第14話 運命の人


 初めてこの世界に訪れた時のような懐かしい感覚。


 沈み込む体。真っ白な世界。

 ただし、それ以外は何もかも真逆。


 靴底には雪。皮膚に染み込むのはうだるような暑さではなく、極寒の静寂さ。吐く息さえも景色に白く溶けていく。


 そこは標高三千メートル級。始祖山の頂。


 開けた眺望ちょうぼうを視界に入れた時、ここがこの世界で絶勝ぜっしょうの地であると確信する。

 スグリが光の壁を、光の海と言っていた理由がそこにあった。


 宇宙の彼方まで果てしなく続くのは光の絨毯じゅうたん

 東の果てには夜が降り、おごそかなきらめきと共に幾つもの恒星が生まれては昇る。

 三百六十度を見渡せばここが世界の中心であり、また、最も標高が高い場所であることが直ぐに理解できた。


 南には赤黒く湧き立つ溶岩地帯、北には分厚い雲に覆われた豪雪地帯。西には森、荒野、砂漠と続き、東には――。


 天空城『シャトー・ダン・ル・シエル』。


 夜空を背景に雲の上に浮き立つその外観から、天空城の名で呼ばれていたというのは確かめるまでも無いが、驚くべきはそれが地上から雲の上まで聳える一本の塔であるという事実。

 古代の技術で建造されたその塔はかつての王族の居城で、現在は支配権を魔女に移す。

 ゴシック建築みたくアーチが多用され、雲より上の部分は大聖堂と形容した方が分かり易い。


「もう一度転移を使う」


 背後からアイザークの声。

 同様の式句を唱え、綾斗の正面に再び転移門が形成される。

 行先は大聖堂の方ではなく、その傍らにそびえる尖塔。

 この先は全くの未知。案内役のスグリが居ない事に旅情のわびしさを覚え、一瞬だけ踏み出した足が止まる。

 だが、引き返せない事はすでに覚悟の上。背後に一抹の後悔を置き去りにして綾斗は前に進んだ。



◇◇◇


 コツッと硬質な音を響かせ、尖塔のバルコニーに降り立った。


「夜明け後に面会が許される。それまでこの中で大人しくしていろ」


 綾斗が大窓の隙間から中へ入ると、アイザークは外から鍵を掛けて消えてしまった。

 部屋の中は暗く、星明りが窓際をほんのりと照らす。


「そこにいるのは誰ですか?」


 突如闇の中から聞こえた声に、綾斗は飛びあがった。


 ――しかし、この声はどこかで聞いたことがある様な……。

 

 釈然としないまま、相手の出方を伺う。


「今、明かりを点けますね」


 声の主が式句を唱えだす。綾斗は身を隠す事もせずその柔らかな美声に聞き入ってしまっていた。


 ――まるで敵意を感じない。まさか、この人は……。


「……トゥウィンクル・オーブ」


 白熱灯に過電流を流した時のような、ふわっと膨らむような閃光。


ホワイトアウトから次第に人の輪郭が現れ、ついに彼女の姿を認識した時、綾斗の脳天を電撃が貫いた。


 純白のネグリジェにたゆたうのは、鏡に映る光のように眩しく煌く銀色の長髪。


 その色は本来、綾斗にとってトラウマの引き金に過ぎない色。


だが、彼女の容姿はそんな嫌な記憶さえも塗り替えてしまいそうなほどの魅力を放っていた。

 の顔はエソラそっくりだとスグリから聞いて覚悟はしていた。確かに顔の各パーツは既視感のある造形美。整っていて実に秀麗。だが、受ける印象が全く異なる。


 柔和な眼差しに、円やかな微笑は蠱惑こわく的かつ優美。


 綾斗の幼少期の記憶が掘り起こされ、エソラとは別の人物像が重なる。


 ――間違いない。この人が囚われの姫……ヴィアンテ。


 様々な驚きが一斉に押し寄せた綾斗の脳は、情報を処理しきれず沈黙。

 故に先に口火を切ったのは彼女の方。


「綾斗、やっと会えましたね。あなたが助けに来て下さると信じていました」


 ――なぜ、俺の名前を知っている⁉


 しかし、驚愕の余り声に出せず、目を見開いた。


「お初にお目にかかります。私はレベナル国第一王女ヴィアンテ。どうぞヴィヴィとお呼びください」


 ほっそりとした指先で裾をつまんでカーテシー。

 豊かな胸元、うっすらと透けて見える純白の下着。朴念仁ぼくねんじんの綾斗でさえも釘付けになるほどの完成された美しい曲線美。

 顔を上げた彼女の表情に警戒の色は一切ない。それどころか、理想のフィアンセを見つけたかのような羨望せんぼうの眼差しが胸を抉る。

不覚にも顔はエソラだという事を忘れて、魅入りそうになった。


「待ってくれ! 正直言って俺は混乱している! お前がヴィアンテだという事は分かるが、どうして俺の名前を知っている⁉」


「あら、そうでした。そのいきさつをお話ししなくてはなりませんね。話せば長くなります、あちらで座ってお話ししましょう」


 お行儀よく手の平で示すのは部屋の奥のクイーンサイズベッド。

 部屋の内装は落ち着いた青色系統と白で配色されており、部屋の中央で優しく揺れる光がプラネタリウムのようなロマンチックな空間を演出する。


 彼女に続いて横並びに腰かけると、花のような甘い香りにふわりと包み込まれる。濃厚で理性を狂わす色香の匂いだ。


「何故私があなたの名前を知っているかでしたね。端的に述べますと、それはエソラ様から伺ったからです」


 マイペースな感じでとんでもない事を言う。


「エソラに会った⁉ いつ、どこでだ?」

「ふふ、直接お会いしたわけではないんです。グラヴィトン系の共鳴術の中に音を遠くまで伝える術があるのです。それで一度だけエソラ様との交信に成功しました」

「そんな力があるならどうしてスグリたちに生きている事を教えてやらなかった? ……心配していたぞ」


 痩身そうしんの肩をさらに細めるものだから、綾斗はとっさに口調を緩めた。


「この術は有効範囲が限られていて、エソラ様と交信できたのがむしろ奇跡なのです。それよりも、私の無事が皆に伝わっていないという事はエソラ様に何かあったのでしょうか……」


 おっとりしているように見えて、なかなかに勘が鋭い。ふとしたところでエソラとの共通項を見つけるが、そんな場合ではないと、これまでの経緯をかいつまんで説明した。



◇◇◇


「……なるほど、エソラ様がサーヴァントに……。それで綾斗一人で乗り込んできたという訳ですね」


 ――乗り込んだというよりはまんまと捕まってぶち込まれたという方が正しいのだが。


 そこはあえて突っ込まず首肯。


「私にエソラ様の代わりが務まるとは思いませんが、ぜひ協力させてください」


 ――正直なところ、この提案はありがたい。一人ではこの尖塔から抜け出せるかどうかも微妙だ。


「しかし、ヴィアンテ……ヴィヴィは王族最後の生き残りだろ? 俺はこの世界で死んでも肉体が滅びるだけでまた復活できるが、お前がもしも死ぬようなことがあれば国民は困るんじゃないのか?」


 ――少なくとも俺は困るが。


「危険は承知です。しかし魔女を倒さない限り国はいずれ滅びてしまいます。それに正確に言えば王族の生き残りは私だけではありません」


 初めて聞く情報に瞠目する。


「それはいったい誰だ?」

「魔女です」


 きっぱりと答えたヴィアンテに綾斗は面食らった。


「その様子ですと綾斗はまだ真実をご存じないようですね。まあ、無理もありませんが……」


 それからヴィアンテは昔話のように語り始めた。


 ◇◇◇


 半年前の魔女の侵攻よりさらに七年ほど前。レベナルではもう一つの世界の終わりが預言されていた。


 それは『ダヴィンチの預言書』に記された記述で、魔女の出現とは別の預言。千年毎に蘇り世界を焼き尽くすドラゴン『ミル・エル・アンフェル』にまつわるもの。


 これの対抗措置として、当時王族の中でも類まれなる才能を持った二人の王女に世界の命運が託された。それが第一王女ヴィアンテと第二王女アリシア。


 一方、均衡派と改革派という二つの二大勢力間で共鳴術の指導方針が異なり、大きな対立を生んでいた。共鳴術の中にはその強大すぎる力故に封印された『禁忌の術』が存在し、ドラゴン打倒のためこれを復活させようとする一派が改革派で、それを良しとしないのが均衡派であった。


 時勢としては安定を求める均衡派の方がまだ主流であり、当時派閥の最高位であったメイソンがヴィアンテの師事にあたり、折衷案せっちゅうあんとしてアリシア姫の師事は改革派のイルミーナという女性術士があたる事になった。


 そして半年前、ついに千年竜『ミル・エル・アンフェル』が出現した時、まずヴィアンテの部隊が迎撃に当たった。ヴィアンテのエスは『博愛』で、兵士達をドラゴンの攻撃から守ったが、攻勢に転じる事が出来なかった。


 そこでついにアリシア姫が出撃し禁忌の術『ラ・ルミエレ・デ・ラ・ファン』を発動。増強した幾つもの熱線の束を重力操作で一本にまとめ上げた極大射程の光系統最強術が、ドラゴンを塵も残さず消し去った。


 アリシアは世界を救った英雄と謳われるが、倒されたのはドラゴンだけではなかった。出自不明の人の焼け跡が残っており、途端に英雄は重罪人となった。不殺の戒めは王族にも適応されるが、亜人のそれとは異なり、人を殺めても死ぬことは無い。ただし、悪魔に心を支配されると伝承されていた。


 アリシア姫は自ら拘束される事を望み、同行を志願したイルミーナと共に北の果ての監獄要塞『インフリーダム』に幽閉された。そこでアリシアは肢体をはりつけにされ、目隠しに猿轡さるぐつわ。自由などなく、刑の軽いイルミーナがおなじ独房で世話に当たっていた。


 それからしばらくの間、アリシアに変化はなく、悪魔の伝承はまやかしかと思われた。しかし、一か月たったある日インフリーダムからアリシア姫が脱走。サーヴァント化した騎士達を連れ、首都を襲った。


 ◇◇◇


 それがヴィアンテの語る『魔女の侵攻』の真実。


 魔女の素顔を見たのは民を逃がすため最後まで城にとどまったヴィアンテのみ。

 だから、他の民は魔女がアリシアだとは断言しなかったのだ。


「私の力がドラゴンに及ばなかったばかりに、アリシアを魔女にしてしまったのです。だから、私には責任があります。この命を賭してでも償わなければならない限りなく重たい罪です。でも私は……この手で魔女を倒す事は出来ません」


 ヴィアンテはコバルトブルーの双眸そうぼうを伏せた。


「不殺の戒めがあるからか」


「……はい。私がアリシアを殺めてしまったら、今度は私が悪魔に心を支配されてしまうでしょう。こんな事をお願いする権利など私にはありません。ですが、これは神である綾斗にしか頼めない事なのです。だからどうか、どうか……」


 ヴィアンテはその美しい瞳から大粒の涙をボロボロとこぼし懇願した。顔は伏せず、ただ真っすぐに綾斗を見つめる眼差しの奥に、責任と覚悟が見えた。その感情に直接触れたみたいに綾斗の心が共鳴した。


 ――この人は俺と同じだ。自分の半端な力の所為で大切な人を失ってしまった。その気持ちは痛いほどわかる。


 それを確かめるように、視線に心意をのせて瞳の奥へと放つ。


「綾斗……あなたも自分の罪に苦しんでいるのですね……」


 心が通じ合うという感覚に初めて触れ、震え、こみ上げる。

 どんなに呼吸を整えようとしても湧き上がるそれを抑える事はできない。せめて溢れさせまいと、瞼に力を込めて支えようとするが、


「綾斗……」


 か細い両腕が包み込んだ。ふわりとしていて温かく、その中では何もかもが許されてしまいそうな圧倒的な包容力。


 ――今すぐここから抜け出さなければ、

「俺は……」


 だが、逃れられなかった。いや、逃れたくなかった。いつまでもこうして優しさに触れていたい。


 それを自覚した瞬間、もう涙が止まらなくなった。


 こんなにみっともなく泣いたのはいつぶりだろうか。少なくとも罪を背負ってからは一度も。


 ヴィアンテはエソラの母――アンジェリーナに似ていた。


 だから、余計に涙が止まらなかった。

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