第11話(旧第11話前編) 安全装置


 荒野で相対するメイソンと綾斗を四人の騎士とスグリが見守る。


「これからレイ・ストライトを放つ。無論、無詠唱でじゃ」


 綾斗が頷くとメイソンは祈りを捧げるように両手を組んだ。続けて綾斗も戦闘態勢に入る。

 地平に薄く纏わりつく土煙、サボテンに似た有針植物、時折吹き抜ける風に西部劇の決闘のような雰囲気が漂う。

 綾斗はただひたすらに集中した。


 異常な現象を観測する事に――。


 そしてついに綾斗の瞳は蛍光色を映し、緑色の淡い光を帯びた。


 それは幽霊の様だった。

 フラフラと揺れる細い糸。目を擦りたくなる衝動を抑え、注視し続ける。


 すると次第に振幅が大きく、それは波と呼べる形状へと変化。輝きが最高潮に達する瞬間、綾斗は半身を引いた。


 音も無く通り過ぎるそれは疑いもなく世界最高速。如何に動体視力を鍛えた綾斗でも発動後に目視で躱すことなど不可能な光の槍。


 だからこそ、それが力の証明になる。


「おお、なんと!」


 メイソンの眼には驚きと共に希望がたたえられていた。


 好奇心を抑えられなくなったメイソンは次々に課題を出した。様々な術を試し、綾斗に観測させたのだ。



 その結果、術の系統によりフィブリルの見え方に差異がある事が分かった。


 フォトンは波打つ曲線。

 グラヴィトンは立体格子状。

 ウィークボソンは霧状。

 グルーオンは球状。


 実際はこれらが立体的に折り重なって観測されるため、複雑だが、攻撃範囲やある程度の予想はたてられる。

 全ての系統はベース――基線振動を軸に構成されている事がサイトヴィジョンの原理と関係している。そうメイソンは結論付けた。

 ベースの条件を満たせばフォトンに干渉する事が可能になる。したがってフォトンにしか適性の無い綾斗でも術を発動し観測できるという訳だ。


 そして検証は次の段階へ進んだ。



「それではもう一つの能力――術無効化の立証じゃ。正直なところ、これはまだ完全には信じておらぬ。レイ・ストライトの光を物理的に手で遮っただけなのではないかとな。じゃが、言わずとも分かっておる。その反証を否定するための実験じゃ」


 スグリやその他全員を牽制し、メイソンは再び祈りの構えに移った。


「さすればその時と同様にワシの術を掻き消してみせよ」


 先ほどと同じ手順で光の曲線が励起され、より強い振幅へと変わっていく。

 不殺の戒めがある以上、殺傷能力は無いはず。それでもレイド戦の時と同様に緊張が走り、それを冷徹さで抑え込む。


「レイ・ストライト!」


 その詠唱がある種の合図となり、全員の緊張が最高潮に達したのとほぼ同時。綾斗は右手をすっと伸ばした。


「消えろ」、という明確な意思を持って。


 その結果、光の槍は触れた瞬間に音もなく砕け散った。

 威力を抑えたレイ・ストライトは元より直撃しても僅かな熱を帯びる程度。しかし、綾斗にはその手応えさえも無かった。

 ただ無に帰った。もともと幻だったと言うかのように。


「おお、これは紛れもない。綾斗殿のみが使える固有術。名前は何としましょう!」


 鼻息荒く興奮するメイソン。

 突然与えられた命名権を綾斗はメイソンに託した。


「身に余る光栄。それでは伝説になぞらえて『マスターアーム』というのはいかがでしょう。古代語で『全てを制する神の手』という意味です」


 マスターアーム。それは軍事用語では安全装置を指す。綾斗にとってそれはとてもしっくりときた。


「ぴったり……かもしれません」


 それを聞いてメイソンは顔を綻ばせた。


 それからすぐに真剣な表情を湛え、検証を再開した。

 その結果、他の系統の術にも応用が利き、フィブリルの完全励起前でも術を打ち消すことができると判明した。


 メイソン曰く、術の発動前に無効化出来る事が戦術的にかなり大きいという。

 重力系統で発動後の技を逸らす術は存在するが、発動前に無効化できる術はマスターアーム以外に無く、おまけに無詠唱。魔女の意表を突くことが出来るという訳だ。


 サイトヴィジョンとマスターアーム。この二つの能力が魔女打倒のカギになることは間違いなく、全員の心に希望が湧き始めた。



 それから僅かな休憩を挟んだ後、次のステップに進もうとメイソンが提案した。


「次のステップ?」


「はい。マスターアームの原理は恐らくベースへの直接干渉。例えるならフォトンの波を鏡写しの波で相殺する様なイメージでは無いかと。つまりその逆も――」


 メイソンが突如言葉を切り、おののき見つめる先を全員が追った。


 自然の防壁ダストデビルに巨大な風穴。


 その中心を小型の飛行船のようなものが猛スピードで通過し、乱暴に高度を下げながら接近する。


「あれはフライングビークル! 今は第一部隊が借用しているはずです!」


 レイドが吠え、騎士達は不穏な様子で飛行船を見守る。

 飛行船は地面スレスレを滑空しながら乱暴に減速。百メートルほど先で完全に沈黙した。

 巻き上がった土煙で顔は良く見えないが騎士と思しき三人の影が地上に降り立つ。

 一人は軽装、二人は金属鎧に身を包む。

 騎士達の身を案じたスグリが近づこうと駆けだした時。


「待ってスグリさん! 様子が――」


 レイドが手を引いて留めた。もし彼がそうしなければ次の瞬間に綾斗がその役割を担っていた。


 バシュッという発射音に続く甲高い風切り音。


 七人の眼前に飛来するのは一本の矢。それは軽装鎧の弓使いが他二人の背後から放ったもの。

 山なりの軌道を描き、着弾予想地点は二十メートル後方。


 ――いったい何のつもりだ?


 ミシミシミシ。


 奇怪な音を立てながら矢は凍り始め、あっという間に巨大な氷柱へと変貌。質量の変化により、着弾予想地点が手前――綾斗達が今まさに立っている場所へと修正されていく。


 綾斗は混乱し、動けなかった。


 直撃すれば軽傷では済まない脅威が七人の頭上に迫った。


「ディストーション!」


 メイソンの術式。空間が捻じれ、氷柱の軌道が逸れ、幾つもの氷片をまき散らしながら赤土に深々と突き刺さる。その着弾地点を中心に地面が一瞬で凍り付いた。


「サーヴァントじゃ! 戦闘態勢に入れ!」


 メイソンの号令により金縛りが溶けた様に各々思考を再開する。


 ただ一人を除いて。


「いやぁぁあああああ!」


 スグリが膝をつき頭を抱え悲鳴を上げる。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ……死……死……」


 その症状は現代で言うところのPTSD。

 魔女による大虐殺のトラウマを抱えるスグリにとってサーヴァントの存在はそれを呼び起こさせるのに十分すぎた。


 騎士四人にも手の震えなどの症状が誘発されつつあった。感染する恐怖心が戦意を奪っていく。


「俺たちは誇り高きシュバリエ! レベナル王国の戦士! お前ら任務を忘れたのか!」


 レイドの激昂げっこうがパンデミックを止めた。

 四人の騎士の体に誇りとともに力がもどる。


「グレゴーリは左陣、俺とジャスティンが右陣、ファロムは後方支援だ!」


 目くばせで同意を確かめ合い、戦闘態勢に突入。

 レイドの号令と共に四人は走り出した。


「おいっ! 待て、お前ら!」


 綾斗の制止はまるで聞こえていなかった。

 彼らは決して恐怖を乗り越えた訳ではない。


 ――目を見れば分かる。発狂したスグリと同じ目をしている。使命感から無理やり動かされているだけに過ぎない。


 綾斗が彼らの後を追おうとしたとき、メイソンが身を乗り出し引き留めた。


「どいてください! あれでは死にに行く様なものだ!」


 しかし、メイソンの鋭い眼光に気圧され綾斗は体を弛緩させた。


「今綾斗殿が行っても同じことじゃ! ここで最後の希望を失う訳にはいきませぬ。まだ綾斗殿の固有術は完全に解明できておらんのじゃ。はっきり言って実戦で使用するには時期早々。ここは退避を」


 ――メイソンの主張も理解できる。それだけの冷静さはまだ残っている。でも、だからこそ見捨てることなどできる訳が無い。


 サーヴァントと対峙する。それは揺るぎない確定事項。だが、綾斗の心の奥底では微妙な感情が揺れていた。


 七年前のトラウマ。加害者殺し。そして救えなかった白銀の――。


 生半可な覚悟で対峙すれば四人を救うことなど到底出来ない。かといってサーヴァントは元は彼らと同じ騎士。しかし、この世界は所詮仮想現実。普段相手にしていたAIと何の違いがある。


 ――いや、大ありだ。


 彼らには明らかに感情がある。

 あまりにAIが高度過ぎて見分けがつかないだけだとしても、同じこと。

 それに、この世界の人間を全て無機質なAIだと割り切ってしまえるなら、サーヴァントはおろか四人の騎士を救う必要も無くなる。今すぐに見捨てて逃げてしまえばいい。


 この葛藤の答えはすなわち、コンビクションスタンス――『不退転の構え』を使用するか否かという問題に置き換わる。


 S.C.Sは元々対テロ用の近接格闘術。

 命のかかった極限状態で相手の生死など考える余裕はない。

 構えを三段階に分けてはいるが、実戦で使用されるのは専ら三つ目の不退転の構え。

 それを使わなければこの現状を切り抜ける事は出来ないと直感が言っている。

 例えサーヴァントを殺す事になっても、その他を守り切る意志があるかという命題。


 ――いや、それも違う。それは……逃げているだけだ。


 死地を前にして、綾斗はようやく答えに気付き始めた。


 七年前、刃物を持ったスーツの男に恐怖した。

 その恐怖のあまり出遅れ、彼女を救えず、相手の命など考える余裕もなく技を奮った結果、不用意に命を奪った。


 つまり乗り越えるべきは死に対する恐怖心。


 ――俺に必要なのは殺す覚悟じゃない。恐怖を乗り越え、命を賭して救う覚悟だ!


「綾斗殿……」


 メイソンは綾斗が放つ只ならぬ気に気圧され道を開けた。

 静かな殺気としか形容できない冷たい目線。

 異質なのは戦地に赴くというのに、強張りの無いリラックスしきった肢体。


「スグリをお願いします」


 メイソンは頷くしかなかった。

 綾斗は静かに息を吸って、ゆっくりと吐く。

 そのゆったりとしたごく自然の呼吸のまま猛スピードで荒野を駆けた。


 『不退転の構え』は『構え』と名前がついてこそいるが、実際は特定の構えを指すわけではなく、精神的な枷を外すかどうかの心構えの問題。

 試されるのは反射神経とアドリブ。故に経験がものを言う。


 綾斗は視界に彼らを捉えた。

 左でグレゴーリと大剣使いが、中央でファロムと弓使い。

 右でレイドとジャスティンが鉄球使いと交戦している。

 ファロムは遠距離攻撃を氷の壁で防ぎ、レイドとジャスティンは回避と防御に徹する事で時間を稼いでくれている。


 明らかに劣勢なのはグレゴーリ。

 相手は女型の黒鋼の鎧に身を纏っているが、多関節型でグレゴーリよりも明らかに軽量で柔軟性の高い代物。

 おまけに身の丈ほどの剛剣を手足のように振りまわし、グレゴーリの盾を確実に削っている。高速化の術『アクセラ』で、もはや人の動きではない。


 綾斗は乾いた大地を蹴り左へ旋回した。


 強烈な突きを正面で捉えたグレゴーリの巨体が後方へと滑る。

 軋む鋼鉄。巻き上がる土埃。

 サーヴァントは大剣を両手持ちで上段に構えつつ詠唱。


「ブレイズ・ブレイド」


 血抜きのための血溝に真紅が走り、刀身は白熱。余りの熱量に空気が歪む。

 殺意に満ちた同馬声を張り上げ、飛びかかり、トドメの一撃を振り下ろす。


 綾斗が敵の間合いに飛び込んだのは、袈裟切りが放たれた刹那。

 土埃を目くらましにグレゴーリの背後へ潜んでいた綾斗は敵の確定初動を見切った瞬間に飛び出したのだ。

 サーヴァント自身の両腕が死角となり、綾斗を認識したのは振り下ろし始めた直後の肩越し。

 両手を蝶のように交差させた態勢からの掌底突きが、黒光りする肩甲を押した。


 その結果、過剰に腰を捻った斬撃は盾のエッジをチーズの様に切断するが、グレゴーリには届かなかった。


 綾斗はグレゴーリに下がるように手で合図し、その間にサーヴァントはバックステップで距離をとる。


 兜の奥から不気味な赤い眼光が閃き、乱入者に殺意を伝える。


「アクセラ」


 綾斗は確かにその詠唱を聞き取った。

 そうでなくてもサイトヴィジョンが見逃さない。網状のフィブリルが鎧を纏い、僅かな光を放ち完成する。


 ――やはり高速化の術か。


 それを唱え直したという事はマスターアームによる無効化に成功したという事。


 相手の手札は何か。


 本来であればそれを慎重に見切ってから勝負を仕掛けるのだが、そんな時間的余裕は無い。

 殺意を持って猛進する相手に綾斗は後退しなかった。

 鍛え上げられた動体視力は追うことを諦めない。常人の眼には止まらぬ縦横無尽の攻撃を四回躱したところでの綾斗の分析。


 ――確かにスピードは速い。およそ常人の1.5倍。


 だが躱せる理由があった。


 戦闘訓練用VRでのトレーニングプログラムは主に基礎的な力を補うもの。だが、一つだけ明らかに現実を凌駕するプログラムがある。


 現実拡張トレーニング(ART)。通称『アート』。


 その最たるものが倍速トレーニング。戦闘速度を通常の1.1倍から1.5倍の間で調整できる。

 戦闘速度が上がると言っても、自分を除いた世界の速度が上がるだけ。

 圧倒的ディスアドバンテージの元で訓練を積むことで超反応を獲得できる。

 しかし、綾斗は反射神経だけで戦うのではなく、常に視覚的情報から予測を立て、随時修正しながら制圧完了までの道筋を考える癖がある。その戦い方で到達した綾斗の限界速度は1.2倍速。


 ただし、AIレベル『マキシマム』での1.2倍速だ。


 目の前の相手は最低レベルの『イージー』よりも酷い。故に避ける事は可能。

鎧の下に隠された筋肉は見えないが、呼吸に付随する肩の動きから攻撃のタイミングを予測。手首の返し、金属の軋み、重心の移動――。


 それらすべての情報が斬撃の軌道を教えてくれた。



 ◇◇◇


 グレゴーリはその光景を後ろから見ていた。

 アクセラで速さを得る代わりに重さが削られているとはいえ、大剣の硬度や刃の鋭さは変わらず、一撃でも喰えば生身の体などひとたまりもない。

 本来は凶悪な巨大モンスターにふるわれるはずの斬撃が、あろうことか丸腰の人間に幾度となく振り下ろされている。

 正直、目を開けているのも怖かった。

 凶刃が風を切り、灼熱が残光を引くたびに綾斗の血肉が散らばるのを想像し、恐怖した。


 ――正気の沙汰じゃない……加速術を発動したサーヴァントに生身で挑むなんて。


 グレゴーリに追えたのはせいぜい、制動がかかった斬撃と斬撃の合間。面でしかとらえる事の出来ない白刃が乱暴に空を切り刻む。

 しかし、四撃目がすり抜けた時、怖れは対象を移していた。


 ――綾斗は本当に……悪魔……。


 煮え立つ空気に浮かぶ陽炎。いっそ幻だと言われた方が得心行く光景。

 五つ目の斬撃――中段水平切りが確定初動を越えた時、綾斗は遂に攻勢に出た。

 この技は五連撃で一クールであることを、大げさなほどに荒い呼気が教えてくれる。

 すなわちフィニッシュと言わんばかりの強烈な一撃。それを沈み込んで躱す。

 そこから先はグレゴーリの眼では追えなかった。



 ◇◇◇


 剣を持つ右手の肘に打ち込みつつ安全装置マスターアームでアクセラを強制解除。

 振り抜かれた大剣の重みに耐えかねて、サーヴァントの上半身は大きく持っていかれる。

 致命的な重心のズレ。それはすなわち綾斗の勝利を意味していた。

ズレの方向に合わせて、素早く掌底を二連撃。

 軽くノックをするかのように撃ち込まれた微弱なベクトルが漆黒の重装兵を押し倒し、地面に這いつくばらせた。


「グレーゴーリさん、拘束を!」


 弾かれたようにグレゴーリは飛びつき、盾をサーヴァントに押し当てギミックを起動させる。それは本来、大型モンスター用の拘束具。正規の使い方では肉に食い込ませるはずの鉤爪は地面に咬みつき、サーヴァントを荒野に縛り付けた。


「拘束が解けないように見張っていてください」


 綾斗は返事を待たずに僅かに乱れた呼吸を整えると次の目標へと走り出した。

 その背中を見送ったグレゴーリは情けなく思った。

 命を救ってもらったのにありがとうさえ言えない自分を。


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