第8話 魔女の侵攻


 白砂の要塞は町の中心部、すなわち闘技場の地下に広大な避難用シェルターがあり、各家家の地下と繋がっている。

 非常時には警報が発せられ、全三階層からなるシェルターの最奥へと非難する仕組み。ちなみに二階は食物庫。司令部は最上階の中心に位置している。


 あらゆる攻撃――最強種であるドラゴンの襲撃に耐えられるように分厚い鋼鉄の壁に囲まれた部屋。

 ドーム型の天井の真ん中から注ぐ柔らかな光が、僅かに冷えた皮膚を温めた。


 指令室内には他に数人の騎士たちの姿。各地の偵察状況や被害状況を報告する声が飛び交う。


 しかし、そこにスグリの姿はなかった。訓練場を出る前にガリレジオが意図的に退けさせたのだ。


 ――軍事機密に関わるからだろうか。


 そう察した綾斗はあえて触れなかった。


 レベナル全土を立体的に模した縮小模型の前に立ち、ガリレジオから世界の構造を教わる。


 レベナルは地球の様に球体ではなく、ヘミスフィアと呼ばれる半球状の地殻ちかくが、宇宙の果てまで続く光の海に浮かんでいるような状態。

 天動説を思えば理解しやすいが、レベナルを中心にして太陽が回っているというのはどうにも受け入れ難い。


「それでは現在の戦況を確認致しましょう。ここ白砂の要塞は西の果てに位置し、逆方向――東の果てにはレベナルの首都『オートレデン』が位置します。かつてはこの世界で最も安全で繁栄はんえいを極めた都市ですが、『魔女の侵攻』により現在は魔女の支配下にあります」


「魔女の侵攻?」


「半年前の魔女とそのしもべであるサーヴァントによる首都襲撃の事を指します。やはり、スグリからは聞いていなかったようですね。まあ、無理もありません。スグリはあの大虐殺だいぎゃくさつ渦中かちゅうにいたのですから」


 ――それが、スグリを外させた理由か。魔女の名前を出した時に見せた暗い表情。ならば、も魔女と関係しているのだろうか。


「『不殺の戒め』と魔女にはどんな関連性が?」


 ガリレジオは一瞬、眉を吊り上げ驚いた。


「まさか、スグリが自らその話をしようとは。よほど切羽詰まった状況の様ですね」


「ああ、エソラは魔女に心を乗っ取られてしまった。三日以内にエソラを魔女の術から解放しなければ取り返しがつかなくなる」


「なんと! まさかあのエソラ様がサーヴァントに……」


 ――エソラがサーヴァント? サーヴァントは魔女の手下で大虐殺に加わっていたはず。……そう言う事か。


「サーヴァントは元々人間なのか?」


 ガリレジオは煮え切らない表情で頷いた。


「……そうです。サーヴァントとは魔女に意識を乗っ取られ、殺戮さつりくを強要された罪の無い善良な民なのです。サーヴァントにされた人間は死を認識できないため、不殺の戒めは発動しません。半年前の侵攻の際、勇敢な騎士達が鎮圧にかかりましたが、こちらは不殺の戒めに縛られ、十分に戦う事ができず一方的に殺されていったのです」


 綾斗は絶句した。想像も及ばない。


 騎士達は強いがそれはモンスターに対しては全力を奮う事ができるから。人間同士の殺し合いなど、予期していたはずもない。


 無慈悲に襲いかかり、命を飲み込む悪魔の意志。


 レベナルの首都がどれほどの規模か、また軍事力がどれほどかは分からないが、くつがえしようのないディスアドバンテージ――『不殺の戒め』がある限り、陥落かんらくは時間の問題だったのだ。


「それでも騎士達の死は無駄ではありません。彼らが時間をかせいでくれたおかげで、市民の一部は逃げのびる事ができ、付近の都市に魔女の脅威を伝え、避難させることができたのですから」


 散っていった騎士達の誇らしさを称えるような笑みが頬の傷を深く歪ませた。


「サーヴァントにされた者たちを元にもどせるかは分かりませんが、元凶である魔女を倒す事が出来れば少なくとも悪意からは解放されるはずです。それに姫様の安否も確認で来ていない事から一刻も早く、魔女討伐に乗り出さなければなりません」


「姫様というとスグリが言っていたヴィアンテ姫の事だろうか」


「いかにも。姫様は王族最後の生き残り。先頭に立って魔女の侵攻を足止めされていましたが、それ故に安否が分かっておりません」


「王族最後の……って、それじゃあ他の王族は全員……」


 ガリレジオは瞑目し、重たい沈黙が弔意を示していた。


 姫の安否と言っても半年前の事。それも最前線となれば生存の可能性は極めて低い事は明白だ。

 しかし、彼はあえて『最後の生き残り』と表現した。そこに込められた希望を踏みにじる事はできず、綾斗は口を噤んだ。


「魔女はサーヴァントを巡回させ、支配域を拡大しつつあります。現在は逃げ延びた人々が僻地の要塞やキャラバンに隠れて生活していますが、この束の間の平穏もいつまで続くかわかりません。犠牲になった者のためにも、我々は何か手を打たなければならない。エソラ様が魔女の手に落ちた以上、その唯一の希望は綾斗殿ただ一人だけなのです」


 綾斗はこの世界に飛び込む前に覚悟したつもりだった。どんなことをしても魔女を捕えると。

 しかし、自分にこの世界の命運がかかっているなど、容易に受け入れられる事ではなかった。


 例えそれがVRであっても――。


 余りの重圧に鈍いめまいと吐き気で視界が歪む。


 ――だがここで立ち止まってどうする? 本当にホラ吹きになるつもりか?


 エソラの父――聡次郎があれほどまでに頭を下げた理由が今なら分かる。

だからこそ引き下がれない。


「綾斗殿、どうされましたか?」


「いえ、何でもありません。少し仕合の疲れが出ただけです。それより、具体的な作戦を考えましょう」


 ――今はとにかく頭を動かせ。考えるんだ……三日間で実現可能な作戦を。


「まずは移動手段。何か案は?」


「魔女が居るのは恐らく首都オートレデンの中核にそびえる天空城『シャトー・ダン・ル・シエル』。三日以内となると移動手段はただ一つ、遠隔転移えんかくてんいの共鳴術です。ただし、遠隔転移は重力系統の中でも上位の共鳴術。王族以外で使用できる者は限られます」


「この要塞に使用できる者は?」


「アイザークという共鳴術士がいます。彼は現在偵察任務ていさつにんむ中で二日後の昼に帰還予定となっています。首都へ行くには必ず始祖山しそざん『フォンデタ・モンターニュ』を越える必要がありますが遠隔転移術を使えば一瞬で到達する事が可能です」


 二日後となるとギリギリだが間に合う算段。


「同行を頼める騎士の数は?」


「それは、綾斗殿が望まれるのであれば、この白砂の要塞の全ての騎士を同行させても構いません。みな、快く引き受けてくれることでしょう。ですが……」


「分かっています。不殺の戒めがある以上、魔女と直接戦うのは自分ひとり。騎士達には陽動をお願いしたい。広範囲で同時に騒ぎを起こせば、魔女もすぐに動けないはずです。サーヴァントを引き離し、そこを自分が強襲し制圧します」


「一人で……ですか」


 ――無謀なのは承知だ。しかし、彼らの命を危険に曝すわけにはいかない。俺は死亡してもエデンに強制送還されるだけで済む。それに元より馬鹿正直に戦うつもりはない。理想的には不意や死角をついての制圧。そのためには一人の方が動きやすい。


 綾斗の決意を汲んだガリレジオはそれ以上は追及しなかった。


 

 陽動部隊の編制や配置、決行のタイミングなどを決めた後、それまでの時間をどう過ごすかについてガリレジオから提案があった。


 魔女打倒の要は不可視であるはずのフィブリルを可視化する綾斗固有の能力――銃器のドットサイトに準えて『サイトヴィジョン』と呼称――にある。


 さらに綾斗は素手でレイ・ストライトの光を打ち消して見せた。

 これが全ての術に対して有効なのか、発動条件は何か。


 不明な点が多いが、これに答えを出せる人物としてメイソン牧師を紹介された。

 メイソンは元宮廷共鳴術士の最高司祭、共鳴術士の中で最高位の役職についていた人物。

 魔女の侵攻後、逃げ延びた市民を永住可能な安息地へと導き、現在は牧師として働き、人々に平穏を与える事に尽力しているという。


「……つまり、荒野のキャラバン『ストームウィード』が次の目的地となります。ここから南東方向に約100キロメートルの距離にありますが、軍所有のビークルに乗って行けば一時間ほどで着きます。護衛に騎士を就かせますのでご安心を」


 綾斗は頷き、視線を袖の電子時計に走らせた。

 時間は五時四十分。

 現実時間と十二時間の時差がある事はガリレジオに確認済み。ちなみに首都『オートレデン』は現実時間と同じ時刻。


 突然、糸が切れた様な脱力感と眠気に襲われ、綾斗は机に寄りかかった。

 緊張感のため忘れていたが本来は寝ている時間。

 VR機の原理上、現実世界の体は眠っているはずなのだが……。


「お疲れの様ですね、綾斗殿」


 ガリレジオの言葉を否定する様に綾斗は手を横に振った。

 しかし、あまりの倦怠感のため、しゃんと立つことはできず、虚勢きょせいだと直ぐに見透かされてしまった。


はやる気持ちは分かりますが、無理はいけません。エソラ様もここに始めて来られた時は同様にお疲れの様子でした。神の世界では『時差ぼけ』といいましたか。とにかく今日はもうお休みになられるのがよろしいかと。宿も手配いたしますので」


 空腹感と軽いめまいで勢いを削がれた綾斗は押し切られるように首肯しゅこうした。


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