第11.5話(旧第11話後編) 蘇生


 綾斗は刻一刻と移り変わる戦況を再度確認する。


 防戦一方である事に変わりないが、二対一だけあって、レイドとジャスティンの方がまだ優勢。回避に徹する事で力の消耗を抑えているのだ。


 ――なるほど、エネルギー切れを狙う作戦であれば、傷付けずに制圧できるという訳か。


 彼らが冷静な判断力を失っていない事に、綾斗が幾ばくか安堵あんどした時、耳をつんざくような爆発音が轟いた。


 呼吸を乱す事を覚悟の上で疾駆した。よろめき崩れ落ちるファロムの元へ。


 宙を舞う粉塵と辺りに散らばる幾つもの氷塊が戦闘の苛烈さを示していた。


「ファロム!」


 抱きとめ、そう呼びかける。

 虚ろな目を開くファロム。

 見たところ外傷はない。


 ファロムが陥っていたのは共鳴術の過剰使用による副作用。

 共鳴術を使用する時、エネルギーとして血糖が消費される。故にその症状は低血糖症状と同じ。まだ動悸どうき冷汗れいかんは無いが、強い倦怠感けんたいかんが彼女を襲っていた。


 綾斗にはそのような詳しい機序など見当もつかなかったが、安静にすべきだという事ぐらいは理解できた。


「じっとしていろファロム。もう何もしなくていい」


 瞼を懸命に持ち上げ、小さな唇が動いた。


「もう……攻撃呪文は無理。これが精いっぱい……アクセラ」


 グラヴィトンを示す格子状の光が綾斗の体に張り付き僅かな閃光を放って溶ける。


「あいつの共鳴術は遠距離広範囲。綾斗様は不利。それで……逃げて……」

「ふざけるな! 仲間を見捨てて――」

「ふふっ……綾斗様はばか……。疲れたから……少しだけ……寝かせ……て……」


 すーすーと寝息を立てて腕の中で眠るファロムは子供のように愛くるしい。


 だが、感傷に浸っている時間は無い。


 宙を舞っていた塵芥ちりあくたは風にさらわれ、対峙すべき敵が姿を現す。

 金属の胸当てを光らせる黒髪のアーチャー。眼光は赤く殺意がこもる。

 術の相性か、エネルギーの絶対量の違いかは見当もつかないがサーヴァントには疲労の色は見られない。

 それでもファロムの奮闘ふんとうは無駄ではなく、矢筒は空。彼我の距離は百メートル。

 いっきに距離を詰める事さえ出来れば勝機はあった。


 ――ファロムが最後の力を振り絞って唱えてくれたアクセラを無駄にはしない。


 小さく柔らかい体をそっと寝かせ、目標を見据える。

 半身になってすっと腰を落とし、その下向きの力を跳ね返らせるように飛び出した。


 たった一歩の感触で綾斗は術の本質を理解した。


 体が軽くなるのは術をかけれらた瞬間に感じた事。しかし、その軽さとは無重力のようなふわふわしたようなものではない。

 例えるなら空間との抵抗が減衰げんすいしているような感覚。

 さらに言えば空気抵抗ではなく、空間そのものの抵抗。


 まるで世界を置き去りにするような快哉かいさい


 粉塵を突き破った綾斗はさらに一歩踏み込み跳躍し、明瞭めいりょうな視野の元、観察を再開する。が、


 ――何のつもりだ?


 サーヴァントは唯一の武器である弓を躊躇ちゅうちょなく投げ捨てた。

 降参などありえない。それは奴の殺意からして明白。

 微細な唇の動きを綾斗が感知した。


 ――詠唱⁉


 すぐさまサイトヴィジョンを発動。グルーオンを示す球体状のフィブリルが視界を埋め尽くす。

 広範囲所どころではない。同心円状に展開されたそれは、一旦射程範囲に入ってしまえば左右はおろか上にも後ろにも避ける事は出来ない。


 ――だが、今ならまだ回避できる。

ファロムの話によるとグルーオン系の攻撃呪文は高威力・広範囲のものが多いはず。避けるなら次の一歩で減速,、その次の一歩でバックステップか。


 回避パターンの未来予想図が幾通りも浮かぶが、いずれにせよ冷静に考えれば回避の一択。


 しかし、綾斗は減速せず、大地を蹴った。


 この一撃を突破しない限り、奴には近づけない。何より無防備なファロムが標的にされてしまえば助ける事はできない。故に引き下がれない。


 敢えて火に飛び込むという護身とは程遠い思考過程。だからこその不退転コンビクションスタンス


 綾斗は真の戦闘というものを知りつつあった。


 それに決して無策で飛び込んだわけではない。



 彼我の距離七十メートル。技の射程距離まで僅か一メートル。


 ――次の一歩が要。


 綾斗はこの時だけはS.C.Sの呼吸法を忘れ、吸い込んだ息を爆発させるように叫び、力の限り地面を蹴りつけ飛翔した。


「うおぉおおおおお!」


 グルーオンを示す球体は中心に寄り集まり、互いに腕を伸ばすように捻じれながら組み合わさっていく。

 魚雷原に入ると同時にマスターアームを発動。突き出した右手がグルーオンの核を捉える。

 マスターアームを発動した瞬間にアクセラも解除されてしまったが、それを考慮した上での全力の飛翔。瞬く間に距離を縮めた。


「ニュークリヤ・エクスプロージョン」


 完璧なタイミングで発動したサーヴァントの爆裂呪文。

 その威力はウィークボソンに干渉し空気から錬金された可燃性のガスを発火させるだけのファロムのプロミネンスをはるかにしのぐ、核融合による爆破。

 人はおろかドラゴンでさえもまともに喰えば肢体を留めるのは難しかった。



 ◇◇◇


 激しい爆音により目を覚ましたファロムはぼやける視界でその現象を眺めていた。

 赤黒い爆炎、荒れ狂う炎。地獄の業火と呼ぶにふさわしい光景。


 ――これは……夢……。


 そうでなければ目の前の事象を受け入れられない。

 だがその瞳に映るのは決して不吉な兆候ではなかった。


 不可避の業火が左右に割れ、その中を悠然と突き進む黒マントの人影。


 ファロムは静かに微笑んでゆっくりと目を閉じた。



 ◇◇◇


 爆裂時の凄まじい閃光でさえも、綾斗の瞼を閉じる事は出来なかった。

火の海を越えた綾斗はすぐさま、呼吸を整える。


 ――彼我の距離十メートル。


 魔女に心を支配されたサーヴァントに感情というものは無いに等しい。ただ周囲の動きに対して特定の行動を起こすだけの、まさにAI。

 だがそれ故に規格外の現象をインプットされた時、存在しないはずのアウトプットを彷徨うように検索し続ける。


 未曽有みぞうの危機が迫るほどに加速する思考。


 だが実際起こっている現象はそのパラドックス――すなわち思考停止。


 綾斗が下から突き出した右手がサーヴァントの首筋に吸い込まれるように伸び、頸動脈洞を左右同時に圧迫。実にあっけなく機能を停止させる。


 二人目のサーヴァントを制圧した。


 だが、まだ終わりではない。もう一人のターゲットは未だ健在。


 術者が沈黙してもなお燃え続ける炎を迂回うかいした最短距離で加勢に向かった。



 ◇◇◇


 ちょうどその頃、レイドとジャスティンは確実に忍び寄る死の気配を感じつつあった。


 サーヴァントの得物はビル解体用クレーンにぶら下がっているような巨大な鉄球。それを鉄鎖で右腕のガントレットに接続し、豪快ごうかいに振りまわす。


 軌道こそは読みやすいが、アクセラで加速したその動きは革鞭の如し。

 鉄球はおろか鉄鎖でさえ触れれば致死的。

 つまりは同心円状に展開された半径五メートルが敵の攻撃範囲。


 ジャスティンの高速突きであれば間隙かんげきをかいくぐり致命的な一撃を加える事が可能だが、元より不殺の戒めに縛られるため、殺人を前提にした詠唱は出来ない。


 したがって現実的な策はこちらもアクセラで高速化し、攻撃を躱し続ける事。


 綾斗の読み通り、相手のエネルギー切れを待つ作戦だが、これには一つ大きな問題があった。


 防戦一方の戦いの中、サーヴァントが使用するのはアクセラのみ。そしてこのアクセラは消費エネルギーが少なく、この均衡状態が続くと仮定するなら半日ほども攻撃を躱し続けなければならない事になるのだ。


 一撃一撃が死の恐怖を呼び起こす程に重たい攻撃。


 レイドとジャスティンの気力は既に限界を迎えようとしていた。

 アクセラの詠唱の途絶はすなわち死を意味していたのだが――。


 ファロムとグレゴーリがどうなったのか確認する余裕もないほどに神経を擦り減らし、エスを維持する事に集中する。


 しかし遂にほころびが現れた。


「……アクセラ」


 加速術は時間と共にその効果が減衰する。つまり、一定間隔でかけ直さなければならないのだが、ジャスティンの声は虚しく響いただけだった。


 ジャスティンのエスは『陽気』。これまでそれを維持できていたのが不思議なくらいだった。


 黄色髪の騎士は静かに悟り、レイドに提案する。


「レイド、俺にいい案がある」

「ッ⁉」

「俺がやつの気を引いている内に逃げろ」

「馬鹿を言うな! そんな事ができるか!」

「俺に出来るのはもう……それぐらいなんだよ」


 にやけ顔を作るジャスティン。だが、その横顔は余りにぎこちない。

 レイドは悟った。ジャスティンが既に共鳴術を使えない事を。


「馬鹿野郎! それなら俺がお前の分も唱えてやればいいだけだ!」


 レイドは吼え、唱える。が、何の効果も得られない。

 アクセラは自分に使用する時と対象を別にする時で発音などの微妙な編纂へんさんが必要となり、後者の方が難易度が高い。

 だが、問題はそこではなかった。


「レイド、お前もみたいだな」

「そうか……なら、ちょうどいい!」


 二人は頷き合い、構えた。


 人間に攻撃できないなら攻撃対象を得物にすればいい――。


 この突飛な案は二人の間で早々に否定されたものだったが、もはやそれしかないと暗黙の内に採択された。


 二人が一斉に逃げ出せばサーヴァントは必ずどちらかを標的にし、一人は助かる。

 レイドとジャスティンにとって恐ろしいのは後者の方。

 仲間を犠牲に逃げ延びるなど騎士としての誇りを踏みにじる恥ずべき行為。


 逃げ伸びた後の屈辱は半年前に痛いほど味わった。


 守るべき姫に、逆に守られ生き永らえる恥辱を――。


「うおおおぉおお!」

「はあああぁああ!」


 裂帛の気合を乗せ、同時に飛び込む。


 打ち下ろされる鉄球。それを左右に避け、互いの斬撃を交差させるように鎖に打ち込む作戦。


 鉄鎖が伸び切った一瞬にほぼ同時に斬撃をぶつけるのは至難の業。それでもやるしかないと、目線で呼吸を合わせ、背水の覚悟で左右に飛んだ。


 だが、サーヴァントは突如鎖をしならせ、縦軸の回転を無理矢理、横薙ぎへとシフトした。


 既に左右にステップを踏んだ二人に避ける術はない。


 死を悟った二人には周りの景色がほとんど止まった様にスローに見えた。唯一人、サーヴァントを除いて。


 時間と空間を置き去りにして迫る鉄塊。



 が、その時、一筋の光がサーヴァントの紅眼を穿った。


 綾斗が無詠唱で放ったレイ・ストライト。

 サイトヴィジョンによりフィブリルを予測線に見立て、鉄仮面の僅かな隙間を突く精密射撃を行ったのだ。


 サーヴァントは思わぬ不意打ちにノックバックし、反射的に両手で視界を覆う。ガントレットに直結している鉄球は手前に引っ張られ、レイドとジャスティンの眼前を通過した。


「後は任せろ」


 固まる二人の間を黒マントが駆け抜けた。


 早くも態勢を立て直したサーヴァントはバックステップ――アクセラによる大跳躍で十分な距離をとり、構えた。

 駆けつけるまでに遠方から動きを観察していた綾斗には攻撃パターンが読めていた。


 手前から斜め上後方に振り上げた姿勢。これは横薙ぎの予備動作。つまり姿勢を低くすれば避けられる。


 だが、奇妙な肩関節の動きが別の未来を予見させた。


 放たれたのは斜め振り下ろし。

 綾斗は寸でのところでサイドステップに切り替える。

 高度なフェイント。このサーヴァントはAIレベルで言えばアドバンスド。

知能に個体差がある事を把握しつつ、綾斗の脳裏で勝利への道筋が紡がれた。


 地面に撃ち込まれた鉄球が轟音を響かせ、土塊を抉り飛ばす。

 赤土に深々沈んだ鉄球を剛腕が引き戻そうとするがピクリとも動かない。


 綾斗がマスターアームで得物に触れ、秘かにアクセラを解除していたのだ。


 ――これで終わりとは思っていない。


 サーヴァントの腰。その左右の脇差し。刃渡りは両方ともコンバットナイフ程度の長さ。


 ――やつは必ずそれで迎撃してくる。


 瞬間。姿勢、距離などから幾つかの交戦パターンを想定。勝利を確信する。


 ――獲った。


 それは決して油断ではなかった。が、見落としていた。


「綾斗! 避けて!」


 聞き覚えの無い高い声。

 だがその声のおかげで綾斗は音を意識する事ができた。

 兜の向こうから聞こえる呪詛のような低い声を。


 ――詠唱かッ⁉


 だが、気づくのが遅かった。

 サーヴァントの左腕は腰ではなく前方に突き出された。ガントレットの甲にははめ込まれていた小鉄球が外れ、レールに乗る。


「コンテュニアス・カレント」


 それはフォトンの応用、電流を生み出す共鳴術。

 レールを伝う電子は小鉄球を通過。ローレンツ力により爆発的な推進力を得て進む。

 つまりはレールガン。文字通りの隠し玉。

 初速5000キロメートルにも及ぶその圧倒的速度を躱すことなど不可能。

 励起れいきするフィブリルの範囲が余りにも狭かったため、綾斗は前もって視認する事が出来なかったのだ。


 唐突とうとつ過ぎて後悔する時間すらなかった。

 綾斗はただ、撃ち抜かれる未来を想像した。


 ――俺はここで……。


 その瞬間、思考は停止。

 だが、恍惚こうこつとした綾斗の瞳の端に何かが映り込んだ。


 それは鋼鉄鎧の重戦士、グレゴーリ。



 数秒前――加勢しようとアクセラで高速化し、接近。鉄球使いの手の内を知っていたグレゴーリは勢いそのままに割って入ったのだ。


 そして盾を持たぬ戦士はその身を以て弾丸を受けた。


 小鉄球が左肩に着弾した瞬間に爆発じみた砲声が響く。

 波打つ衝撃は装甲を変形させるだけでは飽き足らず、グレゴーリの血肉を抉った。


 その結果、弾丸は本来の軌道を逸れて綾斗の顔の僅か数センチ先を通り過ぎる。

 触れてもいないのに頬が僅かに割け、血筋が伝う。

 痛みは感じない。綾斗にはグレゴーリしか見えていなかった。


 砕かれ宙を舞う甲冑の残骸。剥がれた装甲から覗く体は意外にも細い。肩の傷は骨に達していそうなほど深く、皮膚および皮下組織は欠損。鮮紅色が渇いた空に弧を描いた。


 サーヴァントを含め、一同は沈黙。



「グレゴーリィィィ!」



 レイドが静寂を切り裂くかの如く彼の名を叫んだ。

 後方に吹き飛び、力なく地面を転がり制止したグレゴーリにレイドとジャスティンは血相を変えて駆け寄っていく。


 綾斗はその光景を視界の端に捉えていた。

 だが、駆け寄る事はしなかった。本当は今すぐにでも傍に行きたい。謝って、謝ってただ生き延びてくれることを祈りたかった。

 その截然たる思いを異常なまでの冷徹で噛み殺した。


 ――今、目を背ける訳にはいかない。まだ制圧は完了していない。


 抵抗を見せる余計な感情を涙で押し流し、瞼で弾く。網膜の中心にはサーヴァントが映し出されていた。


 前方に力無く倒れるような動作から最後の特攻を仕掛ける。

 深い呼吸と共に姿勢を低くして敵の間合いに入る。

 サーヴァントは両腕をクロスさせるように脇差しを掴む。

 地を這うように猛進する綾斗に対して抜きざまのクロス斬りでその首を刈り取ろうと刃を滑らせた。


 凶刃が喉にかかる寸前、綾斗は地面を強く踏み込み、その反動を乗せて両掌で突き上げ。

 軌道をずらされたサーヴァントの拳は中心でぶつかり、ナイフはこぼれ落ち、両腕は上方にかちあげられる。


 しかし、サーヴァントは素早く機転を利かせ、宙で両手を組み、自重を乗せたスレッジハンマーを振り下ろす。

 くらえば、良くて頭蓋骨陥没かんぼつの一撃が無防備な頭頂部めがけて迫った。


 だが、これは綾斗に誘導された動き――。


 死角からの鉄槌をノンルックで右に躱しつつ、左手で敵の肩を掴み押し下げる。既に前のめりになっていた相手は成す術もなく前方に倒れ始める。

 加えて綾斗は肩についた左手を軸にして飛びかかり、倒れつつあるサーヴァントの背後をとった。


 ほぼ地面と直行する角度で放たれる掌底突き。

 顔面が地に打ち付けられるタイミングに合わせての正確無比な打ち込みで、凄まじい衝撃がサーヴァントの頭蓋を揺らした。


 そして完全に沈黙。


 ――制圧完了。



 流石の綾斗も怒涛どとうの三連戦で息が切れ、膝をついた。



「メイソン様! グレゴーリの止血を!」


 ジャスティンの機転により、メイソンがグレゴーリの治療を開始する。

 綾斗は息を整えながらその様子を伺った。


「カーボニゼーション」


 メイソンが唱えるとグレゴーリの傷口は染み出すような黒色の物質で塞がっていった。


 カーボニゼーションは水を炭化させるウィークボソン系の錬成術。血液中、あるいは細胞液中の水分を炭化させる。つまりは電気メスで患部を止血処置したようなものだ。


「組織の再生には時間が掛かるが、命に別状はないじゃろう」


 その言葉を聞いて初めて緊張が解けた。


「後はファロムじゃな。レイド、あ奴を連れて参れ」

「はっ!」


 ほこらしげに胸に拳をあてたポーズで敬礼を決め、彼女の元へ駆けて行った。

 ファロムは眠っているだけで心配はない。


 綾斗はそう思っていた。


「メイソン様! ファロムが……息をしていません」


「何じゃと⁉」


 誰もが耳を疑った。

 綾斗の脳はその現実を受けとめられず、レイドが抱える小柄な少女を呆然と見下ろしていた。


「そこへ寝かせるのじゃ。脈は……かなり弱い。それに冷汗。これは間違いなくブラドーシュの欠乏。共鳴術を使いすぎたんじゃ。初期症状のうちは糖分を摂取すれば回復する。じゃが、症状が進みすぎておる。心臓が止まるのも時間の問題じゃ……」


 綾斗の脳裏にファロムと交わした最後の光景が呼び起こされる。

 彼女が無理をして唱えてくれたアクセラ。そのおかげでサーヴァントの爆撃を切り抜ける事が出来た。言い換えれば、自分の代わりにファロムが死ぬ……。


「駄目だ! 死ぬな、ファロム!」


 綾斗は叫んだ。


「メイソンさん、何とかならないんですか⁉ 今すぐ糖を摂取させれば……」


 首を横に振るメイソン。掌には緑の小瓶。


「こういった事態に備えて糖蜜は携帯しておる。じゃが、ファロムは既に嚥下できる状態ではない。頬の粘膜から吸収させるにしても、とても間に合うとは思えませぬ」


 それでも綾斗は食い下がった。


「そうだ! 電気ショックは⁉」


 無理やりにでも心臓を動かし続ければ時間稼ぎくらいにはならないか。


「それは不殺の戒めに反する行為。我々には手の施しようがありません」


 俯くメイソンを庇うようにレイドが述べる。


 『我々には手の施しようがない』とは、つまり神には出来るということ。


 ――くそ、くそ、くそ……。


 術を使えない自分の無力さが腹立たしい。


「綾斗様、もう諦めるしかありません」


 レイドはそう説き伏せながらも拳を震わせている。綾斗と同じく体が現実を拒否しているのだ。


 悲しみに包まれる中、ファロムの皮膚は青白さを増し、命は今にも尽きようとしていた。

 それでもまだ、彼女は生きている。

 首に手を当てると小さな心臓の拍動が脈管を通して伝わってきた。


 ――心臓の……拍動……。そうだ……まだ終わりじゃない!


「何をなさるおつもりですか⁉」


 メイソンが困惑したのも当然。綾斗はファロムのローブをはぎ取り、胸元をあらわにした。


「ファロムのエスは快楽ですよね⁉」

「そうじゃが――」

「他に方法が無いなら俺にやらせてください!」


 綾斗の仮借かしゃくの無い勢いに誰も文句を言えなくなった。


 ――自分でも最低の方法だと思う。だが、他にやり方が思いつかない。


 なだらかな谷間の両脇。その小ぶりの果実に手を伸ばし、優しく触れた。

 もちろん綾斗には肉欲など欠片も無い。心を支配していたのは冷徹さ。『それ』を観測するために。



 ――見えた。


 ファロムの白い肌。その剣状突起けんじょうとっき下――心臓がある位置に弱弱しくも光が見える。


 エスが満たされた時に生じるのがベース。ベースは心臓の鼓動。そしてベースによりフォトンへの干渉が可能になる。なら、その逆は――。


 フィブリルは波。基本の力毎にその形状が多少変わっていたとしても、その本質は波だ。マスターアームはその波に対称な波形をぶつける事により相殺するというもの。だが、メイソンは言いかけた。


 その逆もまた――可能だと。


 ――どうやって消滅の力を増長に変えるのか分からない。だが、やるしかない。


 か細い光に手をかざす。蝋燭の小さな炎を消さないように、優しく包み込むように。

 そして切々として願いを込めた。


 ――死ぬな、ファロム!



 トクンッ……。


 掌に伝わる微弱な振動。それは一拍毎に強さを増す。。

 綾斗の眼にだけ見える光。その微かな光を逃さないように包み込む。

 心臓マッサージのイメージで、拍動に合わせ優しく打ち返す様に。


 何度か弾ませた時、光が溢れ出し、それはやがて誰の眼にも映るほどの眩しい輝きを放った。

 呆然と見入っていたメイソンはハッと我に帰る。脈をとり、驚きの余り飛び退く。


「これはなんという事じゃ……」


 すうう。


 ファロムの胸がゆっくりと上がり、下がる。

 呼吸機能の回復。そして――。


「あったかくて……気持ちいい……」


 目も空けずに寝言のように呟き。再び寝息を立てる彼女の表情は安らかで、頬は血色の良い桃色。それは綾斗が望んだ結果そのもの。


「これはまさに失われた秘術……リザレクション! 何という奇跡じゃ……」


 この国にはかつて神族が使用し、現在はその術式が失われてしまったものが幾つか存在する。その内の一つを綾斗は偶然にも再興さいこうしてしまったのだ。


 だが、綾斗にとってそんな事はどうでもよくなった。安堵と共に押し寄せるのはあらがえない疲労感。


「ファロムの事を……お願い……します」


 突如降りて来た闇に視界を奪われ、さび臭い地面に倒れ伏した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る