研究魔、決意する


 どうだ、と言わんばかりに褒め倒した私は、満足げに彼女の反応を待った。

 私を見つめて微動だにしないエンエちゃん。

 意識があるように思えず、『エンエちゃん?』と私は話しかける。

 すると、彼女の下二つの眼から、つつ、と涙が流れた。


『えっ、どうしたの? なんかダメなこと言った?!』


 女の子を泣かせてしまって焦る私、そして、エンエちゃんの唇が動いた。


「嬉しい……」


 事務的で無感情な口調じゃない、エンエちゃんの静かな歓喜がこもった声。


「うちの眼を好きって言ってくれたひと、初めて」


 あ、そういうこと。ほっ、と私は胸をなで下ろす。

 確かに、記憶の中で彼女の周りの大人達は、その眼を忌み嫌う眼で見てたね。

 まさかそこがエンエちゃんのベストコミュニケーションだったとは……。

 詩的に褒めてしまった部分だったので、私らしくもない発言に気恥ずかしくなる。

 でも、それでエンエちゃんの素直な肉声が聞けたので、良しとしよう。

 かわいいは正義ってね!

 ……あれ? ということは、この勧誘は成功かな?

 よっしゃー! 私は心の中でガッツポーズをとろうとして、


「でも、うちは姫様と一緒にいけません」


 盛大にずっこけた。

 期待させて置いてそりゃないよ!


『ど、どうして?』


 私は動揺して彼女に問いただす。


「弟や妹達を置いていけないから」


 エンエちゃんが、涙を溜めたままの眼で、私をまっすぐ見つめた。

 光を宿した、真摯な眼。何度か見たことがある、覚悟を決めた人の眼だ。


 その時、私は彼女の勧誘が不可能、つまり詰んだことを悟った。



  *・*・*



『好きなところを全部言っちゃったのが仇になったね、いーちゃん』


 そうなんだよねー、とむーちゃんの言葉を肯定しつつ、むううううう! と叫びながら私は心の中で頭を抱えた。


 エンエちゃんの美点である『家族想い』。

 だけど、それは彼女自身の枷だった。

 彼女にとって、弟妹達は守らなければいけない家族。

 その家族が、『組織』の『施設』に匿われている。


 私たちは彼女の家族愛を含めて、エンエちゃんを認めてしまったのだ。

 彼女の『弟妹達を守りたい』という意思を無視できない。

 勧誘しようとすれば、彼女の家族愛を諦めさせねばならず。

 弟妹達を優先すれば、彼女の勧誘はできない。

 あちらを立てればこちらが立たず状態。

 そして私たちは「弟妹達を捨てる」なんて選択肢を彼女に選んで欲しくない。


 彼女の決意によって、ロジック的にも、心情的にも詰んだ。


『いーちゃん、そんなに彼女が欲しいの?』


 むーちゃんが疑問を投げかける。私はむう、と唸った。

 エンエちゃんという存在の物珍しさに勧誘しようとしたのは事実。

 まあ、これは研究者の本能と言っていい。


『違うと思う』


 研究者の本能といっていい。

 だけど今は、エンエちゃんを『組織』から助けたいと思っている。

 小学三年生くらいの少女にあんな覚悟をさせるなんて、私は耐えられない。

 生まれの境遇、心を疲弊させる任務、弟妹という『人質』。

 それでも、彼女の心が腐らず、愛ある心に育ったのは奇跡だ。

 子供にあんな眼をさせるなんて、碌な環境じゃないし!


『それは同感。でも、どうやって彼女を助けるの?』


 うーん、簡単なのはこのままエンエちゃんを確保して、シャドラに仕えさせることかな。

 ってダメじゃん! 最初の案そのままだし、弟妹達を救えないよ!


『その後、『施設』に攻め入って確保するのは?』


 攫った人物の親類を助けるために国軍を動かすの? さすがに現実的じゃないよ。


『それもそうか』


 ……むーちゃん、案外過激な解決方法を考えるね。


『気のせい』


 うん、気のせいってことにしておこう。

 やっぱり、『離れたところにいる人質』っていうのは、最強の抑止力だ。

 江戸時代の江戸詰めって、ほんとよく考えられた制度だよ。

 こっちはどう対策を考えても、一手二手遅くなるのに、相手は情報が伝わった時点で力の無い子供を捻れば良いだけ。

 エンエちゃんを助けるためには、弟妹達の安全を確保した上で、彼女を含めた全員を『組織』から救う必要がある。


『施設が遠い上、何処にあるか分からないのが最大の問題』


 そう、不足している施設の情報が埋まらない限り、助け出せない。

 どうすればその情報を埋めることができるのか……。


 その時、私はひらめいた。


『それはだめ』


 すかさず、むーちゃんからの否定。

 現状採れる選択肢の中で最善じゃない?


『最善な訳ない。向こう見ずって言葉が似合うと思う』


 むむ、そうだけどさ。ここまでしないと、エンエちゃんとの縁が切れちゃうよ。

 私達が頑張るだけで、この子の笑顔を守れるんだよ?


『……はぁ。いーちゃんも自己犠牲が過ぎない?』


 そんなことないよ? 無理のない範囲でがんばるし。


『今、信用度が一番低い言葉が聞こえたんだけど』


 無理はしないよ! 無理するのは研究の時だけだし!


『すごく納得してしまった自分が悲しい……もういいよ、好きにして。私もできる限り協力する』


 やった! 大好きだよ! むーちゃん!



  *・*・*



 脳内会議を終え、私は彼女に向き直る。

 エンエちゃんはというと、何かを思い出したらしく、コートの中をまさぐっていた。

 そして、コートから出てきたのは、丸い香炉を想わせる、穴の開いた掌サイズの壺。

 磁器のようになめらかな白色の壺だ。

 壺の下部にある、香炉の風通しのような穴にはガラスのような透明な膜が張られていて、そこから黄緑色の光が漏れていた。

 壺の上部には、一番上部にあるネジ蓋を中心とした同心円状に、凸部と凹部が配置されていた。


『なに、これ』

『えっ、【声届の霊器】ですけど』

『なるほど、これで通信してたのね! 霊器って何? どんな技術使ってるの? 光ってるのは何で? 蓋はねじり式なのは理由があるの?』

『ひ、姫様?!』


 私はずいずいと彼女に食いつく。私の変わりように涙目になるエンエちゃん。

 混乱する彼女を尻目に、先ほどの決意がどんどんと好奇心によって強化されていく。

 どういう原理で通信できるんだろう。香炉の形に秘密があるのかな。霊器ってことだし、これも霊素を応用した技術?

 ああ、もう辛抱たまらん!

 行こう、新しい研究題材フロンティアへ!


『エンエちゃん、このまま私を攫って施設に連れて行って!

 私がエンエちゃんの大切な弟妹を助けるために!』


 私は勢いよく右手を挙げて宣言する。


『ひ、姫様、なにを言って……』


 再び眼を回す彼女の左頬にそのまま右手をあて、決意と共に私は誓う。


『シャドラの名に誓うよ。私——リンカティア・エ・ル・シャドラはあなたの大切な人たち丸ごと、エンエちゃんを助けるって』


 彼女の喉が、ゴクリと鳴った。王名を使った誓いに緊張しているのだろうか。

 彼女の三眼が数度瞬きする。私はその眼を見つめつつ、彼女の言葉を待った。


『姫様——』


 そして、彼女が口を開いた直後、重機が激突したような爆音が倉庫に響いた。

 驚く私達は音の発生源、崩れた焼成レンガの壁を注視する。


「よーやく、姫様みっけー」


 そんな間が延びた声と共に、砂埃の向こうから槍を持った麗人が姿を現した。


 第一印象は、赤い槍。とにかく、縦に長い一本槍という美女だ。

 人懐っこい印象を与える垂れ目気味の黒眼に泣き黒子。

 赤い長髪はポニーテールにまとめていて、身体が動く度に揺らいでいる。

 その頭からは、一対の鋭い角が赤い軌跡を描きつつ、後ろに突き出ていた。

 角ってことは、竜の系譜を持つ霊人?

 そんな彼女の身体(しかもモデル体型)を包む赤紫色の服装は、前世で言う功夫服が近い。

 違いといえば、上着の裾が太もも近くまであり、腰あたりからスリットが入っていたところ。

 そのままズボンを脱げば、チャイナ服で通用するんじゃないだろうか。

 胸? ああ、大きいですよ。エンエちゃんと良い勝負です。もげればいいのに。


 そんな感想を踏まえ、私は心の中で叫んだ。


『だれ————!?』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る