研究魔と共に謀る者


『私は——竜胆輪花。こことは違う世界『地球』にある『日本』という国で生きていた者です』


 言っちゃった。——言ってしまった。


 脳内ではむーちゃんの「何言ってるのバカなの」という抗議の声がずっと響いている。

 確かに、ここで正体を明かすのはあまり頭の良い判断じゃないだろう。

 でも、ここではぐらかしたらいけない気がした。

 ここで嘘を吐けば、真実を話さなければ、先生を裏切ることになる。

 それはいやだ。私は、私と関わりのある人を裏切りたくない。


 私は、先生との縁を切りたくない。

 それが、私の結論。


 先生はじっと私の眼を見る。私も先生の眼を見続ける。


『本当のようだな』


 先生は溜め息を吐かなかった。


『信じてもらえるんですか?』


 私は、そうであってほしい、望みを言葉にする。


『俺は研究者としての俺を信じている。

 今回は、可能性として考えていた仮説の一つに当てはまった、ただそれだけだ』


 それに対して、先生は感情でなく理性で帰結していた。


『……そうですか』


 それがすこし、ざんねんだった。

 私は顔を床に向ける。先生の顔を見る勇気が、今は無かった。


『……そんな顔を見ると、嫉妬していた俺が馬鹿みたいだな』


 次に聞こえたのは、くっくっく、とできる限り音を殺した先生の笑い声だった。


『理由としては、それが半分だ』

『……え?』

『ここ半節の間、お前を見ていて分かったことがある』


 私は顔を上げる。目の前にヴィーヴ先生の顔があった。口の片端を上げて、笑っていた。

『お前は、リンカという人間は人を裏切るような奴じゃない』


 ぽん、と私の頭に手が置かれる。暖かい手だった。


『研究以外は、な』


 そして、乱暴に頭を撫でられた。


『だから、俺はお前も信じる。これが、もう半分だ』


 私の手に、ぽとぽと、と暖かい水滴が落ちる。

 私の涙だった。


『なっ、なんで泣くんだ? 何か悪いことしたか?』


 止めどなくあふれる涙に慌てる先生。違うんです、と私は断る。


『これは嬉し涙ですよ。先生』


 先生が安堵した時の短い溜め息を、私は忘れないだろう。


 私はこの時に初めて、この世界が私を受け入れてくれた、と感じた。



  *・*・*



 私が泣き止んだ後、先生とたくさん話をした。


『前の名前はリンドウリンカだったか?

 まさかリンカという言葉が入っているとは驚いたが』

『あ、竜胆が姓で輪花が名です。私も名前が決まったとき驚きましたよ。愛称が前の名前と同じになるなんて。お陰で違和感が無くていいんですけど』

『偶然か…?』

『偶然ですかね……?

 それに、竜胆も花の名前で、輪花も名前に花の意味が入ってますし』

『リンカティアも古い言葉で白い花という意味だ。意味も似通っているとは』

『不思議ですよねー』

『あまり運命とか言いたくはないが……確かにな』


 私の名前のことだったり、


『前の世界はどんなところだったんだ?』

『うーん、まず霊素がないですね。あと、科学が発展してました』

『カガク?』

『化学や物理学などの自然科学……こっちだと【地の理】ですね。

 それが術ぐらいまで発展してる世界です』

『それは興味深いな。こっちでも再現可能なのか、そのカガクは?』

『多分出来ると思いますけど、再現するには資源と技術者が大量に必要です。

 それに、同じ現象を起こすなら術の方が圧倒的に楽ちんです。

 正直に言えば、再現するメリットは無いですね』

『しかし、考え方はこの世界にも応用が利くかもしれん。

 今度、カガクについて教えてくれないか』

『ふふふ、研究者の血が滾るってヤツですね。いいですよ、刻紋学を教えてくれたお礼です』


 先生と異世界技術交流について約束したり、


『はぁ? 享年が十八?! 俺より年上なのか!』

『でも私、先生ほど老けてませんよ?』

『俺より老けていない、だと……?

 老化速度の違いか、それとも、この世界と時間の進みが違う?

 そっちの一日はどれくらいなんだ?』

『えっと、体感ですけど、こっちと大体同じですね』

『なら、一年は何日だ?』

『だいたい三百六十五日ぐらいですね』

『……エスラトウスでは一年は五百四十日ぐらいだ』

『えっ、一年が一年半なんですか?』

『そして俺の年は十二、向こうの世界では十八。

 つまり、俺はお前とほぼ同い年ということになる』

『ええええ!?』

『俺の方が驚いているんだが? お前、精神年齢幼すぎるだろう!』

『うわ、酷いです先生! というか先生が十八歳?! 年齢詐称してませんか!』

『な、ん、だ、と?』

『ああああごめんなさい先生若いですから頭を握りつぶさないで』


 話の中、驚愕の事実が判明したり、


『前の世界ではどんな研究をしていたんだ?』

『んー、いろいろ研究しましたけど、世間的に有名なのは永久機関の開発ですね』

『永久機関?』

『はい、無限に動力を得られる閉じた装置です』

『前の世界でもお前はお前だったってことか……』

『どういう意味ですかー』

『開発した後、もめ事が起こっただろ、世界レベルで』

『そうですね、あれは大変でした。権利関係やらスパイやら。

 面倒だったので特許使用料を限りなく安くして、あとの開発は世界的機関にお任せしましたが』

『……その後の開発者たちの阿鼻叫喚が思い浮かぶわ』


 また先生に呆れられたり、


『え、先生って【世界の果て】に行ったことがあるんですか?』

『正しくは連れて行かれた。今思えばあれは拉致に近いな』

『誰がそんなことを……』

『お前の母親、セツカ様だよ』

『お母様なにしてるの?!』

『術精霊が使えない場所があるから、刻紋に詳しい者を連れていきたかったと言うのが本人の弁だ』

『実際は……』

『旅の最後まで連れて行かれた。俺はその時学んだよ。シャドラの女は止められないと』

『心中お察しします……』


 先生も自身のことを話してくれた。

 思えば、自分のことを気兼ねなく話すなんて、こっちに来てからは初めてのことだ。

 むーちゃんは私だから話す必要はないし、大霊樹様は記憶を覗いているから全部知っているし。

 そして、すごく気が楽になった。

 転生のこと、前世のこと、今の私のことを知ってくれる人がいるというだけで、こんなに心が軽くなるなんて。

 また涙が出そうになったよ。


『リンカ、一つ聞いて良いか?』

『はい?』

『お前は、自分の研究が世界を変えてしまうことに抵抗があるか?』


 先生が私の眼を見つめる。動かない瞳。真剣に尋ねている眼だ。


『ないです』


 私は即答する。


『何故だ?』

『だって、研究で変わらない世界なんて面白くないじゃないですか』


 私の根底にある、楽しく研究できなければ人生じゃないという考え方。

 そして、世界への影響度が高い研究は楽しいという経験。

 自分の研究が世界を変えるという楽しさも知っている。


『面白くない、か。確かにそうだな』


 ははっ、と先生は軽く笑う。そして意を決したとばかりに、私に言った。


『リンカ、俺と一緒に世界を変えないか?』


 私の勘が告げていた。これは、私の人生を決める提案だ。


『……いいんですか? てっきり先生は世界を変えたくないほうかと』


 さすがの私も、慎重な面持ちで聞き返す。


『そんなことはないぞ? 俺だって功名心やら野望はあるさ』


 ふっ、と先生が息を吐く。その吐息には先生の自嘲が見えた。

 だがな、と先生は言葉を続ける。


『俺は新しいことを作ることが出来ない。

 だから、お前のように世界を変えて歴史に名を残すなんてこともないだろう』

『そんなこと……』


 と言いかけて、言葉が詰まった。

 同僚は言っていた。「研究魔の常識を凡人に求めるな」と。

 ヴィーヴ先生に、私は期待しすぎていたのだろうか。

 私の顔が下を向く。すると、頭に軽い衝撃。私の頭に先生の手が乗っていた。

 先生は笑っていたけど、少し弱々しく見えた。


『自分の得意不得意は自分がよく知っているさ。お前が気にすることじゃない。

 それに、全部できるってのは一番つまらない人生だろう?』


 人には得意なことと不得意なことがある。だからこそ面白い。

 その言葉を聞いて、お爺様の言葉を思い出した。


——自分が出来ることを他人が出来るとは限らない。その逆も然り。

——だからこそ、人は縁を、絆を作るのだ。

——助け、補い、一人では行けない高みを目指すことができる。

——だからこそ、人生は面白くなるのだ。


『分かりました……でも、先生が得意なことって?』

『俺の得意なこと——それは、研究の成果を世界に伝えることだ』

『論文執筆とか検証研究が得意ってことですか!』

『そういうことだな。あと、それなりに発表先にもコネもある』

『素晴らしい得意分野ですね! 私、そういうの苦手で、前は全部同僚にお願いしてたんですよ』


 私は研究さえ出来ればよかったので、発表などは二の次だった。

 そのせいで積み上がっていく研究魔層から、重要な研究成果を発掘してまとめるのは同僚の仕事になっていた。


『その同僚の苦労が手に取るように分かるな……』


 先生が目頭を押さえる。なんか涙腺を刺激したらしい。


『でも、なんでそんな話に?』

『最初、お前の暴走を止める為にお前を弟子にしたんだが……。

 この暴走研究児を制御するのは至難の業だと悟った。

 なら、俺もその暴走に一枚噛んだほうが面白いじゃないか。

 それに、目標は高ければ高いほど、楽しいものだろう?』


 先生が口端を上げながら、そう言った。

 その声はいつもらしからぬ、いたずら心満載の少年の声だった。


『暴走研究児って酷いですよ。せめて研究魔って読んでください。

 そっちは前世から呼ばれ慣れているので』

『研究魔……か。なるほど、しっくりくるな』


 先生が最近伸ばし始めた、正直似合っていない顎髭を撫でる。


『それでどうする、研究魔のリンカ?』


 もちろん、私の答えは決まっていた。


『やります! 先生と私の研究で、この世界、エスラトウスを変えちゃいましょう!』


 こうして、私は、この世界で最高の協力者を得たのだった。



  *・*・*



 その後は先生が持ってきた『世界変革プラン』が書かれた石紙を二人で見つつ、意見を交わした。


『なんか、こういうのって犯罪計画を謀る首謀者達って感じがしますね』

『ふむ、ならば、さしずめ俺たちの関係は共謀者ってことか』

『いいですね、共謀者! 悪っぽいところがかっこいい!』

『かっこいい……のか?』

『特に先生は似合いそうですね』

『それは暗に俺が悪役顔をしていると言ってないか?』

『ソンナコトナイデスヨ』

『目を見て話せ、この研究魔』


 軽い冗談も話しつつ、今後の方針を固める。

 まず、私は先生から刻紋学を学び終えて、先生と同じステージに立つこと。

 先生は三連型を検証研究しつつ、応用系を模索すること。

 霊素充填符紋はしばらく秘密にするということになった。

 あと、刻紋学会に発表するだろうから、私は偽名を名乗ることになった。


 偽名は、『リンカ・リンドウ』。


『ばれませんかね、これ。思いっきり私の愛称が載ってますよ』

『大丈夫だ。そもそも、零輪児が学会に発表するとは思わないだろ』

『あー、それもそうですね』


 こんなところで前世の名前が残ることになるとは、人生って不思議なものだ。

 ただ、先生から貰ってばっかりなのはちょっと頼りすぎな感じがする。

 先生とは、師匠と弟子の関係だけど、対等な関係がいいな、と思った。

 そうなると、貰いっぱなしじゃなくて、何かお礼したいなぁと考えるわけで。

 私は脳内で先生が喜びそうなことを考える。

 そうだ、と私は先生が喜びそうな情報を口にした。


『そういえば先生。私に枝の賢者様の血が流れているようですよ』


 先生は突如振られた話題に、脳の処理が追いついていないのか、目を開いたまま止まった。


『……なんだって?』


 なんとか絞り出した言葉も、聞き返しの言葉だ。よほど混乱しているらしい。


『だから、枝の賢者様です。王祖カティア様のお相手が枝の賢者様だったらしいですよ』

「はぁ?! なんだって! 何処の誰に聞いたその話!」


 ワンテンポ遅れて驚く先生。声が外に漏れてます漏れてます。


『先生、声が外に出てます、あと大きいです……。大霊樹の丘の、大霊樹様からですよ』

『ああ、そうか、大霊樹の大精霊からか……それなら、合点がいく』

『他にも英雄時代を知ってそうなので、今までのお礼と言っちゃ何ですが、いつか先生と大霊樹様を会わせてあげたいなぁ、と』

『是非頼む、一生のお願いだ』


 床につきそうなぐらい頭を下げる先生。

 ここまで必死な先生を見るのは初めてで、私はちょっと笑ってしまった。


『いいですよ。多分、大霊樹様にお願いすれば……』


 了承しようとしたその時、私は気づいた。


 精神世界では、私はすっぽんぽん。


 大霊樹様の精神世界だと、三人分の成長した私が、すっぽんぽんのぽぽんのぽん。


『やっぱりダメです』

「何故だ!?」


 興奮しきった先生の悲痛な叫び声が部屋に響く。


『ダメなモノはダメなんです!』

『何故ダメなんだ、理由を説明してくれ!』

『説明出来るわけ無いでしょ、この先生の変態!』


 精神世界だとみんな裸になるから、なんて言えるわけ無いでしょ!

 その上で誘ったら、私ってただの痴女じゃない!

 私だって最低限の貞操観念はあるよ!

 すごく恥ずかしい!


『いきなり変態扱いか?! 意味が分からん!』

『ともかく、対策できるまでこの話は無しです!』


 と、私は強引に話を打ち切ったのだった。


 精神世界で服を着る方法なんてどうしていいものか。

 これも研究しなくちゃ……って研究したいことが多すぎるよ。


 霊素、刻紋学、術精霊、徴術、精神世界にエレメンタルスキル。


 これから先、世界が広がるほど、研究対象はもっともっと増えていく。


 ほんと、何から手を付ければいいんだろう!


 やっぱりこの世界、最高に楽しい!

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