第7話(旧第7話前編) S.C.S


 訓練場にてスグリ直伝の共鳴術講義その2を始めようかというその時。


「スグリさん!」


 芯に響くような快活な男の声。


「ああ、レイドさん。それに皆さんも、先ほどは助けていただきありがとうございました」


 スグリはペコリと頭を下げ、綾斗も遅れて会釈する。

 レイドという男は燃えるような赤髪のウルフポニーテールの青年。見るからに血気盛んな若者で年は同じくらい。鋭い犬歯が印象的で筋肉質のその体躯はいかにも狂戦士といった風体だ。


 ふと綾斗の心に希望の光が灯る。


 ――そうだ、レジスタンスに協力してもらえばいい。


 彼らの力は折紙付きだ。

 まずは友好関係を築くために丁寧なあいさつを、と一歩進み出る。


「助けていただいて――」

「俺が助けたのはスグリさんだ。お前じゃない」


 敵意のこもった鋭い眼光で睨まれた。


「レイドさん、それは神様に対してあまりにも――」


 赤狼の騎士はスグリの批判を右手でせき止めた。


「共鳴術も使えないやつが神様なわけありませんよ。事実、エソラ様はいとも簡単に共鳴術を使ってみせました。スグリさんはこの男に騙されているんです!」


 ――エソラと一緒にするな。


 と言いたいところだが、それでは男の主張を擁護する事になってしまう。


「それでも綾斗は神様です。亜人の耳が無い事がその証拠です!」


 敏腕びんわん弁護士のような隙のない答弁。

 スグリに尊敬の眼差しを送るが、赤髪の騎士は引き下がらない。


「王族にだって獣耳はありません。どうせどこかの没落貴族ですよ。それか突然変異という可能性もあります。兎に角、俺はこいつを認められません!」


 スグリは後ずさって歯を食いしばる。勢いに押されてしまっているようだ。


「あ……綾斗は魔女を倒しに来たんです。強い……はずです。きっとレイドさんよりも」


 苦し紛れに出た虚言が彼にさらに火をつけてしまった。背景に炎が映りそうなほどの形相で綾戸を睨んでいる。


 ――おいおいおい、この流れはまずいだろ。


「なら、俺と決闘しろ!」


 ――やっぱりそうきたか。


「いいでしょう。ただし共鳴術の使用は無しというルールです!」


 ――乗るな!


「わかりました。では、直ぐにでも始めましょう」


 ――俺の意志……。


 ◇◇◇


 綾斗の突っ込みも虚しく、あっという間に決闘の舞台が整ってしまった。

 訓練場は貸し切り状態となり、仲間の誰かが情報を流したのか、ギャラリーも着々と増えつつあった。


「さあ、舞台は整った! これだけ証人が居ればもう言い逃れは出来ない。せいぜい醜態をさらすんだな!」


 ――うるさい。声がでかい。


 レイドの口上を芳しく思わない人間がもう一人いた。


「レイド。吼えるのは勝利してからにしろ」


 低い声で宥めるのは、審判を務める壮年の戦士。


「失礼いたしました。ガリレジオ総司令!」


 ビシッと胸に拳を当てる見事な敬礼。


 ガリレジオはこの要塞の最高責任者。頭の刈り込みは歴戦の傷の一つで、肌にも深い皺に混じって幾つもの傷が見え隠れする。鋭い眼光と全身から放たれるどっしりとした風格がいかにも歴戦の騎士といった印象だ。


「綾斗殿。あなたが神だと言うのならその力を証明して頂きたい」


 綾斗は首肯したが、実は内心迷っていた。ある理由からS.C.Sを人間に対して使用するのを控えていたからだ。

 


 七年前、ある女性を助けるためにS.C.Sを使用した。

 当時、七歳の綾斗は未熟であったのは言うまでもないが、かと言って刃物を持った男を相手に女性は負傷しており、見てみぬふりは出来なかった。


 結果的に犯人を制圧する事ができたのだが、男は運悪く死亡。


 その一部始終を見ていた目撃者の証言により、『犯人は自ら転倒し、持っていたナイフで自分の首を切った』という事で綾斗が裁かれる事は無かったのだが、綾斗は自分が殺してしまったと責任を感じた。


 さらに悪い事に助けたはずの女性も出血が祟って、病院へ搬送前に息を引き取った。助けに入るのが遅かったのだ。


 それがS.C.Sを封印した理由。結局誰も救えなかった自分に対する罰だ。



「それでは決闘のルールを説明する!」


 ガリレジオの発声にざわついていた会場全体が静まり返る。


「決闘で使用できる武器は各人に与えた木剣のみ! 相手に敗北を宣言させるか、武器を床に落とさせた者が勝者となる! 証人はこの私ガリレジオ、そして会場にいる全員だ!」


 宣誓に合わせ会場が一斉に沸き起こる。


 綾斗にとってこのタイプの緊張感は初めてだった。

 ワン・オン・ワンという条件は戦闘訓練用VRと同じだが、そこに観客は存在しない。

 歓声が空気を揺らし、頬を伝う汗が震えた。


「それでは構え!」


 合図に合わせレイドは背中の剣を引き抜き上段に構える。


「おい、何のつもりだ?」


 レイドの疑問も最も。綾斗は合図があったにも関わらず剣を抜かなかったのだ。


 しかし、綾斗からすれば剣術など全く覚えが無いのでリーチの不利があったとしても素手の方が戦いやすい。それに、剣を落とせば負けというルールがある以上、鞘に納めたままの方が利口というものだ。


 ただ、その背景をそのまま伝えるのもみっともないので代わりにこう告げる。


「俺はこれでいい」


 開いた両掌を相手に見せつける。もちろん、武器など隠し持っていないというアピールだが、レイドは挑発と受け取ったようで、眼光をさらに鋭く燃やした。


 会場全体が開始の合図に聞き耳を立て奇妙なほどに静まり返る。


「それでは健闘を期待する。仕合――」


 高々と振り上げられた手刀が、


「はじめえぇぇええ!」


 空を切った。


 開始と同時に動いたのは騎士レイド。鍛え上げられた膂力で地面を駆る。

 誰の眼にも明らかな圧倒的な体格差。瞬く間に距離を詰める。

 それと対称的に微動だにしない綾斗。


「せあっ!」


 腰のひねりを加えた凶腕が右から振り出された瞬間、誰もが決着を見た。

 迫りくる刃を視界に納めながらも綾斗は絶えず観察を続けていた。


 S.C.Sの最も重要な基礎。それは観察すること。

 そのため基礎訓練は動体視力と洞察力のトレーニングがメイン。副産物的に睡眠状態ではR.E.M――急速眼球運動(Rapid Eye Movement)が発生するため、外眼筋が自動的に鍛えられる。さらにVR内で目の運び方を学習し、プログラムは次の段階へ移行する。


 それは呼吸だ。

 人は通常、力を込める前に息を吸いこみ攻撃の瞬間に吐き出す。あるいは腹圧を高め、技に重さを持たせる。つまり、呼吸を見るという事は相手の攻撃を読むという事。

 そして今目の前の敵は、


 ――素直すぎる。


 裂帛れっぱくの気合を吐き出し、放たれた一撃は空を切った。

 剣先は綾斗の胸板の僅か五センチ手前を通過。

 客観的に見れば、「惜しい!」、と思うところだろう。

 だが、綾斗にとってはマージンを取っての五センチ。初めて戦う相手を警戒した三センチの安全距離を含む五センチだ。

 振り切ったレイドは手応えが無い事に驚愕するも、直ぐに手首を翻し切り返した。

 しかしそれは綾斗にとって既に予期された動き。重心を追えれば大して難しい事ではない。


 これもVRで培った能力――。


 重心視覚化プログラムにより、体幹と四肢の細かい重心の遷移せんいがベクトルで可視化される。補助輪的な物だがその効果は絶大で、通常の武術では達人クラスにならなければ成し得ない先読みが可能となる。


 綾斗は二撃目を躱した後も迫りくる追撃を次々と避けた。

 一切の呼吸の乱れもなく、するりするりとまるで槍の雨の中を散歩するような異常な光景。


 だが、これはS.C.Sで呼吸を重視するが故に起こる必然。

 呼吸を読めれば攻撃が読める。それは自分自身に対しても言えること。

 したがってS.C.Sでは常に平静の呼吸を意識する。常に穏やかに、心を乱さず冷静に。


 その結果が今、観客が刮目している異常な光景だ。

 そして遂に息を荒げかけたレイドはバックステップを取ってから、吼える。


「俺をバカにしているのか! 剣を抜いて戦え!」


 もちろん答えはNoだ。


 綾斗はまだ頭の片隅で悩み続けていた。S.C.Sで攻撃に転じていいのかと。

 この世界は仮想現実なのだから、訓練用VRと変わらないのではないかという考えも閃いた。

 しかし、無機質なAIとは違い、今目の前で怒りに燃える敵は明かに感情を持った人間に映る。だからといって負ける訳にもいかない。

 勝利で得られるのは信頼。そして敗北で失うのはエソラを救う微かな希望。


 葛藤の末、綾斗の出した答え――。


 それを受けてレイドは満足そうに口の端を吊り上げる。


「やっと戦う気になったか! 来い!」


 綾斗がとったのはオペレーションスタンス――操流の構え。

 掌を皿の形にして体の正面に置き腰をやや落としたフォームで不攻の構えに比べれば戦意を感じられるだろう。

 綾斗は少しだけ深く息を吸い、ゆっくりと吐きだしながら地面を蹴った。攻勢に転じても呼吸を乱さないのは鉄則中の鉄則。


 そしてここから先はVRトレーニングで言えば対AI戦闘での経験が反映される。

 AIレベルはイージーからマキシマムの五段階で、相手が使用する武術も変更する事が可能。

 綾斗が見る限りレイドのレベルは、


 ――良くて……ノーマルだ。


 すっと間合いに入り込んだ綾斗はゆっくりと右手を近づける。

 それはまるで敵意を感じないほどののろまな動き。


 気味が悪い。


 それがレイドの抱いた印象。その悪寒を振り払うように斬り下がるが、バックステップとほぼ同時に綾斗が懐に入って来る。


 まるで剣戟けんげきをすり抜ける様に、自然に、寄り添うように――。


 レイドは動揺した。綾斗がなぜそこにいるのか理解できない。しかし、迎撃しなければ。


 既に剣の間合いよりも内側に入り込んだ綾斗に対して、レイドはふりぬいた右手を引き戻すようにして柄の先を綾斗の側頭部に定めた。


 はっきり言って無理な態勢から繰り出された苦し紛れの攻撃。


 綾斗の左手が掬い上げる様にして、レイドの手首の軌道を上方へと流す。

 その結果、レイドの脇は開き左へと大きく重心を揺らした。


 だがそれでも綾斗は仕掛けない。次のモーションを引き出すために――。


 内心冷や汗を掻いたレイドは悪戯に力を込め、跳ね上げられた右腕を左上から斜め下へ振り下ろした。


 だが、そこに綾斗の姿はなかった。


 二人称視点モード――。


 二人称視点とは相手から見た視点。通常、ゲーム等で使用されるのはFPS一人称視点TPS三人称視点

 二人称視点などやりづらくて採用される事はまず無い。


 実際、このモード中は自分の体を相手の視覚と自らの位置覚と平衡感覚のみで把握はあくしなければならず、基礎訓練モード中で最高の習得難度を誇る。

 その代わり、これをマスターした際の恩恵おんけいすさまじく、相手の視野、死角を正確に測ることができ、実力差のある相手ならその視界から消える事さえできる。


 今回の場合、相手の右手を跳ね上げて視界を奪い、続く振り下ろし攻撃のタイミングで右脇を抜けた。


 つまり今、綾斗はレイドの背後に回り込んでいる。


 ――獲った。


 相手の動きを常に予測し続け、時には任意の動作に誘導ゆうどうする。

 それはあたかも未来を盗み獲る様から『先を獲る』と表現する。


 後方へと振り下ろされたレイドの右腕。その関節を折り畳むようにして背中に張り付ける。

 同時に前のめりになった体幹に軽く体重を預け、前方へ。

 相手は反射的に左手で顔を護り地面に伏す。


 綾斗が葛藤かっとうの末選択したのは、比較的安全な組み技は使用可とする妥協だきょう案。

 転倒時の頭部外傷のリスクはあったが、反射神経の良いレイドであれば防御は間に合うだろうと予想しての作戦だった。


 背後から正確に重心を捉え続ける綾斗から逃れる術は無く、関節を締め上げ戦意を削いでいく。


「降参しろ」


 静かな威圧を含ませた声を掛ける。

 しかし、レイドは剣を手放す様子はない。口から出る声は言葉にならないような苦痛を堪える唸りだけ。


「腕を失いたいのか?」


 もちろんただの脅しだった。

 これ以上力を加えれば肩が外れるか、無理な力で靱帯損傷を来たす恐れがある。


 しかし、レイドが戦意を失う様子はない。涙を浮かべる程の激痛に顔を歪め、それでも敗北を認めない。


 ――騎士の誇りがそうさせているのだろうか。


 いい加減鬱陶しい、と綾斗がさらに力を入れようとした時だった。


「もうやめて下さい!」


 叫んだのはスグリ。いつの間にか静まり返っていた会場に良く響く声。


「もうそれ以上は見たくありません。綾斗……お願いだから……」


 土俵に登り懇願する彼女の瞳に煌く雫。


 その光景に綾斗の方が戦意を削がれ、レイドを開放した。

 彼は反撃する様子は無く、剣を握ったまま気絶しているようにも見えた。


 スグリをなだめようと歩み寄った。が、何と声を掛けたらいいか分からない。


 ――俺はまたやり過ぎてしまったのか? ……わからない。だが、スグリを悲しませてしまったのは俺なのだろう。


「スグリ……、すまない俺は――」


 しかし謝罪は背後からの咆哮により遮られた。


「ふざけるなぁぁっ! 共鳴術をお使えないお前に、俺が負けるなどありえないぃいい!」


 会場全体がどよめいた。

 レイドの様子は明らかにおかしい。顔面は紅潮し、血走った目が綾斗を睨みつける。


「いかん! 怒りに飲まれている! 何をしでかすか分からん、離れろ!」


 ガリレジオの喚起は綾斗の耳に届いた。


 しかし、何が起こるか分からない状況でここを離れる訳にはいかない。

 ――後ろにはスグリが居るのだから。

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