第9話 浄化の光


 地下シェルターを抜け、地上で出迎えてくれたのはスグリ。


 のけ者にしたことを怒っているのかと思いきや、その表情は予想外に明るかった。どうやらガリレジオがうまい事言ってくれたのだろう。


「スグリ殿には綾斗殿の身の回りのお世話をお願いしました。ではスグリ殿、後は頼みましたぞ」


 拳を胸に当てる略式の敬礼で正式な任務としての命令を示す。

 対してスグリも同じポーズで「お任せ下さいっ!」と声を弾ませる。


 それからくるっと振り向き、


「綾斗、今日はもうお疲れでしょう。宿をとってありますのでそちらに向かいましょう。お風呂に入っている間に食事を準備します。それともうすぐ面白いものが見られますよっ」


 妙にうきうきしたスグリに手を引かれ歩みを進める。


 彼女の笑顔を見ていると少しだけ疲れを忘れられたような気がして、綾斗は足が軽くなった。


 しばらく歩いてから綾斗は街の異変に気がついた。


 だが異変というのには少し語弊がある。

 なぜなら町の様子が変わっていない事自体がおかしいのだ。


 綾斗は立ち止まって宙を見上げた。


 時刻はもう六時になろうと言うところ。

 夕暮れとはいかないまでも空の色味が変わってきてもおかしくないはずなのに、天蓋のレンズから覗く空はまるで真昼間のそれだ。


「そろそろです」

「何がだ?」


 スグリはふふふっという悪戯いたずらな笑みではぐらかすと、いないいないばあをするように両手で自分の目を覆った。


 意図が読めないが、からかわれているのは明白。面白くない綾斗は逆に驚かしてやろうと息を潜めて彼女の肩に両手を伸ばしたその瞬間――。


 視界が白に溶けた。


 仰々ぎょうぎょうしいほどの白い光が世界から色を奪ってしまったのだ。

 綾斗は反射的に瞳を閉じたが、どんなに瞼に力を込めてもその強烈な光は薄い皮膚をやすやすと通過して、網膜もうまくを刺激した。


 そして今度はすーっと潮が引くように瞼の裏に暗闇が広がる。



「もう大丈夫ですよ。綾斗」


 直ぐにでも声の主を問い詰めようと目を開ける。が、綾斗の口から零れたのは雑言ではなく感嘆かんたんの漏れ声だった。


 視界は真っ暗。夜陰やいんに点々と灯る光がぼーっと淡い光りを放ち、徐々に強くなる。


 そして光は町の輪郭を十分に映すだけの光量を得た。


 もちろん、目の前の少女の笑顔も。


「どうです? 美しいと思いませんか? 街灯に使用されているのは浄化の光を内部に吸収し、徐々に放出する性質を持った特殊な鉱物なんですよ」


 ――確かに美しい。


 町の夜景だけではない。空には街灯を投影したように散りばめられた星々がはっきりと見える。


 スグリの瞳に映る光の点がどちらの光か分からないが、その明滅する光を綾斗はしばし絶句して見つめ続けた。


「そんなに見つめられると恥ずかしいです」


 ふと気付くと顔を染めるスグリ。


「すまん、美しいと思って見惚れていただけだ」


 するとスグリは耳まで真っ赤に染め、顔を伏せた。


 嘘は言っていない。光の美しさに見惚れていただけ。それをスグリは誤解したのだ。


「そんな、美しい何てもったいないお言葉――」

「もったいなくはないだろう。こんな美しい夜景は見た事がない」


 凛とした態度で答えた。

 綾斗なりの仕返しのつもりだったが、そのカウンターは予想以上に効いたようで、スグリは駄々をこねる子供のようにうずくまってしまった。


「ううう……」

「すまんな。からかわれる事に慣れてないんだ」


「綾斗は意地悪ですぅ。エソラ様は素直に驚かれ、感動されたのに……」

「エソラにも同じことをやったのか?」


 スグリは低い頭をこくんとさらに下げて同意を示す。


 ――あの氷の女王のような女に。なんというメンタルの強さ。いや、単に怖れを知らないだけか。それにしても、エソラが素直に感動するなんて事があるのか?


「確かに喜んで下さいました。言葉はありませんでしたが、とても爽やかなお顔で魅入られていました」


「……そうか」


 ――なぜだろうか。面白くない。


 綾斗の知るエソラならば悪態の一つでもつきそうなもの。自分の知らない彼女の表情をスグリは知っている。それが少しだけ不愉快だった。


 気づけばすっかり元気を取り戻したスグリがにやにやとこちらを眺めている。


「なんだ」

「いえ。なんでもっ」


 悦に浸っているのが明かな笑顔。その無邪気さに問い詰める気も失せた綾斗はため息をつき、話題転換。


「それで、浄化の光とは何だ?」


「太陽と光の海が重なる時に生じる強烈な光の事です。この世界ではとても神聖なものとされていて、邪悪を払う力があると信じられています。そのため、教会やお城の天井にはこの浄化の光を取り入れる仕組みがあります」


 そう言ってスグリが指さした方向にはこじんまりとした三角屋根の建物。

 一目見て教会と認識できるが、鐘の代わりに集光レンズが設置されている。

 窓から漏れ出た光は厳かで、美しい聖歌と合わさり、神聖かつ優美だ。


「私はこの光を美しいと思います。果てしなく伸びる光の海に太陽が沈むと同時に東の果てから昇るのです。その瞬間世界はあまねく光で満たされます。綾斗の世界では塩水でできた巨大な湖に日が沈むと聞きました。それはさぞかし美しいのでしょうね」


 憧憬しょうけいの眼差しを受けとめつつも、綾斗は少しおかしくなって微笑んだ。


 ――スグリはエソラから現実世界の事を聞いたに違いない。


 彼女が夕暮れの美しさを抑揚のない声で語る姿を想像して笑ってしまったのだ。


「私、何かおかしなことを言いました?」

「いや、エソラの事を思い出しただけだ。その様子だと案外上手くやっていたみたいだな」

「仲良くなるまでは大変でした。何を考えておられるのか初めはさっぱりわかりませんでしたから」


 それを聞いて綾斗は吹きそうになった。

 あの能面のような表情から内情を知ろうとするなど不可能だからだ。


「――でも、エソラ様はとてもお優しい方です。それにヴィアンテ姫様とそっくりなんです。悪い人なわけがありません!」


 綾斗はぎょっとした。エソラとそっくりな奴がもう一人いるのかと。

 そんな胸の内を察したスグリはこう付け足した。


「そっくりなのは見た目だけですが……」


 それを聞いてあからさまに、ほっと肩を落とす。


「綾斗、その反応は余りにも失礼ですよ?」

「スグリも頬が緩んでるぞ」


 思わぬカウンターブローにびくっと身を震わせるも、スグリは優しく目を細めた。幻想的な空間が和やかさに拍車をかけたのだろう。


 だが、綾斗に気を緩めるつもりはなかった。


 現実に目を背けてはならない事をあのスグリでさえ察して、表情を暗くする。


「綾斗、お願いです。エソラ様とヴィアンテ様を必ず……」


 スグリはそれ以上口にしなかった。綾斗一人には重荷が過ぎる事を理解しているのだ。


 それでも綾斗は静かに頷き、冷たく乾いた空気を握りしめた。



◇◇◇


 街灯を辿るようにしてスグリに案内されたのは一階建ての宿泊施設。

魔女の侵攻から逃げ延びた人々をタダ同然の値段で受け入れており、エソラもここで随分世話になったのだそうだ。


 突き出した煙突、その先端から漂う白い煙。


 綾斗はまさかと思ったが、天然温泉『白砂の湯』として、ここ白砂の要塞の名物となっている。


 スグリは「夕食の準備をしますので先にお風呂にどうぞ」と、脱衣所まで案内してもらって別れた。


 浴室に足を踏み入れると、トルコサウナ風の豪奢ごうしゃな内装が出迎えた。


部屋の中央には浴槽の代わりに白い砂が敷き詰めてあった。よく見ると中心がくぼみ、そこに透き通ったお湯が満たされている。


 浸かり方が分からず辺りをキョロキョロ見回すが、他に利用客はおらず、逆に誰も見ていないならいいかと、綾斗が湯に足を浸けようとしたその時だった。


「綾斗!」


 女性の声にぎょっとして振り向くとそこにはスグリ。


「なんで……」


「使い方が分からないのではと気がついて追ってきました。あっ、夕食の準備は進んでいますのでご心配なく」


 恥ずかしげもなくニコリと笑うので、それ以上突っ込む気も失せたが、スグリは中々に刺激的な格好をしていた。


 羽衣のようなスケスケの生地に張り付いた肌は情痴的で、局部は隠されているがかなり際どい。


 舐める様に見てしまった事に気付き、咄嗟に目を背ける。


「エソラ様も同じような反応をされましたが、そんなに変ですか?」

「いや、似合っている……というか……いや、何でもない」


 うっかり「エソラもそれを着たのか?」と問い掛けそうになったが、どうやっても厭らしいイメージしか浮かびそうになかったので綾斗は自重した。


「あー、それでどうやって浸かればいいんだ?」


 言うよりも見るが易しという風に、スグリは膝をついて片手でお湯を掬い取った。

 不思議な事に、お湯はスグリの手をこぼれ落ちることなく潰れた球形を保ってスライムのように揺れている。よく見ると掌には砂粒も一緒に乗っかっていた。


「共鳴術でこのお湯にかかる重力を弱めているのです。そしてこの白砂には浄化作用があるので、洗剤は必要ありません」


 そう言いながら、肌に直接刷り込むようにして体を洗っていく。

 薄手の衣の隙間から艶めかしく細い指が滑り込む度に目のやり場に困りながらも、「もう、しっかりと見てくださいっ!」というスグリの注意も無視できず、綾斗は悶々とした時間を過ごした。


「……こうやって体を洗ったら、シャワーで頭と砂を流して外の露天風呂に浸かります」


「なるほど」


 この部屋は弱い陰圧で保たれているらしく、役割を果たした球体は天井に向かってゆらゆらと吸い込まれていく。

 それはまるで無数のシャボン玉が飛んで行くみたいでファンタジックな光景だった。



 体を洗った後、開放的な露天風呂に浸かりつつ、スグリに今後の作戦の詳細を説明。


 綾斗一人で魔女と対峙する事に抵抗を示したスグリだが、突入前まで綾斗に付き添う事を条件に承諾した。


 それはつまり、次の目的地『ストームウィード』にスグリを同行させる事になるが、ストームウィードは砂漠から連続する荒野のキャラバン。魔女の支配が及ばない安全地帯。


 ――危惧すべきはモンスターの方だが、騎士が同行してくれるため、恐らく危険はないだろうという打算……というのはむしろ自分自身を納得させるための理由で……。要するに同行を断り切れなかったのだが。



 夕食は食堂に準備されていたオードブルを頂いた。干し肉のスライスがメインで味付けはシンプルに塩コショウ。野菜や酪農品は貴重らしく、トマトやチーズが隅に添えてあるだけだった。


 干し肉はドラゴンの肉で、この世界で最も栄養価の高い食材であり、不老長寿は言いすぎだが体を丈夫にする働きがあり、白砂の名産品となっている。


 また、野菜や酪農品は砂漠では手に入らず、各地のキャラバンから取り寄せたものだ。特に塩と酪農品は貴重で魔女の支配域に比較的近いキャラバンで生産されている事がその要因。


 そういった食料調達の仕事も騎士達の任務の一つであり、綾斗は有難みを噛み締めながら腹を満たし、床に就いた。

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