後に賢王と呼ばれる者
僕はシェルヴェス・エ・ギ・シャドラ。木国の第一王子だ。
皆からはシェルと呼ばれている。歳は四輪。今は来年通う学府の準備として、王としての知識を爺と先生に教えてもらっている最中だ。
ノートに石筆で【術】の授業の内容を書いていく。今日は【属性】の勉強だ。
予習のお陰か、授業は滞りなく進む。
一通りの説明を聞いて、分からない所は質問する方式なので、知っていれば問題なかった。
余裕が出てきたので、ふと、窓の外を見る。木々が生い茂る先には、妹がいる居館が見えた。
最近、妹ができた。
名前は、リンカティア・エ・ル・シャドラ。皆はリンカと呼んでいる。
兄のひいき目になるけれど、リンカはすごく可愛い。
まるっとした大きい瞳もかわいければ、白い肌に血の通った桃色のほっぺもかわいい。
わかりやすい特徴としては、母上譲りのふんわりとした白金色の髪に、父上譲りの、赤よりの紫色の瞳。
まっすぐな緑色の髪に琥珀色の瞳の僕とは逆だ。
そして、額と耳の【神霊石】。
乳白色の【神霊石】は、光の当たりようによっては虹色にも見える不思議な石だった。
それを持つリンカは、誰から見ても特別な存在と分かる。
何せ、木国の建国以来、初めての【古き樹の民】の特徴を受け継ぐ赤ん坊なのだ。
すごい妹が出来た、と思いつつ、その妹に尊敬される兄であるように、僕は今、勉学に励んでいる。
その日の爺の授業が終わり、僕は明後日にある先生の授業に必要そうな本を、居館の書斎に借りに行く。
地政学の本、刻紋理論の本、霊素学の本ぐらいだろうか。三冊は重いな、と思いつつ、歩を進めていると、
「姫様、姫様!」
とイザドラの叫び声が聞こえた。嫌な予感がする。
本を借りに行くのをやめ、イザドラがいる育児部屋へ急いだ。
「どうした、イザドラ!」
重い扉を開けると同時にイザドラを探す。そこには、侍女服を着た複数の女性が地面に這いつくばりながら何かを探していた。
って母上も?
「何事だ、イザドラ。それに母上も」
「はっ、シェル殿下! 申し訳ありません、お見苦しい姿を……」
「あら、ごめんなさい、シェル。はしたない姿だったわね」
「母上、何があったのですか?」
「ええ、実は……」
「奥様、わたくしが説明いたします。——姫様が、この部屋から消えました」
「リンカがいなくなった?」
詳しく聞くと、部屋に侍女数人、さらには母上が居たというのに、いつの間にかリンカがいなくなっていたという。
「消えるなんて……あり得ないだろう?」
「しかし、そうとしか……」
「とりあえず、状況を確認する。全員、母上も含めて消えることに気がつくまでの行動を言って欲しい」
「分かりました、シェル様」
僕は持っていたノートに部屋の見取り図を書き、全員の行動を大まかな時系列にまとめていく。
侍女達は僕の行動に唖然とするけれど、母上はあらあら、と言っていた。
「……分かった」
全員の行動を書き出し、僕は結論を出した。
「リンカはこの部屋の外にいる」
「ええっ!」
侍女たちが驚く中、僕はノートの見取り図に、赤い石筆で記していく。
全員の死角を突き、誰にも気づかれないで、扉の前に辿り着く道筋を。
「おそらく、リンカは誰にも気づかれないままこの線に沿って移動し、どうやったか分からないが、扉を開けて外に出たようだ」
「そんな……ことって」
愕然とする侍女達とイザドラ。これでも王家に仕える者達でかなり優秀なのだが、自信が崩れていくのが目に見えた。
だけど、赤ん坊が大人である自分達の死角を突きつつ、ハイハイ移動で扉の外に出るなんて誰が想像出来るだろうか。
僕も想像出来ない。だけど、情報は真実を話している。
「はい、イザドラ。驚く暇はありませんよ。部屋だけじゃなく、居館全体を探しましょう」
ぱんぱん、と母上が侍女達に指示を出す。イザドラと侍女達は心を現実に戻しつつ、部屋の外に向かった。
こうして、生後六ヶ月のリンカ探しが始まった。
育児部屋の同階をまず探したが、リンカはいなかった。首を傾げる侍女達。
では、下の階か? と皆が下り階段で移動するとき、僕の眼は、登り階段の方に違和感を見つけた。
上り階段の霊素が、異様に薄いことを。
樹の民は、樹の獣の中でも霊素を扱うことに長けた種族だったらしい。
その血を引く木国の王家は、どの人間も霊素に関して何かしらの才能——【徴術】を持っている。
僕の場合は、【樹の民の眼】と呼ばれる、霊素を見ることが出来る霊眼の徴術だ。
この樹の民の眼は霊素の濃度や偏っている属性、さらに鍛えれば行使されている術の内容も理解できるらしい。
その眼が僕に警告する。この上り階段で何かしらの術を使った者がいる、と。
僕の喉が鳴った。——最悪の状況を考えて。
*・*・*
上り階段に足を向ける。霊素が極端に薄くなっているその場所へ。
手に術を使うための、杖頭に【契約石】をはめた短杖を握りつつ、歩を進める。
霊素の濃度が減っていると言うことは、十中八九、術を行使した証拠だ。
この居館で術を行使できた者は、さっきの育児部屋に居た者しかいない。
それはこの居館にいる者全員でもある。
つまり、この術の跡は、第三者が術を行使した結果という可能性が考えられた。
一段、登る。
最悪の状況を考える。
二歩、足を伸ばす。
——妹が誘拐された可能性。
三度、周りを見渡す。
——妹がすでに死んでいる可能性。
これまでに四度、乾いた喉につばを飲み込む。
短杖を握る力が強くなる。
上り階段を登り切った僕は、その術の跡を辿っていく。
術を行使するための霊素は確保した。
【術精霊】による行使準備は終わっている。
とっさの判断が出来るように、頭を回転させておく。
どうやら、術の跡は父上の書斎に続いているようだった。
跡を追っていくうちに、僕の中で疑問が増えていく。
何故、リンカは重い扉を開くことが出来たのか。
何故、仮定にある第三者はリンカが外に出ることを知っていたのか。
何故、術の行使がこれだけ長時間行えているのか。
まさか、僕はその疑問のすべてを解決する答えを否定する。
そして、その否定が誤りだったことが分かった。
術の跡は、父上の書斎まで続いていた。内開きの扉は開いていた。
扉の枠から、そっと顔を出し、中の様子を見る。
リンカが父上の書斎で座っていた。
上半身を伸ばし、書斎の書棚へと開いた手を伸ばしている。
本が、浮いていた。
いや、『手』が本を掴んでいたのだ。
白い光を放つ、柔らかな『手』。
樹の民の眼を持つ僕が見える、霊素を集積したかのような『手』。
それは、紛れもない術だった。
——術を行使したのは、第三者でなく、リンカなのではないか。
僕自身が否定した答えは、正解だった。
神秘的な光景だった。
白く輝く霊素の『手』がまるでリンカへ本を授けるように、ゆっくりと降ろしていく。
周りの霊素の動きも活発になっているのか、鱗粉のように輝いて見えた。
リンカは本を求めてあと少し、と手を伸ばす。
まるで英雄時代の、竜の娘が枝の勇者に手を伸ばすシーンを切り取ったかのようだ。
リンカの近くに本が落ちる。その音で、僕は正気に戻った。
「リンカ! ここにいたのか!」
僕の声に反応したのか、リンカが身体を震わせる。
その直後、リンカが横に倒れた。
慌ててリンカに近づく。一体何が起こったんだ?
頭の中で整理ができないまま、横に倒れたリンカを抱きかかえる。
腕の中のリンカはスゥスゥと寝息を立てて熟睡していた。
脈などを確かめて、身体に異常が無いか確認した結果、外傷もないことを確認して、僕は胸をなで下ろした。
こうして、リンカハイハイ脱走事件は終わった。
僕は妹を育児部屋に連れ帰り、「登り階段の踊り場で力尽きたのか寝ていた」と報告した。
謎が残ったままだったが、母上の「見つかったし、それでいいわ」という竜の一声で、この事件は終わり。
しかし、僕は知ってしまった。
リンカが、術精霊が無くとも術を使えるということを。
次の日、リンカは何事もなかったように起きてきた。
顔は少し翳っている。昨日の事を思い出したのだろうか。
僕は育児部屋の絨毯の上で座ったままのリンカに近づく。
「おはよう、リンカ」
リンカに挨拶する。
「もしかして、言葉がわかるのか?」
そして、リンカに尋ねた。
リンカの眼が目一杯開いた。
昨日の夜、僕は昨日のリンカの行動を考えていた。
おそらく、部屋を出ることが出来たのは、謎の【術】のお陰だろう。
階段を登ったのも、手で自身を持ち上げれば問題ないはずだ。
しかし、何故、リンカは部屋を出たがったのだろうか。
結論として行き着いたのは、本だった。
樹の民は術の力を使い、神霊樹を守護する【樹の獣】。
樹の民は他の【樹の獣】と比べ、精神と知能の成長が格段に速い。
それは、術の扱い、いうより霊素の扱いには、精神力と知力が求められるからだ。
その血を引く僕も、他の【霊人種】に比べ、身体よりも頭と知能の成長が早いほうだと思う。
ならば、古き樹の民の特徴を持つ彼女はどこまで成長しているのか。
もし、知能の成長速度が身体の発達よりも遙かに速い場合、彼女は何を求めるのか。
言葉は出ない、でも、言葉は分かる。では、それ以外の伝達手段は。
僕はそこまで考えてようやく合点がいった。
文字だ。
「当り、かな」
リンカは驚いた表情のまま、コクコクと頷いた。
「そうか。昨日の行動は、本を読みたかった……」
いや、ここで勿体ぶってもしかたない。率直に訊こう。
「……文字を学びたかったのか?」
妹は壊れた木の実割り人形のように頷き続ける。かなり興奮しているらしい。
「なるほど。じゃあ、僕が文字を教えるよ。だから、昨日のように皆を心配させることはしないでくれ」
リンカの顔が陰る。そして腰を折った。謝っているようだ。
「分かってくれればいい。だけど、リンカは賢いな。自慢の妹だよ」
僕はリンカの頭を撫でた。リンカはくすぐったそうに目を細めた。
その日から、僕は暇を見つけては本を持って行き、リンカに文字の読み方を教えた。
布が水を吸うように文字と単語を覚えていくリンカ。
日増しに持って行く本が増えていき、僕の腕も鍛えられていく。
そして五日後。
リンカがあの不思議な【手】の術で僕のノートと石筆を奪い、握り手で石筆を握り、ノートに文字を書いていく。
そのノートに書かれた、お世辞にも綺麗とはいえない文字は、
『お兄様、ありがとう』
だった。
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