第13話 漆黒の共鳴術士


 白砂の要塞へ一刻も早く戻るため、フライングビークルに乗り込んだ。


 レイドが操舵、ジャスティンとスグリが付き添いとして同乗した。


 フライングビークルは浮上にこそ時間はかかるものの、最高速度はホバービーを上回り、所要時間はむしろ短い。さらに、垂直浮上する事により、ファロムがいなくてもダストデビルを抜ける事ができた。


 船内は長時間飛行を考慮した設計で、寝室だけでなくバスルームやキッチンまで完備。

 果糖を摂取したとはいえ、二十四時間ほぼ飲まず食わずで過ごしたため、綾斗の胃袋は悲鳴を上げた。

 その事を勘案していたスグリは機内のキッチンを借りて作った軽食をカウンターで振る舞った。


 ストームウィードで調達した食材を使用したミラノサンド。

 みずみずしいレタスとトマトが口の中で弾け、自然の塩味が効いた薄切りの燻製肉がガツンと食欲を煽る。細切れにした玉ねぎを加えたソースは仄かにリンゴの甘みと爽やかさを含み、味に鮮やかさを添える。

 ジャガイモをふんだんに使用した付け合わせのキッシュは、口の中でほろほろと溶け、味わいつくす前に消えてしまう。だからついがっついてしまい、いっきに食べ過ぎだとスグリに叱られた。


 食事を終え、デッキで監視に目を光らせるジャスティンと合流。


 上空五百メートルから望む景色は圧巻の一言。気持ちいいくらいの快晴で、始祖山の中腹にある二つの湖にまたがるように虹の橋が架かる。

 スグリもその壮大かつ幻想的な光景に魅了され、言葉を失った。


 しかし反面、綾斗の心中では焦りがふつふつと湧いていた。


 ――昨日、伝令を送ったというのなら、危険な夜間は無理だとしても今朝には何らかの返事があってもいいのではないか。俺たちが乗って来たホバービークルを使えばそれは可能なはず。行き違いになった可能性もあるが……嫌な予感がする。


「綾斗! あれを見て下さい!」


 スグリが突然、吹きすさぶ風に負けない程の声を張り上げた。

 すぐさま隣へ駆け寄り、指さす方向を見る。


「何だ、あれは……」


 まだ十キロ以上先に見えるのは白砂の要塞。

 しかし、明らかに様相が異なる。要塞をおおっていたはずの天蓋に大穴が開いていたのだ。


 まるで空間ごと綺麗きれいにえぐり取られたように――。


「レイド! 高度を下げながら要塞の直上まで接近してくれ!」


 綾斗は伝声管で操縦室のレイドに指示を送る。


「了解!」


 レイドは舵とレバーを巧みに繰り、スピードを上げる。



 加速したまま、真上に差し掛かった時、大穴から訓練場が見えた。

 たたずむのは黒ローブの男とガリレジオと思しき人影だけ。


「あれはきっとアイザーク様です!」

「それは本当かスグリ!」

「はい! あの漆黒のローブは間違いなく!」


 二人はほとんど動かず、話合いをしているように見えた。


 ――状況から察するに要塞が何らかの脅威に曝され、住民は地下シェルターに避難。転移術により魔女の手を逃れ帰還したアイザークがガリレジオに接触したのか。だが何か様子がおかしい。


「レイド! 減速しつつ旋回し、着陸態勢に入ってくれ!」


「綾斗、もっと早く地上に降りる方法があるぜ!」


 ジャスティンが意気揚々と進言。


「なら、それで頼む!」

「よし! さあ、俺の腕に掴まれっ!」


 デッキ上で差し出された右手を握ると、ジャスティンはそのまま助走をつけ、引っ張られるように綾斗もそれに続く。


「私も行きます!」


 スグリが綾斗の右腕に飛びついた。

 綾斗にはそれを制止する時間も余裕も無かった。


「ジャスティン……まさか……」

「行きますよー! とうっ!」


 勢いのままデッキを飛び出し、虚空へダイブ。

 鍛え上げられた右腕が綾斗を引っ張り、道連れの死のスカイダイビング。


 風圧で髪がオールバックにかき上げられ、速度を増すごとに顔の皮膚が波打つ。


「フウーッ! サイッコーウ!」


「おい! 大丈夫なのかこれ⁉ スグリ、絶対離すなよ!」


 スグリは目を瞑ったまま懸命に綾斗の腕にしがみつく。


「テンション上げとかないと術が発動しませんからッ!」


 ――ただのお調子者だと思っていたが、こいつが一番クレイジーかもしれない。


 今更気がついても後の祭り。ただ信じるしかなかった。


「アクセラ……バースト!」


 それは加速術アクセラの上位互換、というよりも失敗型と言った方が正しい。


 アクセラは適度な除負荷じょふかにより高速移動を可能にするが、度を超すと月面のようにむしろ動きは遅くなる。そして、さらに臨界りんかい――無重力を超えると対象にかかる引力が反転する。

 すなわち、地面に近づく程減速し、ある地点から逆に空に向かって落ちていく。


 しかし、ジャスティンがかけられる対象は本人のみ。よって綾斗はジャスティンの腕にぶら下がる形で減速。地上へ向かってゆっくりと下降していった。



 ◇◇◇


 地上から三メートルほどの高さになって綾斗は手を放し地上に着地。スグリに衝撃が加わらないようにお姫様抱っこで丁重にエスコート。

 お礼を言いかけたスグリの口を塞ぎ、人差し指で沈黙を合図する。ジャスティンも綾斗の意図を理解して静かに着地。


 三人が降り立ったのはアイザークの後方二十メートルの観客席。訓練場を囲む高い内壁の外側でまだ気付かれていない。

 黒服の男と対峙するガリレジオは綾斗達の到着に気付いたようだが、直ぐに視線を戻し、動揺を隠した。

 綾斗達は静かに身を屈め、聞き耳を立てる。


「神は何処だ? 地下か?」

「何度も言うが、ここにはおらん」

「ならばどけ。さもなくばお前を殺さなければならない」


 黒ローブの男の声から察するに、年は二十代後半程度。明らかな強迫だが、先に制圧したサーヴァントとは異なり、人格が残っているような口調。


「アイザークはサーヴァントなのか?」


 一縷いちるの望みを抱き、押し殺した声でジャスティンに問う。

 声を潜めたのはスグリへの配慮でもある。


「サーヴァントの人格には個体差があるんだ。通常のサーヴァントに与えられている命令は殺戮さつりく。その目的を果たすためには人格は消し去った方が都合が良い。だが、あえて人格を残す事で、より複雑な命令をこなせるようになるのさ」


 それを聞いて綾斗は熟考する。


 ――人格が残っているというのなら、交渉する事も可能ではないか。あるいは手段を択ばず、従わせ、協力させる事も。アイザークの会話の内容から、目的は神の殺害または捕縛ほばくであることが分かる。彼が言う神とは俺か、それとも……。


「見て下さい! ガリレジオ様が……」


 スグリの声に反応して綾斗が顔を上げると、宙吊りにされた師団長の姿。何の支えもない空中に浮かんでいる。

 老年の騎士はゆっくりと首を左右に振る。綾斗にはそれが、来るな、と言っているように思えた。


「忠告はした」


 そしてアイザークはうなるような低い声で詠唱を開始。


「綾斗! どうする⁉」


 綾斗は深い呼吸と共に沸き起こる緊張を集中力へと転換する。

 サイトヴィジョンでフィブリルを可視化。ガリレジオを包む格子状の球体を捉える。

 その中心部から外側に向かってグラヴィトンが引き伸ばされ、球体の表面に近づく程格子構造が密になっていく。


「スグリはこのまま身を隠せ。俺が奴の気を引くから、ジャスティンはその間にガリレジオさんを」


 綾斗は開いた掌を顔の横に構え、待機を示す。


 ――仕掛けるなら今。……だが、何か違和感がある。


 その煮え切らない思いが綾斗を躊躇させていた。


「アブゾービング・ヴァキュリティ」


 突如、ガリレジオが首を押さえ苦悶くもんの表情を浮かべ始める。だが、ミュートをかけたような奇妙な静寂。


 ――くっ、迷っている余裕はない!


 グッと右手で空を掴み、ゴーサイン。

 綾斗はパルクールのように膝を折りたたんだ状態で周壁を飛び越え、土俵に躍り出る。

 左足の爪先が地面に到達した瞬間、落下の下向きベクトルを流れるような関節の駆動で前進する力へ転換。続く右足で踏み込み、爆発的な加速力で距離を詰める。


 『アブゾービング・バキュリティ』は真空状態を作り出し、対象の生命活動を停止させる術。

 真空故に音は伝達しない。人間が真空で生きられる時間は一分程度とされているが、不可逆的ダメージを受けるのは三十秒程度から。マージンを考えるなら十数秒以内での救出が望ましい。


 忍び寄る綾斗の足音にアイザークは気がつき、振り向き様の赤い瞳が不気味な残光を引いた。


 ――彼我の距離は十メートル。


 意表をついたはずなのにアイザークに動揺は無く、静かな笑みで呪詛を唱えた。


「……クラシフィクション」


 しかし、サイトヴィジョンには何も映らない。


 はっとしてアイザークの目線を追うと、頭上に重力球が形成されていた。宙に空いた虚無の穴。その形状はまるで小型のブラックホール。


 体が自分の意志に逆らうような抵抗感。そしてついには動きを止め、宙に持ち上がる。


 それはガリレジオを宙に縛り付けていたのと同じ術。


 アイザークはフードを掻き揚げ、ナチュラルストレートの黒髪をなびかせた。

 歳は二十代後半。現実世界で言えば如何にも仕事が出来そうな、エリートコースまっしぐらのクールハンサムと言った感じの。


「コソコソ隠れていたのは君だね。その白装束。君が神か」

「だったらどうした」


 綾斗の声は堂々としたものだったが、ただの虚勢だ。

 不意をつくつもりが、罠にめられた。明らかに他のサーヴァントよりも柔軟性が高い。


 ――だが、これでいい。術者を無力化しても既に発動した術が解除されるとは限らない。俺の役目はあくまで注意を引くこと。


 外周に沿って高速で移動する孤影。綾斗は視界の端に捉えていたが、外壁の向こう側を低姿勢で翔るそれはアイザークの認識外。


 颯爽さっそうと飛び出したのはジャスティン。


 アイザークの死角、外壁の壁を垂直に蹴り着け、弾丸じみた速度で一直線に加速。空中でガリレジオをかすめ取り着地。

 アイザークが音に反応して首を向けた時、ジャスティンはすでに対側の外壁の向こう側へ飛翔していた。


 綾斗はその一瞬の隙を待っていた。


 ――今なら完璧な奴の死角。


 マスターアームで重力球を無効化。

 着地と同時に前進。

 アイザークは綾斗の狙いに気付き、視線だけを戻す。

 しかし、もう術式を唱える時間などない。


 故にアイザークが選択したのはサイドステップ。僅かに腰を落とし、重心を左へ傾けたのを綾斗は見逃さなかった。

 アイザークの着地点に合わせるように軌道修正。

 呼吸、筋肉、関節――それら細部の動きから、予想される未来が絞られていく。

 そしてすでに結末が視えていた。


 ――獲った。


 怒涛の連撃の第一手。威力を最低限にまで抑えた喉突き。


 ――こいつは他のサーヴァントとは違う。


 危険だと判断したからこその速攻の詠唱封じ。

 これがヒットすれば、乱れた重心を操るようにして地面に叩き伏せる。

 奴に躱す事はできない。それは確定した未来――のはずだった。


 綾斗が突き出した二指は虚しく空を切った。


 ――消えた⁉


 より正確に描写するなら、まるで見えないゲートに沈んでいく様な。


 ――そうか……転移術。


 綾斗のサイトヴィジョンでは既に発動した術は可視化する事ができない。

多くの共鳴術は発動した時点で誰の肉眼にでも捉えられるはずだが、重力系統の転移術は視覚では捉えにくい。


 つまり、転移門をあらかじめ展開していたのだ。

 この要塞を強襲した際に――。


 その可能性に気付いた綾斗は驚嘆きょうたんを制し、警戒を強める。


 ――やつの狙いは俺だ。必ず仕掛けてくるはず。


 綾斗はゆったりとサーベイスタンスをとり、死角に注意を払う。

 サーヴァントの足音や声に全ての神経を集中。何があってもまずは回避と、自分に言い聞かせる。

 しかし、綾斗の耳朶が拾ったのはスグリの声。


「綾斗! 上です!」


 空気抵抗ではためく黒ローブ。自然落下のまま滑空する漆黒の魔術師。


「グラヴィティ・レストレイン」


 同時にサイトヴィジョンを発動。無数に張めぐらされたグラヴィトンの格子。それが一斉に励起し、まるで光るプールに沈められたような感覚。

 すぐさまマスターアームを展開しようとするが――。


 ――なッ⁉ 体が……。


 先に発動したのはアイザークの重力制御術。範囲内の重力を通常の五倍にまで高め、対象を地面に縛り付け、拘束する。


 自重の五倍の重さがのしかかった綾斗は息を乱しながら膝を突き、せめてもの抵抗として顔を上げ睨みつけた。

 術の圏外から悠然と見下ろすアイザーク。


 ――まだ終わりじゃない。


 綾斗は瞬時に逆転の未来を思い描く。


 ――まずは呼吸を整えマスターアームで拘束を解除。重力操作で浮揚しているやつに強襲は仕掛けれらないが、遠距離攻撃をマスターアームで無効化していれば奴は必ず接近してくる。恐らく移動手段は転移術。サイトヴィジョンで転移先を把握し、現れたところをカウンターで制圧。不確定要素が多いが勝機はある。


 計略を読まれないように表情を変えず沈黙する綾斗。

 それをアイザークは抵抗を止めたと判断し問いかける。


「そのまま大人しくしろ。お前を捕えるように命じられている」


 ――命じたのは魔女だ。俺を生け捕りにする目的は不明だが……。


「綾斗! 逃げて下さい!」


 叫び、壇上に飛び降りたのはスグリ。その表情は硬く、声は震えていた。

 サーヴァントにトラウマを持つスグリは体を動かすのにいったいどれほどの勇気を振り絞ったのか。しかし、そんな心理状態で一体どんな術が放てるというのか。


「邪魔する者は排除するよう命令されている」


 スグリに凶悪な眼差しを向け右手をゆっくりと持ち上げるアイザーク。


 ――くっ、これが……最善か。


 意を決した綾斗はぐっと息を吸いこみ、


「止めろ!」


 と叫んだ。


 怒声じみた叫びに身の毛を奮え上がらせ、足を止めたスグリ。アイザークもぴたと右手を制止。


「止めろ、スグリ。もういい」

「でも、綾斗……」

「これでいいんだ。他に方法は無い」


 綾斗は視線に意図を込め、スグリの震える瞳に訴えた。


 それが届いたのかスグリは項垂れるように顔を伏せた。


「俺は抵抗しない。その代わり彼女には手を出すな」


 スグリだけじゃない。エソラを助けるにはもはや選択肢は無い。


「いいだろう。ゲートを開く。先に入れ」


 右手を掲げたままアイザークは式句を唱え、


「……アブリビエイション」


 で締めくくる。


 綾斗は不可視の現象を秘かに観測した。

 扉型の立体格子が遥か彼方にそびえる始祖山の山頂に向けて伸び、淡い光を放って消滅する。

 一見、不発に終わったように何も残らないが、扉があったところを注視すると、僅かに空間が揺らいでいるのが分かる。


「さあ、行け」


 重力拘束から解放され、ゲートの前に歩み寄り、足を止める。


「……どうした」


 ――サーヴァントが約束を守るとは限らない。


「ジャスティン! スグリを遠くへ!」


 一陣の風の如く颯爽と現れた黄色のハルバート使いがスグリを連れ去っていく。

 綾斗の意図を汲んで待機していたのだ。

 去り際に綾斗の名が呼ばれた気がしたが、蚊の鳴くような弱弱しい声は風と共に攫われてしまった。


「満足か?」


 まるで、小五月蠅こうるさい虫が消え失せたという程度の冷ややかさで放つ言葉に綾斗は、


「ああ」


 と短く答え、虚構を映し出したように揺れるゲートへと足を踏み入れた。

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