第7.5話(旧第7話後編) マクスウェルの悪魔


 綾斗は瞬時に戦闘モードに入った。


 明らかに先ほどよりも深い集中状態。

 非情なまでに冷徹れいてつ。それがS.C.Sの最終段階に必要とされる条件。


 ――このままでは自ら貸したかせを完全に破ってしまう。だが、スグリを失うぐらいなら。


 そして一線を越え、足を踏み出した時、ある変化が起こった。


 奇妙に揺れる蛍光色の糸。


 初めはバグかと思えた。


 レイドの手前からひゅるひゅると伸びるその糸は綾斗の頭部を貫通し、スグリにまで到達。

 レーザーサイトの蛍光色に似ていた事もあるのだろう。頭を打ち抜かんとするその軌道から死が予感された。


 その光の糸は徐々に揺らめきを大きくし、やがて波として認識される。


 ――まさかこれが……フィブリル⁉


 その振幅しんぷくはますます強まり、暴れ狂ったような挙動を見せる。

 つまりこのフィブリルはレイドが励起れいきさせているもの。だが、詠唱している様子はない。


 ――となれば答えは一つ。無詠唱で放てる唯一の共鳴術。直線軌道のレイ・ストライトだ。


 不確かなのはレイドが放つ技の威力がどれほどのものかという事。


 スグリがドラゴンに放った時と訓練場で見せた時の威力は異なっていた。


 ――つまり威力はコントロールできる。


 だが、今目の前の相手は共鳴術を使用しないと言うルールを破ってしまう程、我を失っている。

 不殺の戒めにより、故意に殺人を犯す事は出来ないはずだが、忘我自失の場合は例外なのではないか。

 そして、彼が人を殺めた場合、自分自身の命も失う事になる。


 ――止めなければ。何としても。


 綾斗は直感に従って右手を光の波に重ねた。


 ――レイドがキャッチしたフィブリルを励起しきる前に奪ってしまえばいいのではないか。


 その何の根拠もない賭けとも思える行動。

 だが、もう一つ狙いがあった。


 ――腕を失ったとしてもスグリにだけは直撃させない。


 その咄嗟とっさの機転が誰も目にしたことにない現象を引き起こした。


 レイドから放たれた光の柱。それは単なる比喩ではなく、人の頭蓋など軽々飲み込む程の極大のレーザー光線。

 予想される威力は綾斗の片手だけでは到底相殺そうさいできないもの。


 だが、綾斗の右手がその光に触れた瞬間、脅威きょういは泡のように空に弾けた。


 ――無傷。


 研ぎ澄まされた感覚の中、それだけを知覚し綾斗は留まることなく地面を駆る。

 そして灼熱に燃える怒りと残酷なまでの冷徹がぶつかり、一瞬で決着した。



「救護班、急げ!」


 思い出したように発せられた号令により、数名の騎士たちが壇上に駆け上がり、敗者に覆いかぶさっていく様を綾斗は一歩引いたところから眺めたていあ。


 殺したわけではない。両頸動脈洞りょうけいどうみゃくどうを同時に圧迫し、迷走神経反射めいそうしんけいはんしゃと瞬間的な阻血そけつにより失神させただけだ。


「綾斗! レイドさんは……」


 肩を縮め、祈るように見つめるスグリ。


「気絶しているだけだ。心配ない」


「よかった……」


 スグリは言葉を失い、力無く膝をついた。


 綾斗は掛けるべき言葉が見つからなくて、レイドが運ばれていく様をただ黙って眺めていた。


「綾斗、ごめんなさい。私が途中で呼び止めたりしてしまったから。でも、レイドさんが苦しむ所を見ていられなくて……」


「スグリが謝る必要はない。俺も少しやり過ぎてしまったと反省している。だが、レイドはどうして暴走してしまったんだろうか」


「それは彼のエスが、『怒り』だからかと。怒りは戦闘向きですが、抑えつけるのが難しく暴走しやすい感情でもあります」


 綾斗の中で幾つかの疑問が氷解した。

 彼が我を忘れる程の精神状態であっても共鳴術を使用できたのは、エスの性質によるものだ。モンスター相手では怒れば怒るほど能力を発揮できるのだろう。


「あ、そうでしたっ!」


 パンッと顔の前で手を合わせ大声を上げるスグリに綾斗は目を瞬かせた。


「謝る前にお礼を言うべきでした。ありがとうございました」


 深々と頭を下げるスグリを呆けた顔で見下ろす綾斗。

 一瞬何のことか分からず固まってしまった。


「綾斗は私を助けてくれました。……いいえ、私だけではありません。レイドさんもです」


 不殺の戒めがあるこの世界では命を奪ったものにはそれと等価の罰が下される。すなわち死。つまり、綾斗は自分だけでなくスグリとレイドの両方を救った事になる。


「俺は誰かを救えたのか……?」


 両手に視線を落とす綾斗の声は弱弱しく震えていた。

 脳裏には七年前の現実が浮かぶ。

 

 ――未熟さ故に自分だけが助かり、二人の命を奪ってしまった悲劇。その罪が許されたとは思わない。ただ、今度こそ誰かを助けたいと、それが自分にできる罪滅ぼしだと思い、続けてきた努力が報われた気がしたのだ。


『綾斗。お前の力は確かにまだまだ発展途上だ。だが、お前が生きている。父さんにはそれだけで十分だ。それでもまだ、責任を感じると言うのなら強くなれ。いつかきっと、誰かを救う力になるはずだ』


 少年の心の奥深くに刻み込まれた言葉が、鮮明に浮かび上がった。


「……よかった」


 綾斗は俯いて呟く。

 こみ上げるものが涙腺を通してこぼれ落ちようとするのを、食いしばって堪えた。まだ観客達が綾斗を見ている。これから魔女に挑もうと言う者が、模擬戦で勝利したぐらいで号哭するなど、信用低下も良いところ。


 ――あくまで冷静に、むしろ冷酷なくらいがちょうどいい。


 震えを抑え込み、顔を上げると体躯の良い壮年の騎士が見えた。


「綾斗殿。見苦しいところをお見せしてしまって申し訳なかった。責任はこの私にある。何なりと罰を申し付けて欲しい」


 司令官のガリレジオがレイドの無事を確認し戻ってきたところだった。


「罰なんて俺は望みません。それに決着がつく前に気を抜いてしまった俺にも責任はありますから」

「いやいや、綾斗殿に責任など万に一つもありません。共鳴術を使用しないというルールを破った以上、レイドの敗北は決まっていましたから。綾斗殿が共鳴術でレイドの術を無効化して下さら無ければ、被害は避けられなかったでしょう」


 こんな如何にも偉そうな人に褒められると、何かとんでもない偉業を成し遂げたような気がして、つい浮ついて頬が緩んだ。


「そんな、あれはたまたま上手くいっただけで……」


「あっ! そうです、すっかり忘れてましたが、綾斗はいつの間に共鳴術を修得されたのですか?」


 ――ああ、そうか。この二人は誤解しているんだ。


 そして綾斗は何気なく言葉を走らせた。


「あれは共鳴術じゃない……と思う。ただ、フィブリルが見えて、それを――」


 ――ん?


 言葉を遮らせたのは異様な空気。まるで時間が止まったように、その場にいた全員が同じように目と口を大袈裟に開いて硬直している。


「マクスウェルの悪魔だ……」


 会場の誰かが発したその言葉が呪縛解除の合図となり、ざわつきが一気に噴き出すように会場全体を駆け巡った。


「そんな、ありえない。フィブリルが見えるなど。綾斗殿は私達をからかっているのですよね?」


 ガリレジオの意見を否定したのは綾斗ではなくスグリだった。


「いいえ、ガリレジオ様、綾斗が言っているのはきっと本当の事です。重力系の術の中に攻撃の軌道を変えるものが存在しますが、確かあれはかなり習得難度の高い術のはずです。しかも、綾斗の場合、あれは軌道を変えると言うよりも――」

「――打ち消した。確かに私にもそのように見えました。これまで様々な騎士や共鳴術士の戦いを見て参りましたが、あのような技は見た事がありません。それに、レイドの無詠唱のレイ・ストライトを、まるで放つ前から見えていたような動き……。もしやあの預言は……」


 周りのみなが各々目線を合わせては頷く。寂寥感に耐えかねて綾斗は問い質す。


「スグリ、その預言というのは?」

「預言者、ダヴィンチが残した言い伝えです。『悪魔の意志が世にはびこる時、世界が悲しみに染まる。しかし、その闇を払うのもまた悪魔なのである』」

「悪魔?」


 慌てたようにガリレジオが割って入る。


「ここからは私が説明致しましょう。預言はこのようにはっきりと明言されない形で記されている事が多く、神聖語の翻訳が正確でない事から解釈が割れる事も多々あります。そして問題の文章ですが、冒頭の『悪魔の意志』が、魔女の事を指すという解釈は満場一致です。しかし、末尾の『闇を払う悪魔』。この『悪魔』が何者なのかについては意見が割れるどころか、悪魔が世界を救うなどありえないとまで言われていたのです」


「そう言えばさっき『マクスウェルの悪魔』と……」


 ガリレジオは大きく頷き人差し指を立てた。


「まさにそれです。『マクスウェルの悪魔』はことわざのようなもので、通常は嘘つき者や虚言者を指す時に使用します」

「なるほど、つまり俺はホラ吹き呼ばわりされているわけか」


 綾斗が肩を落とすとガリレジオが慌てて付け足した。


「いえいえ、とんでもない。綾斗殿の場合は元の意味。本来不可視のはずの『フィブリルが見える者』という意味です。実際にはそのような者は存在しない事から、転じて架空の物、嘘つき、虚言と言う意味になったのです」


 綾斗は一度情報を整理する。


 ――人々は俺の事を『マクスウェルの悪魔』と呼んだ。預言では『闇を払う悪魔』が魔女を倒すとされている。そしてその悪魔が『マクスウェルの悪魔』だとすると、魔女を倒すのは俺ということになる。預言が正しいかどうかなんて関係ない。少なくともこの場にいる人間は俺が魔女を倒す者だと信じ始めている。協力を得るためにはそれこそが重要だ。


「確かに俺は魔女を倒すためにこの世界に来た」


 正確には倒すではなく捕まえるだが、綾斗はあえてこの表現を選んだ。


「おお、それではやはり綾斗殿がこの世界の救世主。このガリレジオ不肖ながら協力させて頂きたい。みなもそうであろう?」


 ガリレジオが良き船頭役となり、会場全体が一つとなった歓声が轟く。


 綾斗の思惑としては期待以上の成果で、快進の一歩ではあるが同時に引き返せない一歩でもあった。


 真っ赤な嘘をついたわけでは無いにしろ、観衆達の期待の眼に幾ばくの後ろめたさを感じた綾斗は「どこか落ち着いて話せる場所が欲しい」とガリレジオに提案。


 魔女打倒のための具体的な作戦立案という名目で指令室を使わせてもらう事になった。

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