第39話 フォールアウト

 二体の魔物を沈黙させた綾斗は、油断なく残りの十体の位置を把握した。


 ――変だな。漁夫の利をとりに来るかと思ったが……。


 モンスター達は見えない境界線があるように、ある範囲を超えて立ち入ろうとしなかった。あるものは唸り、あるものは不動で、まるで何かに怯えるように――。



「グルアァァァアアアアッ!」

 


 奈落の底から聞こえるような臓腑を震わせる怒号が空気を震わせた。

 大猪の大牙で脇腹を貫かれ、反り返っていたはずのサイクロプスが痛みを喉の奥から吐き出しゆっくりと上体を起こし始めた。


 ――あの傷でまだ戦えるのか⁉


 流石の綾斗も冷徹さの端に驚愕を滲ませた。

 サイクロプスに激突した大猪は意識を失い動く気配はない。突進を得手とするサングリエが脳震盪のうしんとうを起こす程の衝撃を受けて、さらに致命的な刺傷まで被ってなぜ……。


 黒い巨人は鼓膜を裂くような雄叫びと共にズブリと牙を引き抜いた。


 ――おかしい……。


 綾斗が疑問に思ったのは傷口の出血。刺傷で脈管を損傷した場合、その凶器を引き抜くと出血が増悪するはずなのだが、サイクロプスのそれは完全に止血されたように一滴の血も――。


 ミシミシミシミシ……。


 患部を注視していた綾斗はその音の正体を即座に把握した。

 貫かれぽっかりと開いていたはずの大穴を、赤褐色の肉芽が目に見てわかるほどの速さで充填する音だった。

 

 綾斗は知らなかったが、サイクロプスの最も恐るべき点は尋常ではない回復速度。人が何ヵ月もかけて修復する程の組織欠損を一分足らずで修復してしまうほどの。

 故にサイクロプスを殺すなら生命活動の根幹である脳か心臓を潰さなくてはならない。


 幸い、その手段は既に綾斗の頭上にあった。


「ピッ」


 有効範囲内の全てを消し去るフォーリング・カラミティの発動まで残り三分を示す時計の音。

 

 ――あと、三分だ。三分だけ足止めできれば俺たちの……勝ちだ。


 決闘の様相が漂う空気の中、睨み合う二人。

 その対格差は明かだが、サイクロプスに油断は無かった。知能があるが故に綾斗を真の脅威と認識し、触れれば爆発しそうな怒りをその内に留めている。

 巨人の悪魔が纏う黒い瘴気のような殺気からそう読み取った。



 合図は無かった。


 巨人が突撃を仕掛け、体を沈ませるような初動を見切った綾斗はほぼ同時に地を蹴った。


 サイクロプスの動きはまるで別物だった。中国拳法を思わせるようなキレと無駄のない連撃が綾斗を襲う。

 筋肉や関節の動き、さらに呼吸から次手を先読みし躱し続ける綾斗だったが、マージンを取る余裕が無いほどに切迫。頬を掠める拳圧が冷徹さを削り取っていく。

 

 傷を負った時に分泌されたアドレナリンあるいは脳内モルヒネの所為か、サイクロプスの猛攻は衰える事はなくその体力は無尽蔵。

 対して綾斗は安定した呼吸を保つのも難しくなってきていた。

 そもそも、S.C.Sは持久戦・消耗戦を想定したものではない。集中力を維持し続けるのも容易なことでは無いのだ。

 

 ――残り時間いっぱいまでこの状況を維持するのは無理だ。

 

 そう、判断した綾斗がとった行動。それは無詠唱で放つレイストライト。


 巨人の拳撃を躱しつつ、網膜を焼く程の熱量を持ったそれを続けざまに眼球に直撃させる。

 一発では全体の二割しか損傷を与えられない光でも続けざまに叩き込めば盲目となる。

 理想は全盲だが、いくつかの虹彩は残りサイクロプスは視覚を保ち続けた。

 それでも効果はあったようで、立体視に支障が出た結果、攻撃が僅かに反れるようになった。

 この僅か数センチの目測の誤りが致命的な程、戦況は切迫していたのだ。


 しかし、視覚的アドバンテージを以てしても、明らかな優勢とは言えない。サイクロプスには驚異的な再生能力がある。

 それは網膜も例外では無く。


 奥行きを見誤った正拳突きをバックステップで凌ぎ、お返しとばかりにレイストライトを見舞う。

 綾斗は巨人の視覚を、巨人は綾斗の体力を。

 それぞれが応酬に応酬を重ねる激しい戦いが繰り広げられた。


 ◇◇◇


 戦場に閃くレイストライトの光を騎士達は眺めていた。


 当たれば必死の攻撃をギリギリで躱し、最弱の共鳴術で時間稼ぎをする綾斗の姿は、まるで巨人を弄んでいるように彼らの瞳には映った。


 しかし綾斗に残された余裕は微塵も無かった。


 彼らの背後で、


「……まずいわね」


 と小さく呟く少女。


「エソラ様何か言った?」

「いえ、何でもないわ」


 少女はあくまで涼しい顔でそう言い放った。



 ◇◇◇

 

 残り一分を切った。

 意識の端で秒読みカウントダウンを開始。

 戦況は相変わらず皮一枚で何とか命を繋いでいる。

 疲労は隠しようも無く、呼吸の乱れを厭わぬ状況。


 ――だが、凌ぎきれる。


 残り四十秒の所でそう確信した綾斗は爆破に備えてサイトヴィジョンを試みた。

 共鳴術を無効化するマスターアームの原理は全ての共鳴術の根幹であるベース、すなわち基線振動と鏡写しの波をぶつけて相殺すると言うものだ。

 故に発動条件はフィブリルをサイトヴィジョンで視覚化すること。それが綾斗しかマスターアームを使用できない所以なのだが……。


 ――フィブリルが見えない⁉


 綾斗は目を見開いた。

 サイトヴィジョンはそれを視認しようとしないと当然の事ながら可視化できない。言い方を変えれば既に励起状態に達したものについては、それがそこにあると認識していないとみる事はできない。

 始祖山への道のりで綾斗がエソラの転移門を見逃してしまった理由だ。


 既に下降しつつあるフォーリング・カラミティはまだその質量を増している。本来であればグルーオンを示す球体が見えるはずで、戦闘中に何度も確認したはずだった。


 つまり、綾斗がサイトヴィジョンを発動できない原因は――。



 ――エネルギー切れか。


 共鳴術を使用する際にブラドーシュ――血糖を消費する。

 身体的疲労にマスクされていた精神的疲労が不意に顔を出し始めた。


 戦場に降り立つ時に使用した転移門の場所は既に分からなくなっている。



 残り二十秒。



 綾斗は残された気力を振り絞り戦意を保ったまま、巨人に向かい合った。

 時間的に最後の衝突。

 

 助走の勢いをそのまま乗せた、低い姿勢で放たれるローパンチ。

 地を這うような怪腕を、綾斗も助走の勢いを殺さぬように外側へ回避。そのまま姿勢を低く、死角を縫うようにして股を抜けた。


 最後にマスターアームを発動する時間を稼ぐため取っておいた戦法。

 巨人は『消えた⁉』と慌てふためいている事だろう。



 ――目的は達成された。


 それが頭に浮かんだ言葉だった。走馬燈など見えはしない。逆に清々しいくらいの気分で綾斗は小さく笑った。



 着弾。


 臨界点突破前の激しい閃光が世界を白く染めた。


 

 ――幻覚か……。


 後ろから優しく包み込むように、誰かに抱きしめれた気がした。

 いつか夢の中で味わったような懐かしい感触。

 それがとても心地よくて綾斗は眠るように目を閉じた。

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