第12話 少女の覚悟


 暗闇に揺れて光る銀色の髪。

 そこから連想される女性はもうこの世にはいない。


 ――俺が助けられなかった人だ。


 またしても暗闇。だが怪しく光るのは金色の髪。


 ――誰だ?


 視界は霞がかったように朧気で。

 痛く肌に打ちつけるのは夜風か。


 ――寒い。ここは何処だ……。


 記憶と違う。あれは太陽が照り付ける暑い夏の日だったはずなのに。


 ――俺は……。


 ◇◇◇


 下半身から這い上がるような悪寒おかんを感じ、目が覚める。

 首筋を伝うのはじっとりとしたひどく冷たい汗。


 ――また、あの夢か。


 内容をほとんど覚えていないのはいつも通り。流麗な銀髪だけが記憶の底で揺れている。

 綾斗はベッドの上に横たわっていた。純白のシーツからは石鹸の香りが立ち、自然光が跳ねた。

 首を右に捻ると隣のベッドでスカイブルーの長髪の美少年がすやすやと寝息を立てている。


「ここは病院か……」


 呟くと左側でガタッと椅子が倒れる音。


「綾斗! 目が覚めたのですね!」

「スグリこそ、もう平気なのか?」


 その問いに答えはなく、ベットに横たわる綾斗にしがみつき嗚咽を漏らす。


「ごめんなさい……私、足手まといで……」


 綾斗は掛ける言葉が見つからず、代わりに優しくスグリの頭を撫でてやった。


「おお、綾斗殿。ブラドーシュが満たされた様ですな」


 ブラドーシュとは血糖の事。


 ――口の中が甘い。


 舌にねっとりとした樹液のような蜜が絡みついている。

 つまり糖分摂取により回復したという事だ。


 ――俺も低血糖症状を起こしたのか。


 認識すると頭のギアがかかり始め、戦闘の記憶がはっきりと蘇る。


 ……ファロム。


 グッと上体を起こし、病室を見渡すが彼女の姿はない。


 鉄製の薬研やげん生薬しょうやくをすりつぶすメイソン。

 ひざ元で泣き続けるスグリ。

 隣のベッドの見知らぬ美少年。

 そのさらに向こう側のベッドは空で――。


「まさか……」


 動揺で視界が揺れた。


 助けたと思ったはずの女性が出血多量で搬送後に死亡。


 綾斗のトラウマが顔を出そうとしたときだった。


「……重い」


「「えっ?」」


 スグリと綾斗が同時に声を上げた。

 何故ならその声は綾斗の布団の中から聞こえてきたのだ。

 足を伝うもぞもぞとした感触とむくむくとうごめくシーツ。

 綾斗はスグリに退くように手で合図し、布団を引っぺがした。


 萌黄色のもさもさセミロングから覗くコウモリのような耳。


「ファロム⁉」


「ふぁああ……おはようございます……綾斗様……」


 寝ぼけた口調に目も虚ろ。それよりも特筆すべきは艶やかな裸体。綾斗の下半身にしがみつき、当てつけられたそれの谷間が僅かに覗く。


「おはよう……じゃない。人の股間で何をやっている」


「私は綾斗様の虜になりました」


「……」


「何を言っているのですか、ファロム様」


 声を失った綾斗の代わりにスグリが突っ込んだ。

 しかし、ファロムは怯むことなく、こう主張した。


「メイソン師から聞いた。綾斗様は死にかけて抵抗できないファロムの衣服を剥ぎ取り、その裸体を見るだけでは飽き足らず、乳房ちぶさを鷲掴みにして食い入るように凝視したと。そしてファロムは天にも昇る様な快楽の中でイかされたのです」


 ――何一つ間違ってはいないが、その言い方だと……。


「な、な、何て破廉恥はれんちなッ! 綾斗は鬼畜ですかッ⁉」


 ――ほら、見た事か。


 耳の先まで真っ赤にさせたスグリからあらぬ疑いをかけられる。


「スグリが何を考えているかは知らんが、俺はただファロムを救おうとしただけだ。ファロムの鼓動をマスターアームで増長するためにはファロムのエスを満たす必要があったんだ」


 これでどうだとばかりにファロムを見やったが、まるで意に介していない。それどころか目をうっとりとさせて、綾斗の上半身に這いより、胸に顔を預ける。


「綾斗様の鼓動、気持ちいい。体が安らいでいく」


 そんな風に言われたら無下にはねのける事も出来ない。

 小ぶりな二つのそれが艶めかしく地肌を滑る。息荒くした少女から滴る汗が潤滑じゅんかつ剤となって肌に吸い付く。


 ――本当に体力回復の効果があるなら、このままにしてやるべきなのか。


 しかし、ファロムのエスは中断した。


「こら、ファロム。綾斗様の精気を吸い取るつもりか」


 そう言ってジャスティンが綾斗から引き剥がしたのだ。

 じたばたと抵抗する年上の幼女を抑えつけ、隣にいたレイドが略式敬礼のポーズを決めて口を開く。


「綾斗様、ご無事でなによりです!」

「ああ、レイドとジャスティンも無事でよかった。……そうだ、グレゴーリの姿が見当たらないんだが……」


 二人の目線が同じ方向に流れる。


「誰か僕の名前を呼びました?」


 声のする方を見やると美少年と目が合った。

 目を覚ましたばかりなのだろう、半目に開いた瞼と垂れた口角が妙に色っぽい。

 上半身の殆どは包帯で巻かれ、胸板は薄く四肢も細い。胸部が露見ろけんしていなければ女性だと誤認していたであろう眉目秀麗びもくしゅうれいな顔立ち。

 綾斗は肩の包帯を見てようやく気がついた。


「まさか、お前がグレゴーリなのか?」


 視線を合わせたまま空気が止まった。

 やがて瞼に隠されていた美しいターコイズの全貌ぜんぼうが現れ、スカイブルーの間で揺れる。

 完全に覚醒したグレゴーリは見る見るうちに赤面し、そっぽを向いた。


「す、すす、すみません。僕なんかが口をき、聞いてしまって……」


「いきなり、顔をそむける方が失礼じゃないか? グレゴーリ」


 その様子を見ていたジャスティンがニヤニヤ顔で口を挟む。


「頼む。こっちを向いてくれないか。助けてくれたお礼は面と向かって言いたいんだ」


 綾斗は真剣な声色で心意を伝えた。

 するとどぎまぎしながらもグレゴーリは赤ら顔をゆっくりと向ける。が、視線は天井や床の方を行ったり来たり。


 グレゴーリが極度の恥ずかしがり屋であることを綾斗は聞いていた。ならば、これ以上の無理はさせられないと、頭を下げ、感謝の辞を述べる。


「身を張って助けてくれてありがとう。あの勇敢な突撃が無ければ俺は死んでいた」

「そんな……もったいないお言葉。騎士は守るのが務めですから。それにあの時は夢中で、名前を呼び捨てにしてしまってすみませんでした」


 ――あの時? そうか、あの時俺を呼び止めた高い声はグレゴーリだったのか。


「そんな事を気にする必要はない。むしろ、呼び捨てにしてくれた方が俺も荷が軽くなる。それに年も近いんだ、この際だからみんな俺の事を綾斗と呼び捨てにしてくれ」


 突然の提案に騎士達はお互いの顔色を伺い始め、場は静まり返る。


 そして、その沈黙を破ったのはレイド。


「しかし、それは……」

「いいじゃねえかレイド、綾斗もああ言ってる事だしさ!」

「お前は順応が早すぎだろ!」


 まるで漫才コンビのようなその一幕に一同は笑いを堪えられなかった。あのグレゴーリさえも声を出して笑った。

 ファロムは綾斗の名を舐める様に何度も口にしては目をウットリ。何故かスグリはどこか残念そうな微妙な表情をしていたが、空気に流されるように祝福の笑みを浮かべた。


 ――やっぱりだ。こいつらは単なるAIなんかじゃない。感情を持った人間だ。


 どんな機序で人格が構成されているのか、システム的な所は一切分からないが、綾斗は感覚的にそう思った。



「ほっほっほ。その様子じゃと鎮痛剤が効いておるみたいじゃな」


 メイソンは朗らかに笑んだが、すぐにきっと眉間のしわを深くした。


「綾斗殿、水を差すようで申し訳ないが、憂慮ゆうりょすべき事態をお話しせねばなりません」


「憂慮すべき事態とは?」


「対峙した三人のサーヴァント。彼らは第一部隊。すなわち転移術のアイザークを含む部隊だったのですじゃ」


 綾斗は目を見開いた。


 アイザークの転移術が唯一の移動手段。それが絶たれてしまえば三日以内に魔女を捕縛するという目的が果たせなくなる。


「船内にアイザークの姿はなかった。逃げ延びてくれたことを祈るしかありませぬ。それと今回の一件を知らせるため、昨日の内に白砂の要塞に使者を送りました」


 ――昨日? という事は今日は三日目。


 時計を見ると十一時を指していた。窓から見える青空から察するに昼間の十一時。

 この世界に来たのが、現実世界で夜の十一時――首都と約十二時間の時差があるこの地域の時間に直すと午前十一時。


 つまり、丸二日が経過したことになり、残り時間は二十四時間。


 とは言え圧倒的な戦力差を埋めるためには夜襲は前提条件。戦闘が長引く事や撤退に時間が掛かる事も考慮すれば、決行のタイミングは首都オートレデンの夜明け前。


つまりこれから七時間以内がベストだ。


「伝令を待つよりも白砂の要塞に戻った方が良さそうです。動ける者だけで今すぐ向かいましょう。レイド、ジャスティン、引き続き同行を頼めるか?」


「ウィ、ムッシュ。もちろんさ、綾斗」

「右に同じく」


 綾斗は会釈し、向き直る。


「メイソンさん。ファロムとグレゴーリ、それからスグリの事をお願いします」


「医療者の立場からは綾斗殿には安静にして頂きたいのじゃが、致し方ありますまい。三人は儂が責任をもって――」


「私も行きます!」


 メイソンの誓い立てに割って入ったのはスグリ。

 不意をつかれ驚くも、綾斗は冷静に説き伏せる。


「状況が変わったんだ。サーヴァントは俺を狙ってきた可能性が高い。これ以上の同行は危険すぎる」


 言わなくても分かり切っている事。ここにいる誰もが納得できる理由だ。


「でも、綾斗……」


 俯き声を震わせるスグリ。綾斗は敢えてサーヴァントの名を口にした。彼女にとっては耐え難い苦痛を引き起こすと知っていて。

 綾斗は心を鬼にしてにらんだ。


「また、例の発作を起こされては敵わないからな」


 心が痛まないと言えば嘘になる。

 しかし、本当ならレイドとジャスティンを道連れにすることも忍ばれる状況。巻き添えで誰かが死ぬことなどあってはならない。それ故の恫喝じみた物言い。

 はっきりとした拒絶の意を込めたつもりだった。


 なのに――。


「私は綾斗から離れません。もう嫌なんです。御使いすべき人を失うのは……。私はずっと後悔しています。どうしてヴィアンテ様と一緒に残らなかったのかと……」


 つぶらな瞳に浮かぶ涙に映るのは過去の自分に向けた憎悪。今の自分ではなく、あくまで別の何かを責め続けなければ生きている事を享受きょうじゅできない程の強い悔恨かいこん


 ――スグリも俺と同じ……なのか。


 綾斗とスグリだけではない。そこにいる誰もが後ろめたさを抱えて生きていた。


 弟子に先立たれた老翁ろうかい

 守るべき主君に命を助けられた騎士。


 無力さを嘆く声が静寂せいじゃくを通して聞こえてくる。


 ふと、エソラの手を掴み損ねた右手が疼き、黙らせるように強く握りしめた。


「命を懸ける覚悟があるのか?」


 それは自分自身にも投げかけた問いかけ。力なく項垂うなだれていた栗鼠耳がピクンと跳ね上がる。

 スグリは涙を拭って、


「勿論です!」


 と朗々と答えた。


「私は綾斗が戦う姿を見て気付きました。恐れるべきは死ではないと。だから、もう大丈夫です」


 スグリの声から震えが消えていた。

 迷いのない栗色の瞳に見据えられ、綾斗は困窮こんきゅうした。


 ――断る理由は明確なのに、突き付けるべき言葉が見つからない。


 その隙を逃さず、スグリはさらに付け加える。


「それに綾斗の傍に居るのが一番安全ですからっ」


 皮肉など欠片も入り込む余地のない無垢むくな笑顔に、場の空気が和らいだ。


 ――こいつは俺を信じきっている。何があっても魔女の悪意に屈しないと。サーヴァントになど負ける訳は無いと。


 スグリは確信していた。絶対に抗えないと思っていたサーヴァントを制圧してみせた綾斗は希望そのもの。彼に尽くす事が唯一の償いなのだと。


 ――過剰な希望を抱かせてしまったのは俺の落ち度。だが、それでスグリがトラウマから解放されるなら……。


 デザートコールまでの距離は百キロメートル。を使えば時間はさほどかからない算段。


 ――移動さえ終えてしまえば要塞にいる方がむしろ安全か。


 綾斗は遂に観念し、「わかった」と溜息混じりに頷いた。

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