったと言われたらしくて、鏡の前でお腹の肉をつまんでダイエットするべきかとか真剣に悩んでましたね。あれは、本当におかしかった」


 その姿を思い出したのか、デボラはクスクスと笑う。


「繊細で、すぐに落ちこむし、甘えん坊ですけど、マックスはとても情熱的でまっすぐな人でした。狂王の前から続く商人からの賄賂は、決して受け取らないし、リセールの街のために彼がしてくれたことは数え切れないほどあります」

「本当に、マクシミリアン様を愛しているのね」

「はい、心から。それに、彼もわたしを愛してくれています。心から」


 はっきりとそう言い切れる彼女が、ジャスミンにはまぶしかった。


「それなら、側にいられないなんてことはないんじゃないの」


 たとえマクシミリアンが王になって、ジャスミンが妻になったとしても、それほどの寵愛を受けているなら、愛人として側にいられるのではないか。

 けれども、デボラは困ったように笑う。


「マックスは、わたしにずっと側にいてほしいと言ってくれます。でも、始めから覚悟していました。わたしは平民で、マックスはこの国になくてはらない王族の一人。ほんのひと時の関係だと。それが、いつの間にか、ずっと続けばいいと思ってしまって、こうしてここまで来てしまったんですけどね」


 王族のマクシミリアンが立場をわきまえずにいるのはよくないことだと、デボラは静かに続けた。


(強いわ)


 ジャスミンは、自分よりもデボラはずっと強い人だと思った。


(愛の力なのかしら。ちゃんと自分のことだけじゃなくて、相手のことも思っている。それだけではないわ。挙動不審になるくらい緊張してまで、わたくしと話したいと考えて実行するなんて、誰でもできることじゃないわ)


 自分が情けないとすら思えてきて、ジャスミンは小さなため息をついてしまった。


「す、すみません。ジャスミン様と話をしたいと言っておきながら、わたしばかり話をして」


 慌てて頭を下げるデボラに、ジャスミンは苦笑した。


「そんなことで、頭を下げないでちょうだい。わたくしは、あなたの話を聞いているだけでなんだか楽しくなってきたわ」

「そ、そんなことは……」

「あるわよ。わたくし、嵐のことなんてすっかり忘れていたもの」


 そう自分で言うまで、ジャスミンは鎧戸に叩きつけられる雨や風のことをすっかり忘れていた。そんなことがなんだか楽しくなって、ジャスミンはクスクスと声を出して笑ってしまった。

 敵と認識していたデボラのお茶会に、ジャスミンも肩に力が入っていたに違いない。

 恥ずかしさと申し訳なさで顔が真っ赤だったデボラも、気がついたらジャスミンと同じように笑っていた。

 笑い合う二人に釣られるように、空気になっていたイザベラも微笑む。メリッサは、いつもの無表情だったけれども、心なしか彼女の周囲の空気が柔らかくなった。


 外の嵐はひどくなる一方で、柊館ではようやく打ち解けたなごやかなお茶会になってきた。


 そんな時だった。


「失礼します」


 ノックもそこそこに先ほどのメイドが厳しい顔つきでやってきた。驚きの四人の視線が、集まる中、彼女はひどく狼狽していた。


「先ほど月桂樹館から使いの者がまいりまして、月虹城内で落雷による倒木があったそうです」


 ジャスミンたちは、すぐに何が起こったのか理解できなかった。

 戸惑う彼女たちに、彼女は続ける。


「これにともない、月虹城では嵐がすぎるまで外出は禁じられることになりました」

「え、そんな……」


 ジャスミンたちを一度見やってから、デボラはメイドに確認するように尋ねる。


「ソフィア、それではジャスミン様たちが帰れないじゃない」


 年嵩のメイド――ソフィアは、狼狽しつつもしっかり首肯する。


「デボラさん、ジャスミン様たちには一晩お泊りいただくことになります」

「そんな、でも……」


 想定外の事態に、デボラは青ざめる。


「無理をお願いして来ていただいただけでも、畏れ多いことだというのに、一晩過ごしていただくなんて……せめて、マックスが帰ってくれば……」

「デボラさん、落ち着いてください。輝耀城に通じる道の封鎖も決まりました」


 言葉を失ったデボラを見れば、柊館の主人であるマクシミリアンが輝耀城にいることは察しがついた。

 イザベラが小声でジャスミンに声をかける。


「困りましたね、お嬢様。なんとかして帰れないものでしょうか」

「そうね、迷惑はかけたくないわね」


 七竈館に押しかけた夜のことを思い出した。従姉が心配だったとはいえ、七竈館の使用人たちにはいい迷惑だったと、深く反省したことも。


「メリッサ、なんとか帰れないかしら。雨が弱まるのを見計らったりすれば馬車をだせるのではないかしら」

「申し訳ございませんが、ジャスミン様、諦めてください」


 メリッサは、考える余地もないと言わんばかりにきっぱりと言った。


「ジャスミン様、これは月桂樹館からの通達です。その意味を察せられないようでは、先が思いやられます」

「月桂樹館……あっ」


 ジャスミンだけではなく、イザベラとデボラもようやく気がついた。

 もしかしてという顔をしたデボラに、ソフィアは困りきった顔で首を縦に振る。


「そうです。これは、コーネリアス様――国王陛下による外出禁止令です」


 それほど遠くない場所に雷が落ちる音が、やけに大きく響いた。

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