世界を変える決意・後編
『よし、姫様、いや、リンカ。お前は俺の弟子だ』
『ほんとですか!』
『ただし、俺の弟子になるなら、今から言う三つのことは必ず守れ』
俺は指を三つ立てる。リンカは静かに頷く。
『基礎を学び終わるまで、俺が教えた術以外使うな。
これは刻紋の基礎を学ばなければ、模倣する術によっては危険になるからだ』
『わかりました。私も危険は減らしたいですし』
なんとか第一関門は突破したようだ。
俺は心の中で溜め息を深く、深く吐いた。
これで初期の暴走は止めることが出来るだろう。
どんな刻紋が危険かを教えることもできる。
『新しい刻紋を作ったら、必ず俺に見せろ。俺もお前に見せる。
これは、刻紋の失伝を防ぐためだ』
『失伝ってなんですか?』
『それについては今度教える』
この約束でリンカの刻紋が失伝する可能性が大幅に減った。
これは世界レベルの損失を防ぐためだ。
『そして最後に。
必ず師匠である俺を超えろ。
そんなお前を俺は超える。
弟子は師匠を超え、師匠は超えた弟子を超えることで切磋琢磨する。
そんな師弟関係が俺の理想だからだ』
俺の師匠の受け売りだが、これは師匠となる俺の決意だ。
死んだ前の師匠と同じように、常に高みを目指し合うための、
——そして、世界を変えるであろうリンカを守るための、決意だ。
『素晴らしいですね!』
『そうだろう?
だから、お前は俺を超えることに躊躇するな。俺はそんなお前を超えていく』
『わかりました! 遠慮無く超えていきます!』
『……お前が言うと、超えられないくらいにぶっ飛んでいきそうだな』
俺は研究に燃えるリンカを見て、冷や汗をかいた。
その後、俺はシェルの授業の後に一刻ほどリンカとシェルに対して刻紋学を教えることになった。
シェルも参加することになったのは、俺が零輪児に刻紋学を教えるというシュールな絵をごまかすためだ。
さすがに零輪児と向かい合って、無言で石紙に図をずっと書くのは怪しいからな。
そんな授業中のこと。その日は刻紋への基本的な霊素供給の紋様を教えていた。
「【外霊素型】は最も簡単な霊素供給だ。大気中の霊素を刻紋に取り込み発動する。
メリットとしては最もコストが安く、使う際のデメリットが少ない」
石紙に簡略化した紋様を書いていく。外から外縁の紋に向かって矢を撃つような基本紋だ。
「デメリットとしては、空気中に霊素が少ない場合は使えないことと、霊素供給圧が霊素濃度に影響を受けて安定しないため、霊素が多く必要な術は発動できないところか」
分かりやすいように、刻紋の横に説明と図説を書く。さすがに零輪児に板書をとれとは言えないからな。
「【内霊石型】は、刻紋に霊石を組み込むことで霊素供給を行える」
一般的な八面体の霊石を想定して石紙に紋を書く。菱形の図形の頂点から波線を出し、紋全体に行き渡らせるのが内霊石型の基本紋だ。
「この菱形は、実際には霊石の形に合わせて立体的に彫り込む。そうしないと霊石が固定できない」
菱形を丸で囲んで注釈を加える。そのまま、内霊石型のメリットとデメリットを書き込む。
「内霊石型のメリットは、周りに霊素がない状態でも術が発動できる、紋が閉じているため外霊素型よりも霊素供給圧が高くなる、この二点だ」
すらすら書き込んだあと、俺は懐から親指の大きさほどの、八面体の霊石を取り出した。透明な石だが、中心に行くほど黄色が濃くなる。これは光属性に偏向している証拠だ。
「デメリットは運用コストがひたすら高い。この霊石一つで一般人の一月の給料に相当する。二十四時間来光の術を発動できればいい方だ」
『高っ! そして費用対効率悪っ!』
「もちろん、上位の術になればこんな霊石は一瞬で消えてしまう。このことから内霊石型は『金が溶ける刻紋』とも揶揄されるな。この霊石は練習用にやろう。使わないときは外すことを忘れるな」
霊石をそのままシェルに渡す。あとでリンカにも渡す予定だ。
ちなみに霊石は木国の産業品の一つだから覚えておくんだぞ、と俺は補足した。
ひとしきり説明した後、リンカからの質問時間だ。
『霊素供給は外霊素型と内霊石型の二種類しかないんですか?』
「霊素供給は外霊素型と内霊石型の二種類しかないのでしょうか?」
リンカの言葉をシェルが拾って音声として伝える。これも俺がリンカの質問にいきなり答えないようにするために必要な対策だ。
「今のところはその二つしか無い。今は【内外型】という【複合型】が研究されているが、いろいろと問題があってな」
「問題?」
「外霊素型と内霊石型の違いは、言うなれば開いた部屋と閉じた部屋だ。部屋を刻紋だとすると、前者は窓を開き扉を開くことで霊素を外から供給する。内霊石型は閉じた部屋で霊石という燃料を燃やして霊素を部屋に満たす。それが同じ部屋にいるとどうなる?」
リンカはしばらく考え、答えを出す。
『せっかく霊石から得た大量の霊素が外に漏れ出す?』
「霊素が外に漏れ出す、ですか?」
ふむ、さすがだな。俺はその答えに満足する。
「そうだ。この問題はここ五十年ほど解決していない問題でな。これが解決すれば刻紋学どころか、世界を変える発明になるだろうと言われている」
『世界を変える、ですか』
「世界を変えるのですか?」
「ああ、内外型が出来た場合、まず考えられるのは『霊石の消費』が格段に抑えられることだ。
また、外霊素型で供給された霊素に霊石分を上乗せできるため、高出力の霊素供給ができるようになる。
そうなると、今まで実現できなかった術も刻紋にすることが出来るだろう。
そうなれば、刻紋は生活で使われるだけでは無くなる。もっと広い範囲で応用されるだろう」
それは術のお株を奪ってしまうほどのものになるだろう。
実現出来れば、だが。
『でも、研究は進んでないんですよね』
「今でも、外霊素型と内霊石型で生活に必要な刻紋は動いているからな。それ以上は必要ないから後回しにされがちな研究になっているな」
『なるほど……』
軽い話題だったはずだが、リンカの真剣な表情が少し気になった。
まあ、今は基礎を教えている最中だ。変なことにもなるまい。
俺はそう高をくくっていた。
そして、リンカを弟子にしてから半節ほど経った時のことである。
その日、リンカは刻紋練習用の厚手の石紙を空中浮遊させていた。
『そういえば、先生。この刻紋を見て欲しいんですけど』
と言って見せてきた石紙には、今まで見たことがない紋様が刻まれていた。
正六角形の外縁紋が連なるように三つ書かれている刻紋。
右はかろうじて理解できる、内霊石型の刻紋の改造だ。
真ん中は俺が今、唯一教えている来光術図が書かれている刻紋だった。
左は、全く俺が知らない刻紋だった。
矢印が何故か中心に向かって渦巻いていて、渦巻いた中心の円から、来光術図がある真ん中の刻紋まで線が延びていた。
『……なんだ、これは』
『この前言っていた、外霊素型と内霊石型の複合型を搭載した刻紋です!』
「……はあ?!」
今なんて言いやがったこいつ!?
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