研究魔はお腹のなか



 意識が覚醒する。


 死んだのにどうして覚醒したんだろう? そんな疑問が一番初めに湧いた。

 ええと、確かアストラルネットワークを歩いていて……そこが最新の記憶だった。

 

 あ、そうだ。なんかネットワークというよりフィールドっぽかったからアストラルフィールドって名前変更しよう。

 アストラルフィールドを歩くなんて、ほんと得がたい体験をしたなぁ。

 この実地体験を元に理論から実験へシフトした研究をしてみたいな。

 まあ、そのためにまずは死なずにアストラルフィールドに行く方法を編み出さないといけないけど。

 実験する度に死んでたんじゃ人生いくらあっても足りないよね。


 じゃなくて! 思い出そうよあのときの記憶!


 えっと、あの落下感から察するに、アストラルフィールドにあった穴に落ちた、のかな?

 アストラルフィールドの穴だから、アストラルホール? それとも落ちたからアストラルフォール?


 アストラルがゲシュタルト崩壊しそうだなぁ。


 しかし、アストラルホールが実在していたなんて……これだけでご飯一ヶ月は楽しめる研究テーマだよ!


 確かに、魂の情報が無制限に増えると仮定した場合、同次元世界の情報許容量を超えないために、アストラルフィールドのどこかしらに情報の捨て口を作っているのではないか、と仮説を立ててはいたけど、まさかそれに落ちるとは思わなかった。

 というか、いるかいないかわからない神さま、『この先、落とし穴があります』ぐらいの立て看板は用意しといてよ! まったく!

 んー、でも、アストラルフィールドから落ちた私は、一体どこにいるんだろう。


 ともかく、情報が欲しい。


 意識を思考じゃなくて、感覚に向ける。

 まず、聴覚があることが分かった。

 ずっとゴウゴウという音が聞こえて、その奥からポンプが動くような、規則正しい鼓動が聞こえた。

 ……というか、聴覚? アストラルフィールドにしては物質的な感覚だなぁ。

 触覚もあった。常によく分からない液体が私を包んでいるようだ。

 視覚は残念ながら分からない。目を開けても暗いし、液体が覆うからあまり開けておきたくないし。


『——、——?』

『——、——。————?』


 すると、私のいる液体が満たされた世界の外側から、声が聞こえた。二人分の声。

 しかも、私が知らない言語だ。

 そのあと、ちょっとした圧迫感。どうやら、世界の外側から私の世界を押しているらしい。


 うん、分かった。

 ここは、女性——母親のお腹の中だ。


 ゴウゴウ聞こえるのは、血流の音。規則正しい鼓動は母親の心臓の音。

 液体は羊水。

 外から聞こえたのは、母親と、おそらく、父親。


 そして、恐らく、私は、その二人の子供。


 もしかして:転生?


 しかも前世の記憶を持った状態での転生だよ?!


 うわー、転生物はいっぱい読んだけど、まさか私がそうなるとは思わなかった!

 大興奮だよ!

 これだけでご飯三ヶ月分いける研究テーマだね!


 あ、そういえば。

 転生先が赤ん坊だった場合、未成熟な脳に前世の記憶が全部移植できるかどうか。

 つまり、記憶容量が足りるかどうか疑問だったんだよね。


 あっ、すごく不安になってきた。


 ……状況を整理しよう。


 おそらく、今は人間の身体ができて、感覚という外部からのインプットを起爆剤として脳が覚醒した状態だと思う。

 あとは、アストラルホールから落ちた魂が転生するかもしれないという事実。

 本来なら、情報を失った魂が落ちるはずだったのに、記憶を持ったままアストラルフィールドを歩いて、アストラルホールに落ちた私。

 かなり特殊な状況ではなかろうか。これはいるかいないか分からない神さまもびっくりするのでは。

 そして、転生者がすべての記憶を保持したまま誕生するという保証は、どこにもない。


 はあ。いるかいないか分からない神さま、ちょっと優しくしてくれたっていいじゃない。


 ともかく、記憶を保持する方法を考えなくっちゃ。

 アストラルフィールドでの情報保存は魂から発する波だ。

 今は私の意識が翻訳しているからいいけど、直に拡散しきって消えてしまうだろう。

 だけど、脳内の記憶は化学反応と、電気信号の量子的振る舞いの繰り返しで保存される。この世界でも、たぶん。

 保存方法が違うから、このままだと確実に記憶は保存されないまま、私は記憶を失って何も知らずおぎゃあおぎゃあする。

 つまり、私が今しないといけないことは、アストラルフィールドにある前世の記憶をこの未熟な脳内に焼き付け(プリンティング)をする作業。


 ……うわめんどい。

 

 私、暗記苦手なんだよね。

 論理的に導き出された内容を覚えるのは得意なんだけど、人の名前とか物質の名前とかを覚えるのがすごく苦手で、結局そういうのは全部秘書子に任せてたし。

 そうか、この世界には秘書子も居ないのか。うむむむ、それだけで私の研究ライフの50%を失ったに等しい損失だよ。つらい。


 話を脱線させてる場合じゃなかった。


 今までの研究結果を全部覚えておくのは、恐らく無理だ。

 この未成熟な脳が耐えられないし、私の労力に見合わない。

 そもそも、アストラルフィールドある記憶は覚えが浅いほど小さいから、すぐに消えていくだろうし、すべてを思い出すのはどだい無理だ。

 しばらく考えて、私は決めた。


——よし、研究結果は全部捨てよう!


 基本的な研究方法と、生きていれば有利になりそうな記憶以外全部捨てて、心機一転やり直しだ!

 そもそも、私は研究が好きなだけであって、研究結果はその副産物なのだ。


 むしろ忘れた方がもっといっぱい研究できそうじゃない?

 頭空っぽの方が夢詰め込めるし!


 決まったのなら、あとは実行するだけ。

 アストラルフィールドにあった記憶を辿り、繋ぎ、繰り返し、私は私にインストール、プリンティングする。


 研究魔としての、私の前世の記憶を。

 研究魔としての、私の技術を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る