世界を変える決意・前編


 俺はヴィーヴ・ガーガリル。今の肩書きは「木国宮廷博士」となっている。

 愛称はヴィーだが、今はもう呼ぶ奴はいない。歳は十二輪で自由期は終わったばかりだ。

 成人した時にセツカティア様に誘われたのがきっかけで、今はこんな立派な建物にいる。

 木国の王城内にある居館、別名【父知らずの館】。

 精霊破局を免れた、英雄時代から存在する館だ。

 歴史研究者としては隅々まで調べたいところだが、それよりも先に目の前の問題を解決する必要がある。


『……すまんが、もう一回言ってくれ』

『私の師匠になってください!』


 言い直したが、やはり目の前にいる姫様の言っている意味が分からない。

 いや、違う。理解しているが理解を拒んでいる。

 そりゃそうだろ。目の前は零輪児。しかも、雇い国のお姫様で、術のエキスパートである樹の民、その上位種である古き樹の民の徴を持つ存在。


 つまり、純人種から最も離れた存在からの弟子入りの申し出だ。


 出会ってまだ一刻も経っていないぞ? どうしてそうなった!


『私、先生の研究に惚れ込みました! 雑用でも何でもいいので弟子にしてください!』

『零輪児に雑用を任せられるわけないだろうが!』

『それもそうでした! でもそういう気概です!』


 つい突っ込んでしまったが、なんだこの状況は!

 さすがに【枝の外】でもこんなに混乱したことは無かったぞ!


『……ともかく、お二人とも、落ち着いてはどうですか?』


 そんな混沌とした状況の折衷案を出したのは、とても良く出来る生徒である、シェルだった。


『そうだな。ちょっと飲み物でも飲もう』


 俺はテーブルにあった水差しから白いマグに水を注ぎ、マグの側面にあった冷却化の刻紋に触れる。水は瞬時に適度な冷たさになる。そのままグイ、と喉に流し込んだ。


『ふおおおー、やっぱり便利ですね、刻紋って!』


 そして姫様は興奮する。こいつ、今ならどんな刻紋を見せても興奮するんじゃ無いか?

 ……まあ、悪い気はしないが。


『それで、姫様は俺の弟子になりたい、と?』

『何度もそう言ってるじゃないですか』

『しかしだな、術が使える霊人種が刻紋を学んだところで、全く意味が無いぞ?』

『え? なぜですか?』


 姫様は赤紫の瞳を上に寄せて、頭を横に動かす。どうやら理解していないらしい。


『なるほど、今は刻紋のメリットしか言ってないからな』


 俺はそれを情報不足と捉え、刻紋のデメリットを説明する。


『まず、刻紋は《術化した現象しか刻紋にできない》という制約がある。

 また、刻紋は《霊素の供給量が霊人種と比べて圧倒的に少ない》。

 そのため、《すべての術を刻紋化できない》というデメリットもある。

 他には《常時発動はできない》ってのもあるな』

『結構制約が多いんですね』

『ああ、その点、術については《誰でも使える》以外は刻紋の上位互換だ』

『なるほど』

『刻紋は生活に使うには便利だが、術が必要な場面になるとお役御免となる。姫様が研究しても意味が無いだろう?』

『え? 何でですか?』


 姫様は再び顔を横に動かす。


『ん? 術が使えるなら、必要無いだろうが』


 俺はそれに同じ答えを返す。だが、彼女は納得しなかった。


『すべての術はすべての人には使えないんですよね? それに私の術を研究しても、私のためにしかならないじゃないですか。でも、刻紋は研究すれば誰でも使える。つまり、みんなのための研究になる。それだけでも研究する価値は雲泥の差になりますよね』


 脳髄から脊髄に電撃が走った。同時に、寒気に震えた。

 なんだ、こいつは。

 零輪児だというのに、人種を、利己主義をも超えた、世界全体の損得のみで研究の価値を判断したというのか。


 もちろん、術についても研究がしたいですけどね。と姫様は締めくくる。


 俺は、この申し出を断るべきだろうか。

 彼女がこのまま学べば、刻紋学は将来的に大きく飛躍するだろう。

 あんな多利的な考え方を持つ彼女だ。

 能力も財力も俺の比じゃない彼女が成長をして真価を出せば、世界は変革する。

 これは断言できるだろう。


 だが、俺は一瞬、『それ』を恐れてしまった。

 刻紋は、常に《誰にでも使える》というリスクを伴っている。

 今まで作成された刻紋の中でも、禁紋と呼ばれる刻紋がいくつかある。

 それはつまり『誰でも使えてはいけない刻紋』だ。

 彼女がその領域までも飛躍させる可能性が大いにあり得る。

 果たして、俺はそこまで責任を負えるのか?


 世界の進歩を促進するのか。

 それとも、自分への責任を恐れて、そのチャンスをふいにするのか。


 待て待て、俺は何を考えている。

 それこそ、利己主義的じゃないか。

 むしろ、今、彼女を守り抑える立場にならないでどうする?

 想像力を働かせろ。

 ここで断った場合、姫様はどんな行動を取るのか。

 彼女は零輪児だという常識は捨てろ。

 俺が、正しく彼女を導けなかった結果を想像しろ。

 俺が、彼女を拒否した結果を想像しろ。

 シェルは彼女の行動をどう言っていた。


 自ら文字を知るために書斎に行って本を取ろうとした?

 なんだこの猪突猛進娘は!


 そして一ヶ月もしないうちに文字が読めるようになった?

 なんだこの高性能娘は!


 しかも俺の本を読んで質問する?

 なんだこの知識欲の権化は!


 今までの話と彼女の言動から導き出せる結論は?


 ……俺から学ばなくとも、刻紋を独自に研究できるだろこいつ。


 じっと俺は姫様を観察する。


 柔らかい白金の髪、赤紫の瞳、幼いながらも形の整った赤ん坊顔。

 無垢といえば無垢であり、しかし、意思の通った顔つき。


 あきらかにちぐはぐだ。身体は零輪児なのに、大人の魂が入ったかのような、そんな違和感。


 そんなやつが心の求めるままに、正しい知識を知らずに刻紋を独自に研究すれば、どうなるのか。

 それこそいたずらに禁紋を増やすことになるんじゃ無いか?


 俺は理解した。最初から、断ることが出来なかったのだと。

 ならば彼女の『師匠』としての行動で世界の運命が決まると思え、ヴィーヴ・ガーガリル!


 決意は固まった。

 俺はこの規格外の姫様を、弟子にする。


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