堕ちた教会

 目をみはるジャックに、ジャスミンは身を乗り出して続ける。


「ヤスヴァリード教では、魂は死後みな等しく神の前で生前の行いを裁かれ、そして罰せられる魂は地獄へ落ちる。だからこそ、生前の行いが大事なのです。自分で善悪を判断し、責任をもって生きる。生前の神罰など言い訳を用意しては、信徒の生き方そのものを否定することになりますわ」


 まばたきを数回繰り返したジャックは、軽く咳払いをして居住まいを正した。


「それはよいことを聞いた。つまり、連中はそれだけ後ろ暗いことを抱えているというわけだ。もしかしたら、魔女のクスリの他にも色々と叩けば出てくるかもな……」

「そもそも、そのような腐りきった教会は潰してしまえばいいのですわ。信徒たちのためにもなります」


 嬉しそうなジャックに、ジャスミンは真面目に訴えた。


「もちろん、そのつもりだ。話がそれてしまったが、昨日のリディアのカバンから、魔女のクスリが見つかった。彼女が昨日教会にしか行っていないことは把握済みだ。教会の連中を黙らせるには弱い証拠だったから、イザベラ、君の証言からなにか得られないかと考えていたが、その必要もなくなった」

「わたしの、証言、ですか?」

「ああ、君が行ったときに魔女のクスリが焚かれなかったから、少量だったかはわからないが、君は健康を害されていないようだ。だが、特にめぼしい証言がなくとも、魔女のクスリの臭いで体調を崩したとか、なければでっち上げるつもりだった」


 目を丸くするイザベラに、安心させるようにジャックは微笑みかける。ジャスミンのお陰で、その必要はなくなったと。


(安心したわ。まともな証言なんてできないもの)


 敬虔ではない信徒のイザベラにとって、教会通いは退屈だった。隣にリディアがいたせいで、居眠りこそしなかったけれども。


(それにしても、魔女のクスリだかなんだか知らないけど、リディア様のようにならなくてよかったわ。運が良かったのね)


 先ほどから気になっていた不安も、解決できてほっと胸をなでおろす。そんな彼女の隣で、ジャスミンはジャックにお願いする。


「いいえ、イザベラは役に立ちます。ぜひ、教会に踏みこむときも同行させてやってください」

「お嬢様!」


 いきなり何を言い出すのかと、イザベラは目を丸くする。そんな彼女に、ジャスミンはニッコリと微笑みかける。けれども、その目は黙っていろと命じていた。

 程度は違うけれども、戸惑ったのはジャックも同じだった。


「彼女が役に立つ、というのは?」

「イザベラは、リディほど敬虔ではないけど、聖典の教えは熟知してますわ。それこそ、この国の教会の子ども騙しなんてすぐに論破できますわよ」


 なぜか得意げなジャスミンに、ジャックがイザベラを見る目の色が変わった。


「それは、たしかに心強いな」


 だがと、目を白黒させているイザベラから視線を外して、ジャックは続ける。


「だが、無理はさせたくない」

「いいえ、ジャック様。大丈夫ですわ」


 ジャスミンはイザベラの肩をポンと叩いた。


「わたくしが、ちゃんと説得しますもの」


 従姉が利用されただけではなく、教会が神の教えに背くようなことをしているのが、ジャスミンは許せなかった。


(本当は、わたくしが行きたいところよ。でも、でしゃばりすぎはよくないものね)


 それに、ジャスミンはイザベラをその気にさせる自信があった。

 強気な彼女に、ジャックはとうとう首を縦に振った。


「わかった。そのようにこちらも、話をつけてくる」


 イザベラの肩がビクッと震えたけれども、誰もが見なかったことにした。


(そんな、お嬢様ぁ、あたしは嫌ですぅ)


 懐中時計を取り出して、ジャックはジャスミンたちの前で時間を確認する。


「すまないが、そろそろ輝耀城でこの件を詰めなくてはならない。今回の件は、我々の落ち度が大きい。ジャスミン、君の従姉を責めることは、俺にはできない」


 ちらりと右手の包帯を見やって、ジャックは懐中時計をしまって腰を上げた。


「わかってくれていると思うが、昨夜のことは口外にしないでくれ」


 もちろんだと、ジャスミンたちは黙って首を縦に振る。


「雛菊館でも、君たちは心配されている。ゆっくりしていってくれと言いたいところだが、帰って安心させてやるのも大事なことだ。何かあったら、次は隠さずにすぐに知らせるから」


 そう言ったジャックの笑顔は、早く雛菊館に帰ってほしいという気持ちが隠しきれていなかった。


「もちろん、わかってますわ。リディアをよろしくお願いします。わたくしの大切な従姉ですもの」

「彼女のために、できる限りのことをする。君との面会もなんとかしてみよう」


 絶対と死なせないとは言えずに、ジャックはできる限りのことをするために出ていった。


「ちょっと、お嬢様ぁああああああああああ!!」


 ジャックが充分離れただろうと思われる頃になって、イザベラはジャスミンに抗議の声を上げた。童顔で泣きつくようにしているイザベラは、とてもジャスミン付きのメイドには見えない。


「落ち着きなさいよ、ベラ!」

「落ち着いていられませんよ! なんでですか、お嬢様ぁ、あたしが邪魔ですか! 危険な仕事をさせてぇえええええ」


 これまでずっと、メイドとして働いてきた彼女にとって悪人を捕まえる大捕り物に同行するなんて、死ねと言われているようなものだった。


「ベラ、よく聞いて、これはチャンスよ」

「なにが、チャンスですかぁああああああ!! あたしは、メイドですぅ。メイドが危険をおかすのが、チャンスだなんて、お嬢様ぁあああああ」

「まったく……」


 子どものように泣きついているイザベラを引き剥がして、ジャスミンは彼女の両肩に手を置く。


「ベラ、あなた、何しにわたくしについてきたの?」

「それはもちろん、お嬢様にお仕えするためです」


 年下の主人に真剣な目で見つめられては、イザベラも泣き言を言えなくなった。

 彼女の模範的な回答に、ジャスミンは盛大なため息をついてイザベラにずいと迫る。


「それだけじゃないでしょう? あなた、いい男を見つけて結婚するって言ってたじゃない」


 イザベラは何を言われたのか、すぐにわからない。まばたきを繰り返す彼女に、ジャスミンはとても真剣な声で続ける。


「でも出会いがないって、嘆いていたでしょう。なら、これはチャンスよ。考えてもご覧なさい。ジャック様がおっしゃっていた警邏隊に同行するということは、花の都アスターの治安を守る殿方たちに囲まれているということよ」


 大きく息を飲んだイザベラは、次の瞬間、目を輝かせる。そんな彼女に、ジャスミンはさらに畳み掛ける。


「教会の子ども騙しのようなでまかせを論破するだけで、殿方たちの目には、きっと素敵な女性に映るでしょうね。ねぇ、イザベラ、これがチャンスでなくて、いったいなんなのよ」

「え、でもぉ」


 嫌だと泣きついた手前、イザベラはすぐに首を縦に振れなかった。


(あたしったら、どうして気がつかなかったのかしら。さっき、ジャック様にお返事しておけばよかった)


 もうすでに、心は決まっているのに恥ずかしさが邪魔をして素直になれない彼女に、ジャスミンの後方から思いがけない駄目押しあった。


「王都の警邏隊は、若い独身男性が多く所属してます」


 メリッサだった。彼女の淡々とした声は、ジャスミンとは別の方面からイザベラの心を激しく揺さぶる。


(ちょっと、メリッサまで何言ってるのよぉ)


 けれども、男目当ての安い女だと思われるのだけはごめんだと、まだ素直に首を縦に振らない。


「それにおそらく今回は、警邏隊だけでなく、司法の文官も大勢駆り出されると思います。肉体派と頭脳派の両方にお近づきになるチャンスです。イザベラ、しかも、アスターの殿方は、女性に美しさよりも可愛さを求める傾向があります」

「そうなの、メリッサ! ベラ、あなたを巡って殿方が奪い合うかもしれないじゃない」


 そう言ってから、ジャスミンは若干盛りすぎたかと思ったけれども、イザベラの緩んだ口元を見れば杞憂だとわかる。


(あとひと押しね)


 なんて言おうかとジャスミンが考える必要はなかった。


「ヤスヴァリード教の信徒に抵抗のある殿方も多いのは否定できませんが、イザベラなら大丈夫です。結婚を前提にする前に、ヤスヴァリード教の方とといい仲になって、結婚するのです。昔は親の猛反対したとか言いますが、今ではそんな古臭い親は笑い者です。とはいえ、それほどよくあることではありません。ハードルが高いととらえるかどうかは、イザベラの自由です。が、それは殿方にとっても同じこと。よく言うではありませんか、障害が多いほど恋は燃えると」


 メリッサの怒涛の駄目押しが決め手となった。


 キラキラと瞳を輝かせて、イザベラは肩にあったジャスミンの両手を握りしめた。


「やります! このイザベラ・ガンター、堕落しきったこの国の神官たちを罰するお役に立ってみせますわ」


 それでも男のためと言わないのは、イザベラなりのプライドだろう。


「ありがとう、イザベラ!」


 本音なんてどうでもよくて、ジャスミンはイザベラを抱きしめる。


「ちょっとお嬢様っ! 苦し……あーっ!」

「何よ、大きな声出さないでよ」


 ジャスミンは耳を押さえながら、イザベラを離した。


「だってお嬢様、さっきメリッサが笑ってたんですよ」

「えっ、嘘っ」


 呆気にとられたイザベラに言われて、ジャスミンは慌てて振り返るけれども、メリッサはいつも通りだった。

 まじまじと至近距離から見つめられて、さすがにメリッサも居心地が悪そうだ。


「あまり人の顔を見ないでください。はしたないです」

「ねぇ、メリッサ、笑って」

「嫌です」


 抗議の声を上げるジャスミンを無視して、メリッサは立ち上がる。


「ジャスミン様、ふざけてますと、七竈館で悪評が立ちますよ。ジャック様のお耳に入ったら、どうするのですか?」

「そ、それは困るわね」


 今さらだったけれども、ジャスミンは居住まいを正す。

 そんな素直なジャスミンを、メリッサはまぶしそうに目を細めた。彼女は、ジャックとジャスミンのお互いの気持ちを本人に教えないと決意を新たにする。


(ジャスミン様にはああ言ったけど、わたしはジャック様のことを本当は……)


 また口元が緩みそうになって、彼女は意識的に引き結ぶ。雛菊館にジャスミンが来るまでは、決して意識する必要のなかったことだった。

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