第15話 夢合わせ


「……すまない」

「良いのです。私は嬉しい」


 瞼の腫れを確認する綾斗に、ヴィアンテは柔らかく優しく微笑みかけた。

 一瞬で心を奪われそうなほどの魔力。

 いっその事落ちてしまえと誑し込む自分にうそぶいて、咳払い。


「こんなことを聞くのは野暮かもしれんが、魔女を殺してもいいのか? アリシアだからというだけじゃない。エソラを救う手段を失ってしまうんじゃないのか?」


「綾斗の心配は最もですが、私の預言ではエソラ様を救うには魔女を……殺すしかないと」


 ――私の預言?


「ヴィヴィ、お前は預言者なのか」


 ヴィアンテはあらいけない、というようにかわいい仕草で口に手を当てた。


「そうではありません。かつてダヴィンチが使用していた未来予知の共鳴術。その名を『オブリビオン』。現在では失われた秘術の一つで預言と呼べるのはダヴィンチが残した預言書のみです。オリジナルには遠く及びませんが、私が独自にオブリビオンを真似て作り出したのがアヴァニール・フォーチュン『夢合わせ』という術です」


「夢合わせ?」


「本来、予知能力は誰もが持っていて、通常の夢に混ざって時々現れ、目を覚ました時には忘れてしまうのだと私は考えています。預言の術が忘却を意味するオブリビオンと言う名を冠している事からもそれは明かです」


「だが、忘れてしまうんだろ? 他人の夢を覗くとでもいうのか?」


 ヴィアンテはそっと悪戯な笑みを浮かべて答える。


「夢を覗く……それがまさにオブリビオンの原理だと思います。私に出来るのは夢の断片を形骸化けいがいかして抜き出す事。実際にご覧に入れましょう」


 そう言うとヴィアンテは立ち上がり目を閉じて両手を前に差し出した。


「おい、まさか俺の頭の中をのぞくのか?」

「ふふ。ご心配なく。覗くのは自分の夢ですから」


 ニコリと微笑んで、詠唱を開始。透き通るような美声でまるでオペラを聞いているような、それでいて子守歌のような柔らかい旋律。


「……、アヴァニール・フォーチュン」


 ヴィアンテの胸の中心からあふれた清らかな光が七色に揺らめきながら、周囲を回転。続けて光の輪に直行する様に五つの光の柱が出現し、それぞれを軸に巻き込まれるように光が輪転。ヴィアンテを取り囲む五つの光はくるくると回るカードのような形状に変化する。


 ゆっくりと開眼したヴィアンテは虚ろな瞳でカードの情報を読み解く。


「愚者、女帝、太陽、悪魔、死神……」


 ヴィアンテは再び目を閉じ、無意識の中の記憶の残滓ざんしを手繰り寄せる。


「誘われし愚者は女帝と共に罪を背負う。太陽が現れる前に決着せよ。悪魔の罪は死によって償われる」


 淡々と言葉を紡ぐのはヴィアンテではない別の何か。現実世界で言うシャーマンのような一種のトランス状態が、無意識の領域に閉じ込められた未来を読み上げた。


 七色の光はろうそくの火を吹き消したように空気に溶けていく。


「ふぅ、やはり同じ結果です。魔女に立ち向かうのは私と綾斗。決行は夜明け前。そして魔女に与えるべきは……」


「死」


 言い淀んだヴィアンテに代わり、その不吉な言葉を口にする。


「私の術は預言とは程遠い占いのようなものです。何を望むかによってカードの種類は変わり、それが暗示する物を自身で言い当てなくてはなりません。しかし、何度繰り返しても悪魔と死神、この二つは変わりません」


「つまり、エソラを助けるためにはどうやっても魔女の死は免れない」


 ヴィアンテは俯くと、くるり背を向けバルコニーの窓から夜空を見上げた。


 ――顔を見なくても分かる。


 ヴィアンテはこの塔に幽閉ゆうへいされてから幾度となく、夢合わせを行い、人々を救う方法を占ってきたはずだ。当然、救うべき人の中には妹のアリシアも含まれる。死神のカードがめくられる度に、絶望を味わったのだ。何度も、何度も……。


 そして、痛みが突き刺さる度に彼女の瞳から優しい涙がこぼれ落ちたのだ。


「……ごめんなさい、アリシア。ごめんなさい……」


 綾斗はかけるべき言葉が見つからず、ただ静かに決意する。


 ――仮想世界とはいえ人を殺す事が許されるはずがない。だが、そうしなければエソラだけではなく、その他大勢の命が奪われてしまう。例え、魔女が元凶であっても、それを止める事の出来なかった自分が人々を殺したようなもの。


 七年前、助けに飛び出すのがもう少し早ければ、アンジェリーナは切りつけられずに出血死する事も無かった。


 ――同じ過ちを繰り返してはいけない。


 そう自分に言い聞かせ、冷徹さの深淵しんえんに強く刻みつけた。



◇◇◇


 時刻は午前五時。夜明けまで丁度一時間を切った頃。

 尖塔の窓ガラスが砕けた。


 割ったのはヴィアンテの空間操作術。

 指定範囲内の気圧を調整し、圧力差で粉砕。

 通常ならサーヴァントの一人でも駆けつけそうなものだが、そこは便利な重力子系統の術で形成された真空のまゆが音を遮断した。


 決行の時間はヴィアンテが指定した。

 夜間の強襲というのは不意をつく上で必須だと綾斗は考えていたが、それ以上の意味があった。


 魔女アリシアが得意とするのはフォトン系統。その最強呪文は千年竜を打ち倒した『ラ・ルミエレ・デ・ラ・ファン』。畏れを込めて終焉の光と呼ばれている。


 共鳴術はもともと自然界に存在する基本の四つの力を増減する事により、魔法じみた現象を引き起こす。つまり、干渉する前の自然界の状態に依存する。

 したがって、奇襲に失敗し魔女と交戦した場合、光量の少ない夜の方が光系統の術の威力は下がるというわけだ。


 さらに綾斗は病み上がりからの連戦で疲弊。疲労回復のための休息時間を考慮しての午前五時決行。


 オートレデンにおいて暁は観測できない。太陽が顔を出すその瞬間まで、地上を照らし出すのは遥か彼方で瞬く恒星の光だけ。


 夜空に不気味に浮かび上がる居城をバルコニーから見上げた。


 ヴィアンテの転移術により、反りたったカテドラルの天蓋へ移動。巨大な集光レンズの脇の天窓から内部へ進入し、重力軽減の共鳴術により、闇の中をゆっくりと降りていく。

 床までの距離は百メートル以上あり、底が全く見えない。それでも下降していくにつれ、ステンドグラスから取り入れられた星明りで内部の構造が明らかになる。


 カテドラルの床、その長径方向に真紅の絨毯が敷かれ、両脇に祈りを捧げるための長椅子が整然と並ぶ。

 後方には昇降板、そして前方には玉座と思しき輪郭。巨人が座るのかと言うほどの巨大な椅子。


「玉座の向こうに寝室があります。恐らく魔女はそこに……」


 二人は音もなく着地。息を潜め、足音を忍ばせゆっくりと進む。


 ――ここでしくじる訳にはいかない。例え闇討ちが卑劣だと罵られようと。


 微かに漂う香木の余薫よくんでさえも、刺激臭に感じられるほどの緊迫感。

 神聖なる空間で行われようとしている非道な行い。

 だがまるで見て見ぬふりをするように静謐せいひつさを保っていた。

 しかし、その静寂せいじゃくは突如として破られた。


「そんな……」


「どうした、ヴィ……」


 ヴィアンテが慄き注視する方向を追い、異常事態に気付いた。

 玉座に座す孤影。


「……アルマージ」


 ヴィアンテの声ではない。


 その詠唱の直後、壁の松明が一斉に点灯し、揺らめく炎。

 やおら立ち上がり歩み寄る術者の相貌そうぼうが怪しく照らし出された。


 ツーサイドアップのツインテール。寒さを無視したように露出度の高い漆黒のゴスロリワンピース。首と四肢には罪人の証である鋼鉄の拘束リング。頬はこけ、生ける人間とは思えないような赤く冷たい目線。そして髪色は光沢のある金色。


 綾斗をデジャブが襲った。


 ――俺はこいつをどこかで……。


「アリシア!」


 ヴィアンテが叫ぶ。

 綾斗は一瞬でも集中力を乱したことに対する後悔を深い呼気と共に吐き出し、魂を冷徹に染め上げる。


「来るぞ、ヴィヴィ。前方に防御壁を頼む!」


「……はい、任せてください!」


 サイトヴィジョンで既に術の軌道は予測済み。

 魔女の周囲から螺旋上に延びるフォトン。立体格子がそれらを歪め、一本の縄へと結わっていく。


 ――軌道は読める。だがこの術はまさか……。



「ラ・ルミエレ・デ・ラ・ファン」


 ――アリシアの最強呪文、終焉の光。


 綾斗は咄嗟にマスターアームを発動待機状態へ。


 だが、間に合わなかった。

 轟く閃光。綾斗のレイストライトなど毛糸に思える程の重厚さ。現実世界の技術では到底再現できないようなレーザー兵器。


 ――死――。



「ディストーション!」


 ヴィアンテが発動したのは光さえも曲げるレンズ型の重力壁。

 終焉の光はほどけるように滑らかに軌道を変え、聖堂の壁を抉り取り虚空へと消えていった。


「間に合ってよかった」

「ああ、助かった、ヴィヴィ。ここから仕掛ける、俺の合図を見逃すな」


 重心を前傾に。硬い床を蹴った。


 綾斗が特攻をかけ、守りの術に長けたヴィアンテが魔女の攻撃を逸らす。

 それが戦闘になった場合の取り決め。


 ――マスターアームは奥の手。今使用せずに済んだのは大きい。


 その間も油断なくサイトヴィジョンは魔女の術を捉え続ける。

 よほど光系統に自信があるのか、直進方向に交差するように走る無数のフィブリル。


 綾斗は背中で握り拳を作り、ヴィアンテに知らせる。これは自分だけを護れという合図。全身を覆う重力球が全方位あらゆる攻撃から彼女を護るはず。

 ヴィアンテが詠唱を開始したのを耳で確認し、綾斗は減速せず走り込む。


「ティシュ・ド・ソイ・レジー」


 アリシアの詠唱を受け、震えだすフィブリル。励起が最大になる瞬間に、綾斗は地を這うように姿勢を落とした。


 左右から一斉に発せられた光が面を成し、まるで金色の絨毯のように頭上に輝く。触れれば焼け焦げてしまいそうな熱気の下をかいくぐり綾斗は進み続ける。


 サウナなど比にならない。オーブンで蒸し焼きにされているような灼熱の狭間さまを走破。


 ――光の術とは相性がいい。


 それは攻撃を受ける場合においても言える。予測線が見える綾斗にとって直線的あるいは面での攻撃は避けやすい。


「……リガード・クレイージ」


 光の絨毯を目くらましにした、間髪入れずに放たれる光系統の術。

 今度は面ではなく交錯こうさくする光の直線が複雑に絡み合い、時間差で励起しながら行く手を阻む。


 ――まだだ、まだマスターアームを使う訳にはいかない。


 急所に当たれば死亡。足に喰らえば行動不能。


 ジジッ、ジジジッ。


 あらゆる角度から次々に放たれるレーザートラップが床や壁を穿つ音。


 熱線の嵐の中を綾斗は潜り抜けていく。密度の高い場所を避けつつ、最短距離を算出。

 術の軌道が予め見えるからこそできる芸当。

 ここまであからさまに回避してしまえば、魔女もサイトビジョンの能力に気付く。


 ――だが、それでもいい。


 次の一手で魔女に手が届く。


 虚無を見つめる双眸で最後の詠唱が紡がれた。


「……アブリビ――」


 それは転移術『アブリビエイション』。

 引き伸ばされた時間の中、眼前に現れた格子状のフィブリルが綾斗を突き抜ける。


 ――サイトヴィジョンの能力を知られた以上、距離を取られては勝ち目は薄い。


 励起し、漸増的に光を強めるグラヴィトン。

 マスターアームの同調はもはや間に合わない。それでも、


 ――絶対に……。


 綾斗の突き出した右手が光をすり抜け、親指と人差し指の先が左右の頸動脈に触れた。


「かはっ……」


 詠唱は中断。魔女の眼球は上転し、突き飛ばされるまま地面に転がる。


 綾斗は乱れた呼吸を整えながらゆっくりと歩み寄った。


 意識を奪う事には成功した。だが、本当の試練はこれから。

 一人の少女には到底抱えきれない罪過ざいかの清算。


 綾斗は仰向けで横たわる魔女に跨り、万が一目が覚めても抵抗できないように内股で拘束。そしてゆっくりと首に両手をかけた。


 背後から駆け寄る足音。ヴィアンテだ。


「ヴィヴィ、お前は見ない方がいい」


 しかし彼女は首を左右に振った。


「いいえ。私も見届けます。あなただけに重荷は背負わせません」


 その声は震えていた。怖くないはずがない。実の妹の死に様など。

 震えは綾斗の腕にも伝染する様に広がる。

 なんて細くてきれいな首筋。肌はきめ細かくシルクのような肌触り。見ないと決めていたのに、自然に目線が上に流れる。

 夢を見ているような無垢な表情。


 ――くっ、躊躇するな! 同じ過ちを繰り返すな!


 綾斗は目を閉じて両手に力を込めた。だが必要以上に締め上げる事はしない。首を折る必要はないのだから。ただ、脳に血液を送るその経路を遮断し続ければ、いずれ生命活動は停止して眠るように息を引き取るだろう。


「ごめんなさいアリシア……ごめんなさい……」


 隣でむせび泣くヴィアンテ。


「かっ、あっ……あっ……」


 最後の断末魔だんまつまにしては弱弱しすぎる、声にもならないうめき。

 死に様を見届ける覚悟をしていたヴィアンテもたまらず視線を逸らす。それを綾斗は責める事はできない。


 ――何があってもこれ以上力を緩めてはいけない。


 ただ黙って、感情を押し殺して。

 魔女の体が痙攣けいれんしたように僅かに震え出し、生々しい振動が綾斗の足に伝わる。

 いよいよ最後の時が近づいたのだと、覚悟した時。


「ヴィヴィお姉さま……許して……」


 寝言のように発せられた言葉。


 だがそれは遺言にはならなかった。


 突然、死角から押され体が右へ傾く。魔女の首から手が離れ、床に転げ落ちた。


「……ダメです。アリシアを殺すなんてダメ……」


 魔女の胸に縋りつき懇願するヴィアンテ。


「今殺さないと多くの民が犠牲になるぞ!」


「それでもダメなんです! アリシアは何も悪くない……、私が……全部私が悪いんです……」


 ヴィアンテは立ち上がり両手を広げた。その薄い瞼では閉じ込めきれない雫が目の端に膨れてはこぼれ落ちる。


「何の……つもりだ」


「アリシアを殺すなら……私を先に殺してください。それが私の受けるべき罰です」

「馬鹿な事を言うな! そんな事……できる訳が無いだろ!」


 胸からこみ上げる怒気を包み隠さずぶつける。


 ――ヴィアンテの気持ちは分かる。俺だってアリシアを殺したくない。でも、だからこそこれは明かな……裏切りだ。一緒に罪を背負うと誓ったのに……。


 綾斗は力なく膝をついた。


 ヴィアンテを殺さずに制圧し、アリシアを仕留めればエソラは助かる。それが分かっていても足が動かない。救うべき人と同じ顔にあんな泣き顔をされては戦意など。


 ――どんな手段を使ってもエソラを助けると聡次郎に誓ったのに、このザマだ。臆病者の卑怯者。救うべき人を見殺しにしておいて、仕方なかったと自分に言い聞かせ続ける人生。それを受け入れてしまえば……。


 茫然ぼうぜんとする綾斗と泣き止まぬヴィアンテ。

 二人は時間を奪われたように聖堂の闇に佇んだ。



「全く……何という期待外れ。腑抜けどもが……」


 突如、逮夜たいや静穏せいおんに、女の声が響いた。


 それは聞き間違うはずもない魔女の声。

 綾斗は飛び跳ねるように立ち上がり、床に転がるアリシアに顔を向ける。が、目は閉じたまま気絶している。


「何処を見ているの? こっちよ」


 声を辿たどって振り向き、信じられない光景を目にする。


「お前は……誰だ……」

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